賀曽利隆の「日本16端紀行」西日本編2

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「日本16端紀行」西日本編1

9月15日、夜明けとともに大泊の「ホテル佐多岬」を出発。前日につづいて日本本土最南端の佐多岬に行く。

ぼくが初めて佐多岬に行ったのは「30代編日本一周」(1978年)の時のことだった。岬に立って東シナ海に沈む夕日が見たかったのだが、佐多岬入口の大泊に着いたときは17時を過ぎていた。当時、大泊-佐多岬間は有料の佐多岬ロードパークで、17時にはゲートが閉められた。

そこでまだ明るいうちから浜辺で野宿し、流木を集めて火を焚いた。暗くなると集落からは「夕焼け放送」が聞こえてきた。小中学生が交代で本を朗読する声が、スピーカーにのって流れてきた。漁港からは漁船が次々に出ていき、やがて黒々とした水平線上に、まばゆいほどの漁火がともった。翌朝8時にゲートが開くのを待って、往復400円の有料道路代を払い、佐多岬に向かったのだ。そんな思い出がつい昨日のことのように懐かしく思い出された。

▲佐多岬のガジュマルの大木

【関連コラム】
賀曽利隆のバイク旅(10)「日本一周」

大泊から佐多岬への道は現在は無料。佐多岬の駐車場に到着すると、新しく作られた展望台まで歩いていく。その途中では御崎神社を参拝。展望台に立つと、目の前の朝日に染まる岬突端の風景を眺めた。

▲佐多岬の御崎神社を参拝

▲佐多岬の展望台

▲佐多岬の展望台からの眺め。灯台が朝日に染まる

目の前の大輪島にある佐多岬灯台は慶応2年(1866年)、江戸幕府と米、英、仏、蘭の4ヵ国との間で取り決められた条約に基づいて、全国8ヶ所に設置された灯台の1つ。明治4年(1871年)の完成時は菜種油を使っていたという。
ここからは大隈海峡を隔てて種子島、屋久島、口永良部島が見えるのだが、残念ながら水平線上には靄がかかって島々は見えなかった。

佐多岬から「ホテル佐多岬」に戻ると、朝食を食べ、大泊漁港岸壁の「最南端ミーティング2019」の会場へ。日本各地から集まったライダーのみなさんたちとの楽しい歓談。我らライダー同士、話が弾む。

▲「ホテル佐多岬」の朝食。風間深志さんと一緒に食べる

▲前夜の熱き余韻の残る「最南端ミーティング2019」の舞台

8時30分、主催者の風間深志さんの挨拶のあと、ブリーフィングがあって、ツーリングラリー「SOUTHERN24」の開始。11時にゼッケン番号順に走り出す。各人のルートで日本本土最西端の神崎鼻を目指すのだ。制限時間は24時間。
カソリは「中央ルート」を行く。SSTRと同じ100番のゼッケンをVストローム250に貼って出発だ。

神崎鼻までの間には「なんたん市場」(鹿児島県南大隅町)、「道の駅たるみず」(鹿児島県垂水市)、「花の駅生駒高原」(宮崎県小林市)、「いくばい益城笑店街」(熊本県益城町)、「風の里キャンプ場」(熊本県西原村)、「道の駅させぼっくす99」の6地点のチェックポイントがあり、ラリー帳にスタンプを押し、神崎鼻に近い「長串山公園」(長崎県佐世保市)にゴールするのだ。

▲ツーリングラリー「SOUTHERN24」、スタート!

大泊から県道68号で佐多へ。佐多からは国道269号を北上し、根占温泉「ネッピー館」に隣り合った「なんたん市場」でラリー帳に最初のスタンプを押した。

国道269号で南大隅町から錦江町に入る。根占は南大隅町、大根占は錦江町になる。鹿屋市に入り、鹿屋の町へ。ここでは海上自衛隊鹿屋航空基地にある「鹿屋航空基地資料館」を見学。館内には復元された零戦が展示されている。

▲鹿屋の海上自衛隊鹿屋航空基地

▲「鹿屋航空基地資料館」に展示復元されている零戦

鹿屋基地からは太平洋戦争中、1000人を超える神風特攻隊の隊員が飛び立った。その資料が多数、展示されている。前庭には海上自衛隊の対潜哨戒機P-2Jや救難飛行艇のUS-1Aなどが展示されている。見学を終えたところで、資料館前の「鹿屋市観光物産総合センター」内のレストランで昼食。「鹿屋海軍カレー」を食べた。

▲これが「鹿屋海軍カレー」だ!

鹿屋からは国道220号を行く。垂水の町を走り抜け、桜島への道との分岐を過ぎ、2番目のチェックポイント、道の駅「たるみず」に到着。ラリー帳にスタンプを押す。ここには温泉施設「湯ったり館」があるが、残念ながら入っている時間はないので、足湯につかった。

▲桜島を見ながら国道220号を走る

▲第2番目のチェックポイント、道の駅「たるみず」に到着

国分(霧島市)で国道10号に合流すると、国分ICから高速道に入る。東九州道→九州道→宮崎道と走りつなぎ、小林ICで高速道を降りた。ここから、えびのスカイラインの県道1号で生駒高原へ。3番目のチェックポイント、花の駅「生駒高原」でラリー帳にスタンプを押した。ここではマンゴーのソフトクリームを食べてひと息、入れた。生駒高原といえばコスモスだが、コスモスの花が咲き始めていた。

▲第3番目のチェックポイント、花の駅「生駒高原」ではマンゴーのソフトクリームを食べてひと息、入れた

小林ICに戻ると宮崎道→九州道→九州中央道と高速道を走りつなぎ、小池高山ICで高速道を降り、国道443号で益城へ。熊本地震で大きな被害を受けた益城町だが、中心地の木山にある「いくばい益城笑店街」が4番目のチェックポイント。ここではプレハブの仮設商店街にある「きやま食堂」で「海鮮焼きそば」を食べ、スタンプの代わりに経営者の岩崎さんの印鑑を押してもらった。

▲国道443号で益城の町に向かっていく

▲ここが第4番目のチェックポイントの「いくばい益城笑店街」

▲「いくばい益城笑店街」の「きやま食堂」

▲「木山食堂」で食べた「海鮮焼きそば」。おかみさん、おいしかったですよ!

益城を出発。夕暮れの阿蘇に向かってVストローム250を走らせる。県道28号で西原村に向かったのだが、通行止でう回路に入った。ところが道を間違え、阿蘇山麓をウロウロ走りまわってしまった。

▲益城からは県道28号で阿蘇に向かっていく

▲県道28号を赤く染めて、夕日が落ちていく

▲県道28号、通行止…

やっとの思いで5番目のチェックポイント、「風の里キャップ場」の近くまで来たのだが、またしても道を間違えてしまった。何ともありがたいことに、農作業を終えたトラクターが道案内をしてくれた。その後について走り、「風の里キャンプ場」に到着。トラクターと一緒に走るのは我がバイク人生でも初めての経験。

▲何度も道を間違えて、やっとの思いで第5番目のチェックポイント、「風の里キャンプ場」に到着

「風の里キャンプ場」にはスタンプはないので、ラリー帳にはキャンプ場の管理人、小城さんの印鑑を押してもらった。 西原村から国道57号に出ると、熊本ICで高速道に入る。九州道→長崎道と走り、武雄JCTから西九州道に入る。ここでVストローム250は11万キロを突破。
「やったね!」
と雄叫びを上げるカソリ。

▲武雄JCTから西九州道に入る。西九州道は大分、完成している

佐世保を通過し、相浦中里ICで西九州道を降り、第6番目のチェックポイント、道の駅「させぼっくす99」へ。ラリー帳に最後のスタンプを押した。ここのスタンプは高速道のSAやPAと同じように、24時間押せる。

▲最後のチェックポイント、道の駅「させぼっくす99」に到着

意気揚々とした気分で相浦中里ICに戻り、西九州道の終点、佐々ICへ。今晩の宿、佐々IC近くの「パラダイスイン」に到着したのは24時30分。ベッドに横になると、すぐさま深い眠りに落ちていった。

▲ひと晩泊った佐々町の「パラダイスイン」を出発

翌朝は夜明け前に起き、夜明けとともに出発し、日本本土最西端の神崎鼻に立った。神崎鼻も佐多岬と同じように、「30代編日本一周」(1978年)の時に初めてやってきた。

▲日本本土最西端の神崎鼻のある神崎漁港にやってきた

北松浦半島の神崎鼻は日本本土最西端とはいっても、最北端の宗谷岬、最東端の納沙布岬、最南端の佐多岬に比べると、あまり知られていない。「30代編日本一周」のときは、神崎鼻をみつけるまでが大変だった。町役場で聞いてみてもよくわからない。地図で見当をつけて神崎漁港まで行って、浜で魚を干していたオバチャンたちに聞いたが、地元の人たちでさえ、ここが日本本土最西端の地であることを知らなかった。目の前の西の海に平戸島が横たわっているので、最西端の意識がないのは当然のことだった。

やっとの思いで神崎鼻に立つと、そこには波風にさらされて白いペンキのはげかかった木標が立っていた。木標にはかすかに読める字で、「本土最西端 神崎鼻」と書かれてあった。それを見たときの感動は今でも忘れない。

10年後の「40代編日本一周」でも神崎鼻には行った。神崎鼻は劇的に変わり、町の案内図にはひときわ目立って「日本本土最西端の地」が書き込まれ、神崎鼻に入る道の角には「日本本土最西端の地・入口」の看板が立っていた。

▲「神崎鼻公園」の案内図

神崎漁港まで来ると、神崎鼻への案内板が立ち、遊歩道を歩いた行き止まりに地点には「日本本土最西端の地 北緯35度12分53秒 東経129度33分17秒」と掘り刻まれたモニュメントが海を見下ろす岩の上に建っていた。

▲神崎鼻の「日本本土最西端の碑」

▲神崎鼻の展望台からの眺め。目の前に平戸島が横たわっている

さらにその10年後の「50代編日本一周」では、岬の台地上に「神崎鼻公園」ができていた。きれいに整備された公園。公園内の「四極交流広場」には、日本本土最東西南北端の4極を示すモニュメントもできていた。
その後、「60代編日本一周」、「70代編日本一周」でも行っている。神崎鼻は我が「日本一周」の定番ポイントだ。

▲神崎鼻の「四極交流広場」

神崎鼻から長串公園へ。8時30分、長串山公園の「最西端ミーティング2019」会場にゴール。大泊の「最南端ミーティング2019」の会場を出発してから21時間30分後のことで、走行距離は559キロになった。

▲長串山公園には「SOUTHERN24」を走ったバイクが続々とゴールする

▲長串山公園での「最西端ミーティング2019」のイベント開始。地元のみなさん方の熱烈歓迎には大感動!

長串山公園での「最西端ミーティング2019」のイベントが終了したのは15時。
すぐさま長串山公園から懇親会会場の小浜温泉(雲仙市)に移動する。といってもそう簡単なことではない。佐世保から国道205号を南下。東そのきICで長崎道に入り、諫早ICで降り、諫早からは国道57号を南下する。

▲佐世保から諫早へ、一気に走る

長串山公園から217キロ走って18時30分、小浜温泉に到着。懇親会会場の温泉ホテル「うぐいす屋」の大浴場の湯につかったときは心底、ホッとした。

▲懇親会の会場、小浜温泉「うぐいす屋」に到着

▲小浜温泉「うぐいす屋」の大浴場の湯にどっぷりつかる

湯から上がると大宴会、開始。主催者の風間深志さんや風間晋之介さん、ゲストの福山理子さん、大勢の参加者のみなさんたちとの大宴会は大盛り上がりだ。同じ体験をした者同士、話は尽きない。我らライダーはノリがいいのだ!

▲ツーリングラリー「SOUTHERN24」の懇親会は大盛り上がり!

▲これが「SOUTHERN24」のラリー帳。チェックポイントのスタンプの押されたラリー帳は最高の旅の思い出になる

【関連コラム】
賀曽利隆 の「70代編日本一周」 V-ストローム250を相棒に、30代編から40年の変化を感じる旅へ

賀曽利隆

賀曽利隆 冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、アジア、ヨーロッパ、オーストラリア、北アメリカ、南アメリカと、バイクで世界の6大陸を駆けめぐる。
1975年の結婚後も旅をつづけ、赤ん坊連れでの「シベリア横断→サハラ砂漠縦断」を成しとげる。
1980年、鈴木忠男さん、風間深志さんとバイクでキリマンジャロ挑戦。1982年には風間深志さんと「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦を果たす。
1987年~1988年には「サハラ砂漠往復縦断」を成しとげる。
「30年代編日本一周」以降、10年ごとの「年代編日本一周」を繰り返し、2018年12月31日には1年4ヵ月に及ぶ「70代編日本一周」を終えた。
「年代編日本一周」とは別に、「島めぐり日本一周」、「温泉めぐり日本一周」、「林道日本一周」の「テーマ編日本一周」もおこなっている。2006年~2007年の「温泉めぐり日本一周」では1年間で3,063湯の温泉(温泉地)に入り、ギネスの世界記録に認定されている。『ツーリングマップル』の「東北」担当で、東北の道という道を精力的に走りまわっている。モットーは「生涯旅人!」

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