賀曽利隆の「世界一周」(1971年~1972年)アフリカ編

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「世界一周」(1971年~1972年)アジア編

「アジア編」につづいての「アフリカ編」だ。サウジアラビアのジッダ港から船で紅海を渡り、スーダンのポートスーダン港に上陸した。まずは「アフリカ横断」だ。スズキのハスラー250を走らせ、際限なくつづく砂道を行く。

▲ポートスーダンからの砂道を行く(スーダン)

深い砂に行く手をはばまれると、ハスラーを降りて押した。40度をはるかに超える猛暑の中での砂との戦いに、もうヘトヘトクタクタになった。それだけに、ナイル川の河畔に出たときはうれしかった。

スーダンの首都ハルツームからスーダン西部へ。風景は砂漠からサバンナに変る。雨期が終わったばかりで、あたりは一面の湿地帯。遊牧民の少年の案内で道なき道を行き、スーダンから中央アフリカに入った。

▲スーダン西部のラヘデルベルディ村の市場で(スーダン)

▲一晩、泊めてもらった家で(中央アフリカ)

中央アフリカ北部の町、ビラオから南下したのだが、すさまじい道だった。
風景はサバンナから熱帯雨林に変った。深い森の中に、いまにも消えそうな轍が続く。象が多く、いたるところに象の道がある。アフリカ象の荒々しさを見せつけるかのように、竹藪はメチャクチャに荒らされ、巨木が根こそぎ倒されていた。

森の中の道は曲がりくねっており、おまけに狭いので、象が横切っても遠くからは見つけにくい。象と衝突するのではないかと不安をかかえながらハスラーを走らせた。

道は平地から山地に入っていく。すると今度はツェツェ蝿が多くなる。ツェツェは「眠り病」を媒介する恐ろしい蝿。蝿というより虻だ。道が比較的いいところだとスピードを出せるので、あまりツェツェ蝿にはやられない。だが谷間に下りていくところや急な斜面を登っていくところ、大岩がゴロゴロしているようなところ、川や湿地を越えるところなどでは極端にスピードを落とさなくてはならないので、ツェツェ蝿の猛攻にあった。顔や首すじ、手首と、皮膚の露出している部分は無惨なほどにやられた。刺されたときは痛痒いのだが、日本の虻と同じで、そのあとは猛烈に痒くなり、それが何日もつづく。本気になって「眠り病」を心配した。

この一帯は美しい蝶の楽園。溜り水に群がる色とりどりの蝶はこの世のものとは思えないほどで、苦しいツェツェ蝿との戦いをしばし忘れさせてくれた。

▲渡し船に乗って対岸に渡る(中央アフリカ)

中央アフリカからカメルーンに入り、ドアラに到着すると、ギニア湾の海辺に立った。紅海を出発してから45日目のことだった。

▲村の小学校で。全校生徒と記念撮影!(カメルーン)

▲一晩、泊めてもらった家で(カメルーン)

▲道端での即席の演奏会!(カメルーン)

カメルーンのドアラを出発するとナイジェリアに入り、ギニア湾岸のラゴスから地中海を目指して北へ。「アフリカ横断」の次は「サハラ砂漠縦断」だ。ナイジェリア北部のカノを通り、ニジェールに入ると砂が多くなる。ラゴスから1,500キロ、ジンデールの町を過ぎたところで舗装が切れた。砂深い道で、何度かハスラーを押した。

▲ラゴスのバスターミナル(ナイジェリア)

▲野火の中を行く(ナイジェリア)

▲羊と山羊の群れを追う遊牧民(ナイジェリア)

▲北部ナイジェリアの中心地、カノの市場(ナイジェリア)

▲サハラの遊牧民(ニジェール)

ニジェール北部の中心地、アガデスに到着。ここはサハラ砂漠の玄関口のようなところで、アルジェリア南部の中心地タマンラセットまでの960キロ間はガソリンの補給がまったくできない。

▲サハラ砂漠縦断路の玄関口、アガデスに到着(ニジェール)

▲ラクダの隊商が行く(ニジェール)

ハスラーの燃費をリッター20キロで計算すると50リッター、予備として20リッター、合計70リッターのガソリンが必要だ。ハスラーのタンクが9リッター、手持ちのポリタンが20リッターなので、あと40リッターのガソリンを持たなくてはならない。

ぼくはまず、アガデスの町中をかけずりまわり、タマンラセットに行くトラックを探した。2日後にタマンラセットに向けて出発するトラックを発見。オーナー兼運転手のハブーシさんはアルジェリア人。どうか荷物を運んでくださいと懇願した。ハブーシさんは「こんなバイクでサハラを越えられるわけがない」と言って、引き受けてはくれない。

「お願いしますよ、ハブーシさん。いままでこのバイクで、ずっとアフリカを旅してきたのです。こいつはすごいやつなんですよ」

ハブーシさんはついに根負けしたようで、「しょうがないな、やれやれ、たいへんな荷物を背負いこんだものだ」といわんばかりの顔つきでOKしてくれた。次はポリタンだ。お金を出せばポリタンは手に入るが、タマンラセットに着けばいらなくなるものに一銭も使うことはできない。再びアガデスの町中をかけめぐり、40リッターのガソリンを入れる容器を探した。

解体屋のおやじさんに25リッターのオイルカンをもらい、中をきれいに洗って20リッターのガソリンを入れ、木に布を巻いて栓をした。雑貨屋のおやじさんが穴のあいた24リッターのポリタンを持っていたので、それを洋服と交換し、穴をローソクでふさいで24リッターのガソリンを入れた。これで73リッターのガソリンを用意できた。

最後はハスラーの整備だ。BPのガソリンスタンドに行き、その一角を借りて整備を開始。シリンダー・ヘッドをあけてカーボンを落とし、キャブレターをはずして掃除し、プラグ交換、エアー・クリーナーの掃除、チェーン調整をした。

タマンラセットに向かうハブーシさんのトラックと一緒にアガデスの町を出発したのは1972年1月15日の夕刻のことだった。
広大なサハラに、はてしなく一本の道が延びている。夕空に、大きな禿鷹が数羽舞っていた。

▲トラックと一緒にサハラを走る(ニジェール)

▲これがサハラ砂漠縦断路(アルジェリア)

▲サハラ砂漠縦断路の道標(アルジェリア)

▲サハラ砂漠縦断路を北へ(アルジェリア)

アガデスから130キロ、すっかり暗くなったころ、インガル村に着いた。なつめやしの茂るワジ(涸川)沿いのオアシス。ハブーシさんはここで羊と馬を積むのだ。この村の長老の家に招かれ、ぼくもハブーシさんと一緒に夕食をいただいた。インガル村には1日滞在し、40頭の羊と1頭の馬を積み、タマンラセットに向けて出発した。

ハブーシさんと助手のリットニ、乗客のトアレグ族の青年4人、それとトラックの前をハスラーで走るカソリの計7人での「サハラ砂漠縦断」だ。

▲荷物満載のサハラ縦断のトラック(アルジェリア)

▲サハラの分岐点(アルジェリア)

水は200リッターのドラムカン1本と、30リッターは入る羊の皮袋が3個積んでいる。朝、昼、晩の3度、サハラの砂の上で、一緒に積み込んだたき木を燃やし、リットニが食事を作る。

食事の前には必ずお茶を飲む。茶、それはサハラの住民にとって、命に次いで大事なもの。それほどよく飲む。遊牧民のテントに客として招かれると、まっさきにお茶を出される。中国製の緑茶で砂糖を入れる。小さな急須と小さなコップで、時間をかけて3度飲む。この極度に乾燥した荒々しい大自然の中でも、サハラの住民は悠然と、余裕をもって生きている。それがぼくにとっては驚きだった。

サハラでの夕食を食べ終わると、降るような星空のもとで、たき火を囲みながら何するでもなしに火にあたる。「火って、なんていいんだろう!」と、そう思わずにはいられない。たき木が燃えつきると、砂の上に毛布を広げ、眠りにつくのだ。

翌日は広大なサハラを行く。草木一本見えない、まっ平な大地をひた走る。ハスラーの巻き上げる砂煙は長く尾を引く。はるか遠くには、ハブーシさんのトラックが走っている。どこでも自分の好きなところを、好きなように走ることができる。それがサハラの道!

昼前、トラックは止まった。リットニは火をたく。ハブーシさんは荷台から羊を一頭ひきずり下ろす。羊は悲しそうな声をあげる。これから何をされるのか知っているからだろう、その声に合わせて、他の羊たちも鳴いた。

ハプーシさんは腰からナイフを抜く。羊は全く逃げようとしない。すばやく羊の首を切った。まっかな血が吹き出し、あっというまに砂にしみこんでいく。バタバタと最後のあがきをしていた羊は、ピクッと大きく跳ねると、それっきり動かなくなった。

ハブーシさんは腹から開きはじめ、実に手ぎわよく皮をはぐ。首を切り落とし、腸や内臓を取り出す。羊は全く原形をとどめなかった。サンドマット(穴がいくつもあいている細長い鉄板。トラックが砂に埋まったとき使う)を敷くと、その下に穴を掘って火を移し、羊の肉を焼いた。すべてが、あっというまの出来事だった。

アガデスを出発してから5日目、ハブーシさんのトラックとカソリのハスラーは、無事、タマンラセットに着いた。「サハラ砂漠縦断」の最大の難関を突破した。町の人たちはハスラーを見て、「コレでほんとにアガデスからやってきたのか!」と目を丸くした。

ハブーシさんに見送られてタマンラセットを出発。地中海まではあと2,000キロだ。北回帰線を越え、北上するにつれて朝晩の冷え込みが厳しくなる。

▲サハラの北回帰線(アルジェリア)

日の出前の気温は氷点下まで下がった。夕日が地平線に沈みかけるころハスラーを止める。砂の上にナイロン製のシートを広げ、その上に寝袋を敷く。そしてありったけの洋服を着込み、手袋をする。靴下を何枚もはき、さらに体を毛布で包み込んで寝袋に入る。それでも寒くて寒くて、夜中に何度も目をさました。

寒さはまだなんとか我慢できるのだが、非常に耐えがたいのは静寂だ。ハスラーのエンジンを止めると同時に、シーンと静まり返ったサハラに、押しつぶされてしまいそうになる。音がまったくしないのは、じつに恐ろしいことだった。

▲サハラの一夜の宿(アルジェリア)

▲砂に埋もれたサハラのオアシス。ここはインサーラの町(アルジェリア)

▲サハラの大砂丘群(アルジェリア)

▲サハラの砂丘の下で(アルジェリア)

毎日毎日、砂にまみれ、朝晩の寒さに震えながら、地中海目ざして北に進んだ。ラグアットの町に近づくと、地平線上にうっすらと山影が見えてきた。

「アトラス山脈だ!」

それは「サハラ砂漠縦断」の終わりを意味するアトラス山脈。アルジェリアのアトラス山脈は2本の山脈に分かれている。サハラに近いほうがアトラス・サハリアン、地中海に近いほうがアトラス・テリアン、2本の山脈の間は平らな台地になっている。

▲アトラス山脈に入っていく(アルジェリア)

アトラス山中に入っていくにつれて、目にみえて緑がふえてくる。鮮やかな変わりかただ。冬のアトラスは寒い。ジェルファの町に近づくと雪が降り始めた。

アトラス・サハリアンよりもさらに高いアトラス・テリアンに入ると、寒さはさらに厳しくなり、一面の銀世界になる。ハスラーのハンドルを握る手の指先は冷たくて、ちぎれんばかりに痛んだ。山道をさらに登ると、吹雪になった。寒くて寒くて、もうどうしようもない。

メデアの町に着くと、カフェに飛び込んだ。震えが止まらず、歯がカチカチなって、話すこともできない。手はすっかりかじかみ、ヘルメットを脱ぐこともできない。そんなぼくの姿を見て、店の主人は洗面器にお湯を注いでくれた。その中に手を入れ、赤々と燃えるストーブをかかえ込むと、やっと人心地がついた。

メデアから地中海沿岸の平野におりていく。雪は雨に変わった。アトラス山脈を越えると、雲の切れめから弱々しい冬の日がさしていた。アトラスの北側は、緑したたる沃野、オレンジの緑が、牧草の緑が、小麦の緑が、砂ばかり見続けてきた目には、なんともいえず新鮮に映った。

アルジェリアの首都アルジェに到着すると、地中海の浜辺に立った。岩の上に座り、寄せては返す波をあきず眺めた。

▲アルジェリアの首都アルジェに到着

▲アルジェで見る地中海(アルジェリア)

冷たい北風が吹きまくっている。暑くてやりきれなかったドアラの海岸を思い出す。サハラの南と北ではあまりにも違う。カメルーンのドアラを出てから27日目、6,578キロを走ってのアルジェ到着だった。

このあとも、さらに「サハラ砂漠縦断」はつづく。アルジェの日本大使館でハスラーをあずかってもらうと、ヒッチハイクで「アルジェ→ダカール(セネガル)」、「ガオ(マリ)→アルジェ」と2本のルートでサハラ砂漠を縦断するのだった。

「サハラ砂漠縦断」を終えてアルジェに戻ると、地中海沿いにモロッコへ。ジブラルタル海峡をフェリーで渡ってヨーロッパに入るのだった。

▲トレンセンのガソリンスタンドで(アルジェリア)

▲アトラス山脈の山中を行く(モロッコ)

▲道端で花を売る少年たち(モロッコ)

▲フェリーに乗ってヨーロッパへ(スペイン領セウタ)

賀曽利隆

賀曽利隆 冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、アジア、ヨーロッパ、オーストラリア、北アメリカ、南アメリカと、バイクで世界の6大陸を駆けめぐる。
1975年の結婚後も旅をつづけ、赤ん坊連れでの「シベリア横断→サハラ砂漠縦断」を成しとげる。
1980年、鈴木忠男さん、風間深志さんとバイクでキリマンジャロ挑戦。1982年には風間深志さんと「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦を果たす。
1987年~1988年には「サハラ砂漠往復縦断」を成しとげる。
「30年代編日本一周」以降、10年ごとの「年代編日本一周」を繰り返し、2018年12月31日には1年4ヵ月に及ぶ「70代編日本一周」を終えた。
「年代編日本一周」とは別に、「島めぐり日本一周」、「温泉めぐり日本一周」、「林道日本一周」の「テーマ編日本一周」もおこなっている。2006年~2007年の「温泉めぐり日本一周」では1年間で3,063湯の温泉(温泉地)に入り、ギネスの世界記録に認定されている。『ツーリングマップル』の「東北」担当で、東北の道という道を精力的に走りまわっている。モットーは「生涯旅人!」

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