「賀曽利隆が選ぶ日本の100峠」(中部編)

前回:関東編

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

新潟、富山、石川、福井の北陸4県と、山梨、長野、岐阜の内陸3県、それと静岡、愛知の東海2県を中部編にした。中部編では29峠を選んでみたが、そのうちのほぼ半数の14峠が長野県(信濃)の峠になる。信州(信濃)は「峠の国」。信州人はどこへ行くのにも峠を越える。

とくにおもしろいのは、信州を南北に分ける中央分水嶺の峠だ。中央分水嶺の峠を越えると、信州が見えてくる。北信、東信、中信、南信の違いもわかってくる。

中部編

48、枝折峠(新潟)1065m

▲枝折峠。越後三山の駒ヶ岳がよく見える

国道352号で越える魚沼市の峠。国道17号の小出側から行くと、秘湯、駒ノ湯温泉との分岐を過ぎるあたりから、峠道が始まる。急勾配、急カーブの連続する狭路の峠道。右手には越後三山の駒ケ岳(写真)が間近に見える。枝折峠は駒ケ岳の登山口。峠を下った銀山平は江戸時代の銀鉱山の集落跡。最盛期には1000戸を超える家数があったという。
奥只見湖を見ながら走り、只見川にかかる金泉橋を渡って福島県に入る。日本の国道の中では一番長くつづく冬期閉鎖。

49、笹子峠(山梨)1050m

▲笹子峠。大月側の旧道のトンネル入口

大月から甲州街道(国道20号)最大の難所、笹子峠に向かっていくと、新道の笹子トンネルの手前を左に折れ、旧道で笹子峠を登っていく。家並みが途切れると、もうすれ違う車もない。曲がりくねった狭路の峠道を登りつづけ、樹齢千年の「矢立の杉」を過ぎると、古びた、それでいてドッシリとした旧道のトンネル(写真)に到達。
笹子峠は大月市と甲州市の境。山梨県東部の郡内と甲府盆地の国中を分けている。峠のトンネルを抜け、峠を下ったところが甲州街道の駒飼宿。そこから下ったところで国道20号に出る。旧道の峠越え区間は冬期閉鎖。

50、柳沢峠(山梨)1472m

▲柳沢峠。峠の展望台からは富士山がよく見える

青梅街道(国道411号)で越える甲州市の峠。東京の青梅方向から行くと、多摩川の渓谷美を見ながら走り、山梨県に入る。丹波山を通り、多摩川の流れを離れると峠への一気の登り。峠の展望台(写真)からは富士山を見る。峠には「峠の茶屋」がある。元々の青梅街道は小菅から小菅川沿いに行き、大菩薩峠を越えていた。
柳沢峠の近くには武田の黒川金山跡がある。「黒川千軒」といわれるほどの大金山だった。柳沢峠を下ると、改良された快走路。峠下の裂石の雲峰寺では武田の「風林火山」の軍旗が見られる。峠を下ると塩山(甲州市)の町に出る。

51、御坂峠(山梨)1300m

▲御坂峠。「天下第一」と書かれた旧道のトンネル

国道137号で越える御坂山地の峠。笛吹市と富士河口湖町の境になっている。旧道は交通量も少なく、峠越え気分を存分に味わえる。甲府方向から旧道の峠のトンネル(写真)を抜け出ると、はるか下の方に光り輝く河口湖を見る。河口湖の上の方に目をやると、富士山が天高く、まるでポッカリと宙に浮いているかのように見える。
甲州街道新道の笹子トンネルができるまでは、東京~甲府間のトラックやバスの多くは迂回して御坂峠を越えていた。旧道は冬期閉鎖。

52、山伏峠(山梨)1100m

▲山伏峠。山中湖側から峠道を登り、峠のトンネル入口に到達

国道413号で越える峠。山中湖畔の平野から山伏峠に向かうと、ほどなく峠に到達。トンネルを抜けて道志村に入る。山中湖側は山中湖村なので、山伏峠は2村の村境になっている。山中湖村側は山中湖が広がり、富士山が裾野を延ばして聳え立つ開けた風景だが、山伏峠を越えて入る道志村は道志川が深い谷を刻み、裏丹沢の山々が連なる山国の風景。
峠を境にして風景が大きく変わる。この違いを見られるのが峠越えのおもしろさだ。道志川沿いにカーブの連続する国道413号を下っていくと、両国橋を渡って神奈川県に入る。まさに両国橋で、甲斐・相模の国境の橋。

53、中之倉峠(山梨)

▲中之倉峠。本栖湖と富士山を見ながら峠へ。絶景だ!

国道300号の越える峠。本栖峠ともいわれる。富士河口湖町と身延町の境の峠。富士五湖の本栖湖畔を走ると、じきに峠に到達。峠のトンネル(中之倉トンネル)の手前に展望台がある。ここは富士山の絶好の展望台。本栖湖の青さが際立っている。千円札の「逆さ富士」は、ここから見た風景。
峠を越えると風景は一変する。南アルプスへとつづく山並みが幾重にもなって連なっている。谷が深く、山は険しい。峠下の集落が中ノ倉。さらに下ったところには下部温泉がある。その先で富士川を渡り、国道52号に出る。

54、籠坂峠(山梨・静岡)1104m

▲籠坂峠。峠を下ると山中湖。籠坂峠は富士五胡の入口だ

旧鎌倉往還(国道138号)で越える静岡・山梨県境(駿河・甲斐国境)の峠。正確にいうと、静岡県側から登っていくと、県境を越えてから峠に到達する。
甲州では煮貝が郷土料理になっている。煮貝というのは醤油味がほどよくしみ込んだアワビのことだ。海のない甲州でアワビが名物というのは、何ともおもしろいではないか。江戸時代、沼津の魚問屋が伊豆産の生アワビを極上醤油で加工し、樽詰めにして馬の背にのせ、籠坂峠を越えて甲州に送ったのが始まりだという。峠を越える頃には、最上の食べごろになっていたのだ。籠坂峠を下ると山中湖畔に出る。

55、割石峠(山梨・静岡)978m

▲割石峠。国道139号から見る富士山。さえぎるものは何もない

国道139号で越える静岡・山梨県境(駿河・甲斐国境)の峠。富士山の展望ポイントで、広々とした牧草地の向こうに富士山(写真)を見る。『ツーリングマップル』には「さえぎるもののない草原に富士山が雄大にそびえる」とのコメント。
峠から富士山の方向に延びる道を行くと、県道71号を横切り、富士高原道路でゴルフ場まで一直線に走れる。富士山に向かって走る気分は最高。感動のルートだ。

56、戸田峠(静岡)770m

▲戸田峠。修善寺温泉から戸田峠へ。ここは峠手前の直線路

修善寺温泉から西伊豆の戸田へ、県道18号で越える峠。伊豆市と沼津市の境。峠の手前には「だるま山高原レストハウス」があるが、そこからは駿河湾越しの富士山が見られる。峠上で絶景ルートの西伊豆スカイラインが分岐する。西伊豆スカイラインは国道136号の土肥峠(船原峠)に通じている。
そこからさらに西天城高原道路で風早峠へ。風早峠で県道59号に合流する。戸田峠の駐車場からは幾重にも重なりあった西伊豆の山々を見る。戸田の町並み、戸田漁港が見下ろせる。駿河湾の対岸の御前崎まで見える。

57、仁科峠(静岡)900m

▲仁科峠。仁科方向にわずかに下ったところで仁科峠を見る

西伊豆町の中心、仁科の町から県道59号で仁科峠へ。仁科川沿いの道。祢宜ノ畑温泉を通り、最奥の集落、宮ヶ原を過ぎると峠への一気の登り。伊豆市と西伊豆町の境の仁科峠には、「仁科峠」と彫り刻まれた石塔が立っている。峠の周辺は天城牧場の牧草地。峠からは西伊豆の山々を眺め、その向こうに広がる大海原を眺める。
仁科峠から西伊豆海岸の宇久須方向に下ったところには「牧場の家」がある。そこでは搾りたての牛乳が飲める。仁科峠を越えると風早峠までは稜線上を行く。風早峠からは湯ヶ島温泉へと一気に下る。

58、天城峠(静岡)834m

▲天城峠。古色蒼然とした旧道のトンネル。トンネル内は電気がついている

国道414号で越える中伊豆と南伊豆の境の峠。新道のトンネルはかつては有料だった。旧道のトンネルは1905年の完成で、古色蒼然としている。旧道の峠道はダートのままで残っている。天城峠といえば『伊豆の踊子』の世界。湯ヶ島温泉から湯ヶ野温泉へ、その間で越える峠が天城峠。
湯ヶ島温泉を過ぎると、伊豆第一の名瀑、浄蓮の滝があるが、その入口には「伊豆の踊子像」が建っている。天城峠を越えて南伊豆に入ると日差しは強くなり、常緑樹の緑がぐっと濃くなる。峠を下ったところには「七滝ループ橋」。ここには河津七滝もある。

59、さった峠(静岡)93m

▲さった峠。富士山が見える。足下を東名と国道1号が通っている

東海道第一の絶景峠。由比宿から狭路の峠道を登り、峠に到達。足下を東名が通り、トンネルで峠を抜けていく。東名の高架の下を通る国道1号は、そのまま海沿いを走り抜けていく。国道1号に沿ってJR東海道線が走っているが、ここは日本の大動脈だ。「この峠が崩れたら大変なことになるな」と、そんなことを考えながら絶景を眺める。
峠からは富士山がきれいに見える。その手前には愛鷹山。光り輝く駿河湾の対岸は伊豆半島の大瀬崎になる。伊豆半島の山々が大きく見える。さった峠を下ると興津宿だ。

60、宇津谷峠(静岡)151m

▲宇津谷峠。旧国道1号で大正トンネルを抜け、岡部宿に下っていく

丸子宿と岡部宿の間で越える東海道の峠。ここは峠のトンネルの展覧会場のようなところだ。明治、大正、昭和、平成と時代ごとの峠のトンネルが見られる。明治9年に完成した明治トンネルは日本最初の有料トンネル。大正トンネルは旧国道1号のトンネル。昭和トンネルは現国道1号の上り車線、一番新しい平成トンネルは現国道1号の下り車線だ。
江戸時代の旧東海道もこの峠を越えた。峠は切通しになっている。それ以前の平安時代の官道の「蔦の細道」も残されている。歩いて登る「蔦の細道」の峠からの眺めはすごくいい。写真は宇津谷峠を越える旧国道1号で、交通量はほとんどない。

61、新野峠(愛知・長野)1060m

▲新野峠。県境の峠から信州側に下っていくと新野高原が開ける

国道151号で越える愛知・長野県境(三河・信濃国境)の峠。三河側の豊根村と信濃側の阿南町の境になっている。豊橋で国道1号と分岐する国道151を北上すると、豊川、新城と通り、奥三河の山中に入っていく。太和金峠のトンネルを抜け、県境の新野峠に到達。峠を下ると開けた新野高原に入っていく。
そこには道の駅「信州新野千石平」があるが、新野高原は千石平といわれるほどの広さ。この地には「新野の雪祭り」や「新野の盆踊り」で知られる独特の文化が色濃く残っている。新野高原からさらに国道151号を行くと、天龍峡を通り、飯田の町に入っていく。

62、大弛峠(山梨・長野)中央分水嶺の峠2360m

▲大弛峠。川上牧丘林道で大弛峠を目指す。信州側はダートだ

川上牧丘林道で越える山梨・長野県境(甲信国境)の峠。山梨県側は全線舗装。長野県側(写真)は9・0キロのダート。大弛峠の標高は2360メートルで、自動車道の峠としては日本最高所峠になっている。峠からは信州の山並みを一望。奥秩父連峰の最高峰、北奥千丈岳(2601m)には峠から40分ほどで登れる。
大弛峠には山小屋がある。長野県側に下ると、廻り目平キャンプ場を通り、川上村の秋山に出る。

63、信州峠(山梨・長野)中央分水嶺の峠1470m

▲信州峠。県境の峠から山梨県側を下っていくと塩川ダムに出る

山梨・長野県境(甲信国境)の峠。県境越えの県道は多くが同じルートナンバーだが、ここは別々で、山梨県側は県道610号、長野県側は106号になっている。「信州峠」の名前がつくほどなので、古くから甲州と信州を結ぶ峠として使われていた。江戸時代、川上郷の木材は馬の背に積まれて信州峠を越え、甲府盆地へと下り、富士川の川舟で清水へ。さらに海路で江戸に運ばれた。
信州峠を越えて信州側に下っていくと、風景は一変する。川上郷の高原野菜畑が一面に広がっている。

64、野辺山峠(山梨・長野)中央分水嶺の峠1374m

▲野辺山峠。県境の峠を越えると平坦な野辺山高原。左手には八ヶ岳が見える

国道141号で越える山梨・長野県境(甲信国境)の峠。峠を越えた長野県側の野辺山高原からは、高原野菜の畑越しに八ヶ岳連峰を一望する。最高峰の赤岳(2899m)がよく見える。透き通るような高原の青空を背にした八ヶ岳は胸にしみ込むような美しさ。
国道141号の右手にはJR小海線が走っているが、そこにはJR最高地点碑が建っている。野辺山駅はJR最高所駅。野辺山高原のゆるやかな坂を下っていくと、急勾配の市場坂に突入。連続する急カーブを下ったところで、「信州の母なる」千曲川の流れに出会う。

65、麦草峠(長野)中央分水嶺の峠2127m

▲麦草峠。北八ヶ岳と南八ヶ岳を分ける峠。日本の第2位の国道高所峠

国道299号で越える八ヶ岳の峠。国道の峠としては、国道292号の渋峠(群馬・長野)に次ぐ高所の峠になっている。東信の佐久と南信の諏訪を分ける峠で、国道141号と分岐する八千穂から登っていく。中部横断道の八千穂ICを通るが、中部横断道はここから佐久南ICまでは無料区間。
ゆるやかな勾配のワインディングロードで高度を上げると、いかにも信州らしい白樺林の中に入っていく。樹林地帯を走り抜け、麦草峠に到達。峠には「麦草ヒュッテ」がある。「メルヘン街道」の国道299号を下っていくと、国道152号と合流し、茅野で国道20号に出る。麦草峠の峠越え区間は冬期閉鎖。

66、大門峠(長野)中央分水嶺の峠1441m

▲大門峠。峠道(国道152号)と山上道(ビーナスライン)が峠で交差する

大門街道(国道152号)の茅野市と長和町境の峠。東信と南信を分ける。峠上でビーナスラインと交差する。白樺湖がすぐ下に見える。その向こうには蓼科山(2530m)が大きく見える。大門峠から北へ、東信側に下っていくと、峠下で中山道(国道142号)と合流。
中山道と分かれ、上田市に入ると、丸子を通って大屋で北国街道(国道18号)に出る。大門峠から南へ、南信側を下っていくと国道299号と合流し、茅野で甲州街道(国道20号)に出る。大門峠は峠道と山上道(スカイライン)の十字路だ。

67、和田峠(長野)中央分水嶺の峠1520m

▲和田峠。旧道のトンネルが前方に見えている。上を通るのはビーナスライン

中山道(国道142号)で越える中山道の最高所峠。中山道最大の難所で、冬の峠越えで命を落とす旅人は少なくなかった。昔の旅は命がけだった。旧道は狭路のトンネルで峠を抜けるが、信号による一方通行になっている。旧道をまたぐビーナスラインと、峠で立体交差している。ビーナスラインの和田峠には、峠の茶屋「農の家」がある。「きのこ汁」が名物だ。
和田峠旧道を下諏訪側に下っていくと、前方に連なる南アルプスの山々が目の中に飛び込んでくる。石器時代に使われた黒曜石の大半は和田峠産。新道の新和田トンネルは有料だ。中山道の下諏訪宿に下ると、諏訪大社下社の秋宮のところで甲州街道にぶつかる。そこが甲州街道の終点になる。

68、塩尻峠(長野)中央分水嶺の峠999m

▲塩尻峠。横断歩道橋の上から見下ろす塩尻峠。前方が塩尻市側になる

中山道(国道20号)で越える峠。岡谷市と塩尻市の境で、諏訪盆地と松本盆地を分けている。諏訪は南信で、松本は中信。本来ならば西信になるところだが、松本は信州の中心という気負いがあるので、西信とはいわずに中信という。
塩尻峠を越えて、塩尻の町に下っていく。ここは太平洋からの塩の道と、日本海からの塩の道の接点。信州にはほかにも2ヵ所の「塩尻」がある。信州の「塩の道」はきわめておもしろい。

69、杖突峠(長野)1247m

▲杖突峠。「峠の茶屋」からの眺め。茅野の町の向こうに蓼科山から八ヶ岳を見る

国道152号で越える峠。「峠の茶屋」からの眺め(写真)は最高だ。八ヶ岳連峰から蓼科山、さらには霧ヶ峰へと、諏訪盆地を取り囲むようにして連なる山々を一望する。その麓に諏訪盆地が広がり、左手には諏訪湖が見える。「峠の茶屋」からわずかに登ったところが杖突峠。茅野市と伊那市の境になっている。峠の正面に見える守屋山(1650m)は、諏訪大社上社前宮の御神体になっている。杖突峠を越えると、城下町の高遠へと下っていく。

70、しらびそ峠(長野)1833m

▲しらびそ峠。すごい眺めだ。手前の立俣山の向こうに聖岳(3013m)を見る

高遠から国道152号を南下すると、分杭峠を越え、地蔵峠を越える。国道152号はここで分断され、舗装林道の蛇洞林道経由で上村(飯田市)へと下っていく。蛇洞林道と分岐する遠山林道でしらびそ峠へ。林道開設当時、峠の周辺はシラビソの原生林で覆われていたので、その名があるという。
峠の展望台からは南アルプスの高峰群を一望(写真)。赤石岳(3120m)から聖岳(3013m)へとつづく南アルプスの3000m峰を見る。何とも神々しい風景。ここから御池山林道で天空の里、下栗へと下っていく。下栗は「日本のチロル」といわれる。蛇洞林道、遠山林道、御池山林道はすべて舗装林道。下栗を下ると国道152号に出る。

71、九蔵峠(長野)1280m

▲九蔵峠。峠の展望台から一望する木曽のシンボルの御岳(3067m)

木曽福島から国道361号を行くと、まずは地蔵峠を越える。新道は新地蔵トンネルだが、旧道は峠越えルートで、峠には地蔵がまつられている。地蔵峠の展望台からは御岳(3063m)がよく見える。地蔵峠の次に越えるのが九蔵峠。
九蔵峠の展望台から見る御岳(写真)は迫力満点。御岳を見るのには最高の展望台。とくに連休明けの頃の、残雪の御岳は目に残る。九蔵峠から開田高原に下ると、そこから長峰峠を越えて岐阜県に入る。

72、安房峠(長野・岐阜)1790m

▲安房峠。「やったー!」。安房峠に到達すると岐阜県側の山並みをバックに万歳

国道158号の長野・岐阜県境(信濃・飛騨国境)の峠。安房峠道路(有料)のトンネルの完成によって、「松本~高山」間は通年、通行可となった。安房峠の魅力は何といっても旧道(冬期閉鎖)だ。安房山(2219m)北側の安房峠からの眺望は抜群。3000メートル級の穂高連峰の大展望台になっている。
左から右に西穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳と穂高連峰の峰々をあますところなく見ることができる。安房峠から岐阜県側に下ると奥飛騨の平湯温泉。平湯温泉からは平湯峠を越えて高山へと下っていく。

73、野麦峠(長野・岐阜)中央分水嶺の峠1672m

▲野麦峠。県境の峠に建つ「峠の茶屋」の「お助け小屋」

県道39号で越える長野・岐阜県境(信濃・飛騨国境)の峠。古くからの峠で、信州の正月には欠かせないブリも野麦峠を越えた。山国の飛騨でブリが獲れるはずもないが、信州人はそれを「飛騨ブリ」という。富山湾の氷見で獲れたブリは高山の問屋に送られる。高山からはボッカに背負われ、雪の峠を越えて信州へ。
富山では「氷見ブル」、高山では「越中ブリ」と呼ばれ、野麦峠を越えると「飛騨ブリ」になる。峠には「峠の茶屋」の「お助け小屋」(写真)がある。

74、長峰峠(長野・岐阜)1370m

▲長峰峠。県境の峠に到達。左手に見えているのは「峠の茶屋」

国道361号で越える長野・岐阜県境(信濃・飛騨国境)の峠。御岳北側の長峰峠は、北アルプスの南端に位置している。信州人は、長峰峠を越える街道を飛騨に通じているので飛騨街道と呼んでいる。飛騨人は、長峰峠を越えて木曽に通じているので木曽街道と呼んでいる。長峰峠は1本の街道を飛騨街道と木曽街道に分けている。
峠を越えて岐阜県側を下っていくと、最後に美女峠を越えて高山の町に入っていく。美女峠は中央分水嶺の峠。

75、倶利伽羅峠(富山・石川)277m

▲倶利伽羅峠。峠上の「火牛」。ここは源平の合戦の激戦地

富山・石川県境(加越国境)の峠。日本の東西の境を考えるのにはちょうどいい峠だ。日本海側で一番、はっきりとしている東西の境は親不知。ここを境にして越後は東日本的になり、越中は西日本的になる。その越中でも、神通川の左岸の呉羽丘陵を境にして、東日本的な呉東と西日本的な呉西に分けられる。そしてこの倶利伽羅峠。この峠を越えて加賀に入るともう完全に西日本の世界になる。
国道8号の旧道で天田峠に登り、そこから稜線上の道を行くと倶利伽羅峠に到達。峠には源平倶利伽羅合戦碑と五輪塔の源平供養碑が建っている。倶利伽羅峠は源平の古戦場。平安時代末期の寿永2年(1183年)、木曽義仲が率いる源氏軍と平維盛が率いる平家軍がこの地で激突。
平家軍が寝静まった夜間に義仲軍は仕掛け、伝説の「火牛攻め」で峠の断崖から平家の大軍を追い落とした。このあと木曽義仲は京に向けて進軍し上洛した。倶利伽羅峠には「火牛攻め」のモニュメント(写真)がある。

76、木ノ芽峠(福井)628m

▲木ノ芽峠。敦賀へ。旧道は石畳の峠道。新道は長大な木ノ芽峠トンネル

国道476号で越える峠。木ノ芽峠トンネルが峠を貫いている。北国街道の今庄宿まで来ると、行く手に立ちふさがるかのように、福井県を嶺北と嶺南に二分する大山塊が横たわっている。この大山塊を越える峠が木ノ芽峠。
歩かなくては越えられない峠だったが、国道476号の木ノ芽トンネルの開通によって、敦賀に抜けられるようになった。木ノ芽峠には旧道の石畳の峠道(写真)が残っている。福井県は越前と若狭の2国から成っているが、木ノ芽峠を越えた敦賀までが越前になる。

賀曽利隆

賀曽利隆 冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、アジア、ヨーロッパ、オーストラリア、北アメリカ、南アメリカと、バイクで世界の6大陸を駆けめぐる。
1975年の結婚後も旅をつづけ、赤ん坊連れでの「シベリア横断→サハラ砂漠縦断」を成しとげる。
1980年、鈴木忠男さん、風間深志さんとバイクでキリマンジャロ挑戦。1982年には風間深志さんと「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦を果たす。
1987年~1988年には「サハラ砂漠往復縦断」を成しとげる。
「30年代編日本一周」以降、10年ごとの「年代編日本一周」を繰り返し、2018年12月31日には1年4ヵ月に及ぶ「70代編日本一周」を終えた。
「年代編日本一周」とは別に、「島めぐり日本一周」、「温泉めぐり日本一周」、「林道日本一周」の「テーマ編日本一周」もおこなっている。2006年~2007年の「温泉めぐり日本一周」では1年間で3,063湯の温泉(温泉地)に入り、ギネスの世界記録に認定されている。『ツーリングマップル』の「東北」担当で、東北の道という道を精力的に走りまわっている。モットーは「生涯旅人!」

この著者の最新の記事

           

ウェビックパートナーストアでのアプリ初回利用で1,000ポイントが必ずもらえる!
ページ上部へ戻る