賀曽利隆の「70代編日本一周」第2部(下)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「70代編日本一周」第2部(上)

▲カソリ、20歳の旅立ち。TC250での「アフリカ一周」。モザンビークで

我が「バイク旅人生」は1968年4月12日に旅立った「アフリカ一周」に始まります。カソリ、20歳の時のことでした。

スズキの250ccバイク、TC250で2年間をかけての「アフリカ一周」。日本に帰ってきたときは22歳になっていました。そのときぼくは「こんなにおもしろいことはない。これからはバイクで世界を駆けまわるぞ~!」と、22歳の誓いをたてたのです。その「22歳の誓い!」どおりというか、「アフリカ一周」にひきつづいて「世界一周」、「六大陸周遊」と、世界を駆けめぐったのです。

20代のカソリの世界旅は超貧乏旅行の連続で基本は宿泊費はゼロ。1,000夜以上の野宿をしました。

ぼくが日本に目を向けたのは20代も後半になってからのことでした。そのときに、日本をテーマで見ていこうと思いたったのです。そして「峠越え」や「温泉めぐり」、「岬めぐり」などをテーマにして日本を走り始めたのです。「日本一周」も日本を見るためのテーマのひとつでした。

▲ハスラー50(空冷)での「30代編・日本一周」。スズキの本社前で

20代は世界でしたが、30代は日本に夢中になりました。40代、50代は日本と世界をキャッチボールするような感じで、日本を見た目で世界を見る、世界を見た目で日本を見る、それをくりかえしました。60代以降は日本に比重をおいた旅をつづけています。

下記の賀曽利隆の「日本一周」一覧を見ていただきたいのですが、ぼくにとっての最初の「日本一周」は30代編でした。今となっては「20代編の日本一周をやっておけばよかったなあ…」といった悔やむ気持ちもあります。

▲「30代編・日本一周」。信州・切明温泉の露天風呂(無料湯)に入る

30代編日本一周にひきつづいて40代編、50代編、60代編、70代編と「年代編・日本一周」をつづけてきました。その間には「島めぐり日本一周」、「温泉めぐり日本一周」、「林道日本一周」の「テーマ編・日本一周」があります。
10年ごとの「年代編・日本一周」は、まさに我が人生の節目を見るかのようです。

「30代編・日本一周」は妻と生後10ヵ月の赤ん坊を連れての「シベリア横断→ヨーロッパ→サハラ砂漠縦断」の旅から帰ったあとのことでした。出発したときは3人家族だったのですが、帰国したときは3人半。2人目の子供が誕生したのを見届けると、家にあった10万円を旅の資金にし、妻には「わるいな、それでは行ってくるから!」と言い残して旅立ちました。全費用10万円の日本一周なので、全泊野宿でした。

「40代編・日本一周」は出発直前に胸の腫瘍がみつかり、「あー、我が人生もこれで終わりか…」と、じつに暗い気持ちで旅立ちました。しかし「日本一周」を走り切ると、気持ちだけは元気になり、その翌年には「日本一周」の50ccバイク、ハスラー50で「ロサンゼルス→カルカッタ」の「世界一周」を成しとげるのでした。

▲ハスラー50(水冷)での「40代編・日本一周」。四国の石鎚山麓で

▲「40代編・日本一周」の翌年は「世界一周」。トルコのボスポラス海峡で

とはいっても40代の10年間は「死の恐怖」に怯えながらの旅の連続でした。40代の後半になって胸の腫瘍を除去してもらったときは、「これでまだまだ、大丈夫!」と生き返るような思いでした。胸の腫瘍はゆで卵大の大きさでしたが、幸いなことに良性でした。

「50代編・日本一周」の出発は1年、遅らせました。何と50代に突入してまもなく、心臓発作に見舞われ、家の階段も登れなくなってしまったのです。なんとかバイクに乗れるくらいまで回復したあとは重度の不整脈に襲われました。医師はまるで人ごとのように、「よくこれで普通の生活が送れますね」というばかりでした。

そんな重度の不整脈を抱えての旅立ちでしたが、出発点の東京・日本橋を旅立ってから13日目、四国の四万十川沿いの道を走っているときに、不整脈はピタッと止まったのです。病院では治せなかった不整脈がバイクで治ったのです。それから20年間、不整脈は一度も出ていませんし、心臓発作の再発もありません。

▲DJEBEL250での「50代編・日本一周」。西鹿児島駅前で

▲「50代編・日本一周」のゴールシーン。東京・日本橋に到着

「60代編・日本一周」は「還暦」との戦いでした。還暦が重圧となって、重くのしかかってくるのでした。自分自身で「もう年だから、ダメかな…」と思い込んでしまったのが原因です。

ところが日本一周を走り切り、その重圧を乗り越えたとき、新たな地平が目の前に開けていました。「そうだ、還暦だから元に戻れるのだ、自分の原点は20歳。20歳に戻ろう!」と思ったときの気持ちの軽さといったらありませんでした。新たなパワーを得ると、その翌年には日本一周の第2部を開始。「四国八十八ヶ所めぐり」や「東北四端紀行」、「北海道遺産めぐり」などいくつかのテーマで日本をまわるのでした。

▲アドレスV125Gでの「60代編・日本一周」。門司港駅前で

▲「60代編・日本一周」。地吹雪の国道238号で日本最北端の宗谷岬を目指す

今回の「70代編・日本一周」は、まさに「老いとの戦い」の連続でした。日々、迫りくる老いをいやでもおうでも感じざるをえませんでした。

▲「70代編・日本一周」。東京・日本橋を出発。さー、行くぞ~!

それを象徴するのが最後の「伊豆半島一周」での転倒でした。といってもバイクでの転倒ではなく、歩いている最中のことなのです。縁石に足をひっかけて吹っ飛んでしまいました。自分の体の反射神経が鈍くなっているのがよくわかりました。全身を強打。「あー、これで日本一周も終わりか」と一瞬、目の前が暗くなりましたが、さすが「強運カソリ」、骨を折ることもありませんでした。それが唯一の救いでした。

こうして迫りくる老いを乗り越えて日本橋にゴールしたのですが、
「これで70代もバイクに乗り続けられる」、
「よーし、今度は『80代編・日本一周』を目指そう!」
という気持ちになるのでした。

賀曽利隆の「日本一周」一覧

01、30代編日本一周

1978年8月28日~1978年11月16日(64日)
「東日本編」「西日本編」の2分割
スズキTS50(空冷)
18,981キロ

02、40代編日本一周

1989年8月17日~1989年11月16日(92日)
スズキTS50(水冷)
18,984キロ
※翌年、同じスズキTS50で世界一周↓

1990年7月14日~1990年11月15日(128日)
スズキTS50
24,791キロ
北米、ヨーロッパ、アジア(19ヵ国)

03、50代編日本一周

1999年4月1日~1999年10月29日(122日)
「西日本編」「東日本編」の2分割
スズキDJEBEL250GPSバージョン
38,571キロ

04、島めぐり日本一周

2001年3月22日~2002年4月22日(154日)
「伊豆諸島・小笠原諸島編」「本州東部編」「北海道編」「本州西部編」「四国編」「九州編」「沖縄編」の8分割
スズキSMX50、スズキバーディー90
23,692キロ

05、温泉めぐり日本一周

2006年11月1日~2007年10月31日(296日)
「関東編」「甲信編」「本州西部編」「四国編」「九州編」「本州東部編」「北海道編」「伊豆諸島編」の8分割
スズキGSR400、スズキST250、スズキDJEBEL250XC、スズキスカイウェイブ400、スズキバンディット1250S、スズキDR-Z400S、スズキDR-Z400SM、スズキアドレスG125V
60,719キロ

06、60代編日本一周(第1部)

2008年10月1日~2008年12月27日(80日)
「西日本編」「東日本編」の2分割
スズキアドレスV125G
19,961キロ

07、60代編日本一周(第2部)

「四国八十八ヵ所・日本百観音霊場16,964キロ」
スズキアドレスV125G
「奥の細道8,642キロ」
スズキST250
「北海道遺産6,003キロ」
スズキDR-Z400S

合計31,609キロ

08、林道日本一周

2010年5月12日~2010年9月10日(78日)
「西日本編」「東日本編」の2分割
スズキDR-Z400S
15,541キロ
スズキ・ビッグボーイ
12,667キロ

合計28,208キロ

09、70代編日本一周(第1部)

2017年9月1日~2017年12月17日(93日)
「東日本編」「西日本編」の2分割
スズキVストローム250
25,296キロ

「日本一周プレラン」
2017年8月1日~2017年8月31日
スズキVストローム250
4,174キロ

10、70代編日本一周(第2部)

2017年12月20日~2018年12月31日
テーマ編の日本一周
スズキVストローム250
63,648キロ

賀曽利隆

賀曽利隆 冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

この著者の最新の記事

関連記事

ページ上部へ戻る