賀曽利隆の「日本16端紀行」東日本編1

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「日本16端紀行」西日本編4

さー、「日本16端紀行」の後半戦、「東日本編」の開始だ。西日本編では四国、九州の8端と本州の最西端、最南端の2端、合計10端を踏破した。残るのは本州の最東端、最北端の2端と北海道の4端、合計6端になる。

10月4日5時40分、相棒のVストローム250を走らせて、出発点の日本橋に到着。うれしいことにチョビデスさんが待ち構えてくれていた。途中まで一緒に走りたいという。どうぞ、どうぞ!ということでカソリのVストローム250が先頭を走り、チョビデスさんの車が後について走る。

▲日本橋を出発。「東日本編」の開始だ

日本橋からは国道6号(水戸街道)を行く。あいにくの天気でザーザー降りの雨。江戸川を渡って千葉県に入り、松戸、柏を通り、安孫子の「デニーズ」で朝食にする。冷たい雨に降られっぱなしだったので、ホッと一息つくことができた。

「デニーズ」の「朝食セット」を食べて元気が出たところで出発。利根川を渡って茨城県に入る。取手、土浦、石岡を通り、12時、水戸に到着。国道6号沿いの食事処「磯じん」で昼食。「天ざる」を食べたが、ざるそばに納豆がついているとこが水戸らしい。

▲水戸の「磯じん」で昼食。「ざるそばセット」を食べる

水戸を過ぎると天気が回復し、晴れてきた。日立を過ぎたところで、鵜ノ岬に寄る。
鵜ノ岬は名前通り、海鵜の飛来地。毎年、1羽ごとの許可証をもらい、「鵜捕り」がおこなわれている。トリモチをつけた竹ざおで獲る。長良川(岐阜)や肱川(愛媛)の鵜飼の鵜は鵜ノ岬で捕獲されたものだ。

「海鵜は慣らすまでが大変。最初の1週間ぐらいは死んでも食べてやるもんか、といった態度なので、口をこじあけてエサを入れます。口はカミソリのようによく切れるので、うっかりすると指を食いちぎられてしまいますよ」
と、そんな話を肱川の鵜匠から聞いたことがある。

「鵜の目 鷹の目」、「鵜のみにする」、「鵜のまねする烏」など鵜の習性がことわざになっているほど、日本人にとって鵜はなじみが深い。関東から東北にかけての太平洋岸には「鵜」のついた岬名や地名が数多くあるが、鵜ノ岬は日本の「鵜捕り」発祥の地なのである。

▲鵜ノ岬の石師浜海岸を歩く

17時、今晩の宿、平潟漁港温泉「友の湯」に到着。湯から上がると夕食。ここでは以前、「あんこう鍋」を食べたことがあるが、料理自慢の宿なのだ。メヒカリとホウボウの刺身、メヒカリの天ぷら、アカマコカレイの煮魚、ホウボウのあら汁、うに丼と、チョビデスさんと「友の湯」の夕食をおおいに楽しんだ。

▲今夜の宿、平潟温泉「友の湯」に到着

▲平潟漁港温泉「友の湯」の夕食

▲平潟漁港温泉「友の湯」の夕食

10月5日、平潟漁港温泉「友の湯」の朝湯に入り、朝食を食べ、8時30分に出発。国道6号で福島県に入ると、東北太平洋岸最南端の鵜ノ子岬でVストローム250を止めた。鵜ノ子岬の北側が東北の勿来漁港、南側が昨晩泊まった関東の平潟漁港になる。

▲東北太平洋岸最南端の鵜ノ子岬

鵜ノ子岬でチョビデスさんと別れると、国道6号を北へ。国道6号は陸前浜街道と名前を変える。いわき市を走り抜け、広野町から楢葉町に入る。そこには道の駅「ならは」がある。前回の「東北一周」(8月1日~8月10日)の時と同じように、道の駅「ならは」の温泉に入った。

▲道の駅「ならは」で温泉に入る!

さっぱりしたところで楢葉復興のシンボル、「ならはCANvas」の「みんなの交流館」へ。ここが「バイクフォーラムinならは2019」の会場。何度となく一緒に東北を走っている渡辺哲さんが出迎えてくれた。

▲「バイクフォーラムinならは2019」の案内

用意された昼食を食べたあと、13時、バイクフォーラム開始。まずはカソリの基調講演。「バイクで見続けてきた復興の軌跡」と題して、2011年3月11日の東日本大震災以降、何十回となくまわった東北の被災地の様子や復興の軌跡を話した。そのあとは楢葉町の松本幸英町長、被災地でのボランティア活動を続けている滝野沢優子さん、復興フラッグキャラバンを続けているHoshizouさんとのパネルディスカッション。渡辺さんが司会をしてくれた。「バイクフォーラムinならは2019」は16時、無事に終了。大変な思いをして準備を重ねてきた渡辺さんと、ガッチリ握手を交わすのだった。

講演会が終わったところで、JR常磐線の竜田駅に近い真言宗の寺、大楽院に移動。ここでは住職の酒主さんが境内の焚き火場で火を起こしてくれている。山のような焚き木も用意してくれている。バイクフォーラムに参加した大勢のライダーのみなさんも来てくれる。焚き火を囲みながらの交流会。飲みながら、食べながら、おおいに語り合う。ぼくは痛風に見舞われた以降、アルコールは断っているので、ひたすら麦茶を飲みつづけた。焚き火交流会は深夜までつづき、忘れられない楢葉の夜となった。

▲楢葉の大楽院の焚き火場と住職の酒主さん

10月6日。午前0時を期して楢葉の大楽院を出発。常磐富岡ICで常磐道に入ると、南相馬鹿島SAでしばしのゴロ寝。この頃から雨が降り出した。このあとは雨中を走りつづけることになる。仙台東部道路経由で三陸道に入り、三陸道の春日PAで2度目のゴロ寝。雨に濡れて体の芯まで冷えているので、眠りに落ちてもすぐに目がさめてしまう。まあ、仕方がないか…。

▲道の駅「三滝堂」。ここは三陸道につながっている

6時30分、三陸道の気仙沼中央ICに到着。ここからは国道45号を北上。県境を越えて、岩手県に入る。気仙大橋で気仙川を渡り、陸前高田の道の駅「高田松原」で止まった。ここは完成したばかりの新しい道の駅。大津波にやられた元の道の駅「高田松原」は震災遺構として残されている。新しい道の駅「高田松原」には東日本大震災伝承館の「いわてTUNAMIメモリアル」ができている。

▲完成した陸前高田の道の駅「高田松原」

▲道の駅「高田松原」の東日本大震災伝承館「いわてTSUNAMIメモリアル」

▲陸前高田の国道45号

陸前高田の「ファミリーマート」で朝食の「てんこ盛り弁当」を食べ、大船渡、釜石、大槌を通って山田へ。ここから県道41号で重茂半島に入っていく。目指すのは本州最東端のトドヶ崎だ。

▲山田湾の漁港

▲波静かな山田湾

曲がりくねった狭路を走り、海辺の小集落を見渡す高台に出た。そこには津波記念碑が建っていた。明治29年(1896年)6月15日の「明治三陸大津波」、昭和8年(1933年)3月3日の「昭和三陸大津波」、平成23年(2011年)3月11日の「平成三陸大津波」の記念碑だ。

「明治三陸大津波」の記念碑には「大津浪記念塔」と彫り刻まれている。
「昭和三陸大津波」の記念碑には「大地震の後には津浪が来る。地震があったら高い所へ集まれ。津浪の来る前には海水が引ける。遠くへ逃げては津浪に追い付かれる。近くの高い所を用意して置け。住宅は津浪浸水線より高い所へ。」と彫り刻まれている。
「平成三陸大津波」の記念碑には「津波到達地点」と彫り刻まれている。

▲重茂半島の津波記念碑

山田町から宮古市に入ると、少しは走りやすくなる。県道41号を右折。海岸に下ったところが姉吉漁港。山田から25キロの地点だ。
姉吉漁港近くの駐車スペースにVストローム250を止めると、トドヶ崎への山道を歩き始める。トドヶ崎までは3.7キロ。最初の登りがキツイ。0.55キロ地点が最高所で標高110メートル。そこを過ぎるとずいぶんと楽になる。

▲姉吉漁港にやってきた。ここからトドヶ崎へ

▲トドヶ崎への山道を歩く

姉吉から1時間30分歩いてトドヶ崎に到達。東北一のノッポ灯台を見て、岩場を歩くと本州最東端の地。大岩に「本州最東端の碑」のプレートがはめ込まれている。

▲トドヶ崎の東北一のノッポ灯台

▲トドヶ崎の本州最東端碑

トドヶ崎から姉吉漁港に戻り、県道41号で重茂を通り、津軽石で国道45号に出た。宮古に到着すると宮古漁港へ。道の駅「みやこ」(シートピアなあど)のレストランで遅い昼食。マグロとイクラ、ホタテの「三色丼」を食べた。

▲宮古漁港の魚市場前の岸壁

▲道の駅「みやこ」の「三色丼」

宮古を出発したのは15時45分。国道45号を北上。田野畑、普代、久慈と通り、青森県境に近い種市(洋野町)で夕食。ラーメン店「麺介」で「ホヤラーメン」を食べたが、ホヤの味が三陸海岸を強く実感させてくれた。

県境を越えて青森県に入り、八戸に到着したのは20時。JR八戸駅前の「東横イン」に泊まった。一日中、雨…。時々、晴れて青空が見えることもあったが、すぐにまた雨が降り出すという天気。寒い一日だった。

▲JR八戸駅前に到着。駅前の「東横イン」に泊まる

10月7日4時30分、八戸を出発。国道45号→国道338号で下北半島に入っていく。六ヶ所村の「ファミリーマート」で朝食の「幕ノ内弁当」を食べた。

▲尻屋崎への快走路を行く。交通量、極少!

下北半島北東端の尻屋崎に到着したのは7時45分。7時オープンのゲートを通り、寒立馬を見て岬突端の灯台前でVストローム250を止めた。尻屋崎が東北太平洋岸最北端になる。

▲尻屋崎入口のゲート。7時にオープン

▲尻屋崎の寒立馬

▲尻屋崎の灯台

尻屋崎から本州最北端の大間崎へ。津軽海峡を見ながら国道279号を走る。Vストローム250で切る風の中にヒバの香りが漂う。風雪に強いヒバは下北の特産。この地方では建築材にふんだんに使われている。

▲津軽海峡を見ながら走る

11時30分、北緯41度31分30秒の大間崎に到着。「本州最北端の地」碑から津軽海峡を眺める。目の前のクキド瀬戸を隔てて600メートルほど沖に浮かぶ弁天島には、大間崎の白黒2色の灯台が見える。その向こうの水平線上には、くっきりと北海道の山並みが見える。三角形の特徴のある山の姿は函館山だ。大間崎まで来ると、北海道は近い。対岸の汐首岬までは、わずか18キロでしかない。

▲本州最北端の大間崎。灯台の向こうに北海道が見えている

大間崎に来たからには大間マグロだ。食事処「大間んぞく」に入り、大奮発して「三色マグロ丼」(3400円)を食べた。大トロ、中トロ、赤身の大間マグロに大満足!

▲大間崎の「大間んぞく」で「大間マグロ」を食べる

▲「大間んぞく」の「三色マグロ丼」。大トロ、中トロ、赤身に大満足!

賀曽利隆

賀曽利隆 冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、アジア、ヨーロッパ、オーストラリア、北アメリカ、南アメリカと、バイクで世界の6大陸を駆けめぐる。
1975年の結婚後も旅をつづけ、赤ん坊連れでの「シベリア横断→サハラ砂漠縦断」を成しとげる。
1980年、鈴木忠男さん、風間深志さんとバイクでキリマンジャロ挑戦。1982年には風間深志さんと「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦を果たす。
1987年~1988年には「サハラ砂漠往復縦断」を成しとげる。
「30年代編日本一周」以降、10年ごとの「年代編日本一周」を繰り返し、2018年12月31日には1年4ヵ月に及ぶ「70代編日本一周」を終えた。
「年代編日本一周」とは別に、「島めぐり日本一周」、「温泉めぐり日本一周」、「林道日本一周」の「テーマ編日本一周」もおこなっている。2006年~2007年の「温泉めぐり日本一周」では1年間で3,063湯の温泉(温泉地)に入り、ギネスの世界記録に認定されている。『ツーリングマップル』の「東北」担当で、東北の道という道を精力的に走りまわっている。モットーは「生涯旅人!」

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