賀曽利隆の「70代編日本一周」(11)鹿児島・下関編

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「70代編日本一周」(10)

12月7日(84日目)日本本土最南端の佐多岬に到着!

奄美大島の名瀬港を21時20分に出港したマルAラインの「フェリー波之上」に乗船し、鹿児島新港に向かった。

翌朝は夜明けとともに目を覚ますと、すぐに甲板に登った。船はちょうど日本本土最南端の佐多岬の沖合を通過中。やがて大隅半島の山並みから朝日が昇る。船が鹿児島新港に近づくにつれて、桜島が大きく見えてくる。8時30分、「フェリー波之上」は鹿児島新港に到着。九州に戻ってきた。

▲大隅半島の山並みに朝日が昇る

▲鹿児島新港に到着。九州に戻ってきた!

すぐさまVストローム250を走らせて城山に登った。城山は鹿児島の町にせり出したシラス台地の先端で、高さ108メートルの山。展望台から鹿児島の町並みを見下ろし、噴煙を上げる桜島を眺めた。

▲城山の展望台からの眺め。桜島は噴煙を上げている

桜島はなんともすごいのだが、40年前の「30代編日本一周」のとき以来、10年ごとの「日本一周」ではいつも噴煙を上げている。地球の持つ膨大なエネルギーを見せつけられるような光景だ。

鹿児島から国道10号で国分(霧島市)に向かって走り出すと、冷たい風が吹きつけてくる。思わずギュッと身をすくめてしまう。沖縄、奄美大島ではじわっと汗ばむほどだったので、こうして身を切られるような冷たい風に吹かれると、急に現実に引き戻されたような気分になる。

▲国道220号で大隅半島に入っていく

国分を過ぎたところで、国道220号で大隅半島に入っていく。桜島口から桜島に入る。今でこそ地つづきになった桜島だが、もともとは独立した島だった。それが大正3年(1914年)の大爆発で大量の溶岩が流れ出し、大隅半島とつながった。その接合部が桜島口なのだ。

有村溶岩展望台に立ち、溶岩原越しに噴煙を上げる桜島を見る。次に大正の大噴火で埋まった烏島の埋没地を見る。ここは周囲500メートルほどの小島だった。それが埋まってしまうほどの大噴火。道の駅「桜島」で昼食の「かんぱち丼」を食べ、大正の大噴火で高さ3メートルの鳥居が埋まった黒神の「埋没鳥居」を見る。

▲道の駅「桜島」の「かんぱち丼」

▲黒神から見る桜島

▲黒神の埋没鳥居。大正の大噴火で高さ3メートルの鳥居が埋まった

桜島口に戻ると、大隅半島を南下。垂水、大根占(錦江町)、根占(南大隅町)と通り、日本本土最南端の佐多岬へ。大泊から佐多岬への道に入り、北緯31度線を越える。そこには新しい北緯31度線のモニュメントが建っていた。北緯31度線は佐多岬、上海、カイロ、ニューオリンズを通過している。

ガジュマルの大木がおい茂る駐車場はきれいに整備され、そこには新たに展望台ができていた。佐多岬は工事中で岬の突端には行けなかったが、新しい展望台から佐多岬灯台を眺めた。

▲日本本土最南端、佐多岬のガジュマルの大木

▲新しくできた展望台から佐多岬を眺める

佐多岬灯台は慶応2年(1866年)、江戸幕府と米、英、仏、蘭の4ヶ国との間で取り決められた条約に基づいて、全国8ヶ所に設けられた灯台の1つ。明治4年(1871年)の完成時には菜種油を使っていたという。

佐多岬から大泊に戻ると、「ホテル佐多岬」に泊まった。夕食のブリの刺身はうまかった。

▲「ホテル佐多岬」の夕食。ブリの刺身は美味!

12月8日(第85日目)野生馬と灯台と蘇鉄と御崎神社

▲国道448号で大隅半島を横断。山深い風景がつづく

朝から嵐のような天気。猛烈な風雨の中、Vストローム250を走らせる。大根占(錦江町)から国道448号で大隅半島を横断。内之浦から志布志に出ると、国道220号で県境を越えて宮崎県に入った。それとともに天気は急速に回復し、青空が見えてくる。

▲国道220号の県境。鹿児島県から宮崎県に入る

串間を通り、都井岬へ。都井岬まで来ると、抜けるような青空だ。ここでは野生馬のお出迎え。元禄10年(1697年)、高鍋藩主の秋月種政が軍用馬の増産のため、都井岬に御崎牧を設けたことに始まるという。その後、御崎牧の馬は長い年月の間に野生化し、300年以上の自然放牧に耐えた純度のきわめて高い日本馬として、国の天然記念物に指定されている。

都井岬では、まずは灯台に登り、北に延びる日南海岸の海岸線を一望。目を南に向けると、種子島が見える。屋久島も見える。屋久島が見えるのは年に数回しかないとのことでラッキーだ。

▲青空を背にした都井岬の灯台。ここは登れる灯台だ

都井岬は日本最北の蘇鉄の自生地としても知られている。約3,000本の蘇鉄も国指定の天然記念物。ここには御崎神社がある。創建は和銅元年(708年)といわれ、蘇鉄の自生する断崖を背に、小さな社が建っている。

▲都井岬の御崎神社を参拝

沖縄の御嶽を思い起こさせるような光景で、背後のそそり立つ岩山が御神体になっているのだろう。もともとは日本の神社は沖縄の御嶽と同じように拝殿も神殿もなく、自然自体が御神体になっていた。

「ここでは、岬そのものが神だった」
そんなことを考えながら蘇鉄の覆いかぶさる参道を歩き、御崎神社に手を合わせた。

都井岬で昼食。「海洋荘」で「ナンデンカンデン丼」を食べた。その日の漁の結果で具が変わるというユニークな海鮮丼。この日はオオモンハタとハガツオ、それとマグロの海鮮丼だった。

▲都井岬の「海洋荘」の「ナンデンカンデン丼」

都井岬からは日南海岸を北上。カツオ漁の拠点になっている油津漁港(日南市)に立ち寄り、鵜戸神宮を参拝し、宮崎には16時45分の到着。

▲国道220号で日南海岸を行く

▲カツオ漁の拠点になっている日南市の油津漁港

さて、今晩の宿探しだ。
『ツーリングマップル九州』を見ると、国道10号の門川町に、「低料金の穴場の宿」のコメントとともに「門川温泉心の杜」がのっている。さっそく電話すると、うまい具合に泊まれた。このように宿を決めるのは午後になってから。それも夕方になってからのことが多い。

宮崎からは国道10号を北上する。日向の一宮、都農神社を参拝し、美々津(日向市)の食堂「みやこ家」で「魚南蛮定食」の夕食を食べ、門川町の「門川温泉心の杜」に到着したのは20時15分。ここは設備の整った温泉施設で、宿泊費は2,870円(素泊まり)だった。

▲美々津の食堂「みやこ家」で夕食。「魚南蛮定食」を食べる

12月9日(第86日目)九州最東端の鶴御崎に立つ!

6時、門川町の「門川温泉心の杜」を出発。国道10号を北へ。延岡を通り、大分県に入ると、佐伯から九州最東端の鶴御崎を目指す。

▲国道10号の宮崎・大分の県境

米水津(よのうづ)から豊後水道に突き出た小半島に入っていく。九州最東端のこの半島に半島名はついていない。トンネルを抜けて半島の北側に出ると、やがて大島が見えてくる。この豊後大島も、日本に数多くある「大島」のひとつ。旧国で一番大きな島はたいてい大島になっている。豊後大島には佐伯から連絡船が出ている。

九州最東端の漁港、梶寄漁港から鶴御崎への道に入っていく。以前は有料だったが、今は無料。岬の駐車場に着くと、Vストローム250を止め、遊歩道を歩いた。岬の突端には「九州最東端」碑の木標が立っている。

▲九州最東端鶴御崎の灯台

▲鶴御崎の九州最東端碑

断崖となって海に落ちる地点からは、豊後水道の水平線上にうっすらと四国が見えている。対岸は由良半島突端の由良岬。

▲鶴御崎からの眺め。豊後水道の水平線上に四国が見える

鶴御崎は戦前までは一般人の立ち入ることのできない要塞地帯だった。ここでは戦時中に悲惨な事故が起きている。昭和17年1月11日、実射の暴発により連隊長以下16名が殉死し、要塞も壊滅的な被害を受けた。急きょ、近隣の町村から連日600人以上を強制的に徴用し、その年の9月には15糎カノン砲4門を据え付けたという。鶴御崎はそんな時代の証言者であり、日本の戦時中のすさまじさを今に伝える舞台にもなっている。

それはおいて、これで北海道、本州、四国につづいて九州でも最東西南北端の4端に立った。

鶴御崎から佐伯に戻ると、国道10号で大分へ。大分からは国道210号で九州を横断する。水分峠を越え、日田から久留米へ。

▲大分からは国道210号で九州を横断

夜は秋月(朝倉市)の山荘に泊まった。ここには風間深志さん主催のSSTRに参加した九州組の面々が集まり、忘年会の真っ最中。それに招かれたのだ。唐津で一緒に野宿した田崎さんとのうれしい再会。呼子で出会った「むっぴーさん」も来てくれた。

▲SSTR九州組の忘年会。鍋料理や讃岐うどんをいただいた

12月10日(第87日目)これにて「九州・沖縄編」終了!

▲SSTR九州組のみなさんに見送られて秋月を出発!

SSTRに参加した九州組のみなさんと別れ、まずは秋月の古い町並みをぐるりとまわる。秋月は中世以降、秋月氏の城下町として栄えた。江戸時代になってからは黒田藩の支藩として、秋月5万石は明治になるまでつづいた。秋月城址、武家屋敷の残る古い家並みなど、積み重なった歴史を感じさせる秋月の町は、「筑紫の小京都」ともいわれている。

▲秋月城址の長屋門

秋月から国道322号で甘木へ。甘木からは国道386号を行く。九州第一の大河、筑後川の悠々とした流れが目に残る。

▲九州第一の大河、筑後川の流れ

杷木に近づくと、「九州北部豪雨」の爪痕がまだ生々しく残っていた。7月の九州北部豪雨では、福岡県の朝倉市から東峰村、大分県の日田市にかけての一帯が甚大な被害を受けた。

▲日田盆地で何本もの川が合流し、三隅川となって福岡県に流れ出ていく

県境を越えて大分県に入った。水郷日田から国道212号で天ヶ瀬、玖珠を通り、水分峠へ。ここからやまなみハイウエイで阿蘇に向かうつもりにしていたが、かなりの雪で路面は真っ白。やまなみハイウエイを断念し、水分峠から国道210号で大分に戻った。

▲国道386号の福岡・大分県境

大分からは国道213号で国東半島を一周する。国東半島に入ると雨が降り始めた。
「くにさき」は今では「国東」と書かれているが、もともとは「国前」とか「国崎」と書かれたという。「国の海に突き出たところ」の意味。国東半島は旧国でいうと豊後国で、国東の「国」は豊後国になる。いや、豊前、豊後に分かれる以前の「豊国(とよのくに)」のことなのだろう。豊国の瀬戸内海に突き出た半島が国東半島ということになる。こうして「日本一周」をしながら、日本の旧国を考えるのはじつにおもしろいことだ。

▲国東半島の伊美港の姫島行きフェリー乗り場

「国東半島一周」の最後は豊後高田。昭和の香りが色濃く残る商店街を走り抜けていく。豊後高田の地名どおりで、ここまでは豊後国。国道213号で宇佐市に入ると、同じ大分県でも豊前国へと国が変わる。

▲豊後高田の「昭和の町」を走り抜ける

国道10号に合流すると、豊前の一宮、宇佐神宮を参拝。ここは豊前の一宮というよりも、全国八幡宮の総本社「宇佐八幡宮」でよく知られている。平安期の清和天皇が京都の石清水八幡宮に、源頼朝が鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮に分霊し、これら3社が日本の「三大八幡宮」になっている。

▲豊前の一宮、宇佐神宮を参拝。ここは全国の八幡宮の総本社

宇佐から国道10号で中津を通り、福岡県に入る。ナイトランで豊前市、行橋市を走り抜ける。小倉で国道3号に合流し、、国道2号の関門トンネルで下関へ。下関駅前の「東横イン」に泊まった。これにて「下関→下関4,343キロ」の「九州・沖縄編」終了。下関駅前の大衆食堂「一善」で、おでんを食べながら生ビールで乾杯。そのあと夕食の「貝汁定食」を食べた。

下関からは「日本一周」のゴール、東京を目指しての旅になる。

▲下関駅前の大衆食堂「一善」で夕食

▲「九州・沖縄編」を走り終え、生ビールで乾杯!

「70代編日本一周」(12)へ続く

賀曽利隆

賀曽利隆 冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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