賀曽利隆の「70代編日本一周」(10)奄美・沖縄編

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「70代編日本一周」(9)

11月30日(第77日目)奄美大島一周!

18時に鹿児島新港を出港したマリックスラインのフェリー「クイーンコーラルプラス」は、翌朝の5時、奄美大島の名瀬港に入港した。

▲鹿児島新港でマリックスラインのフェリー「クイーンコーラルプラス」に乗船

▲奄美大島の名瀬港に到着

すぐさま「奄美大島一周」を開始。相棒のVストローム250を走らせ、国道58号を北へ。「ファミリーマート」でサンドイッチを食べ、奄美大島最北の町、赤木名に到着。赤木名が奄美大島の国道58号の起点。

▲奄美大島北端の町、赤木名の夜明け

ここから奄美大島最北端の笠利崎へ。道の行き止り地点には龍宮伝説の亀さん像、岬の突端には笠利埼灯台が建っている。この岬が太平洋と東シナ海に分けている。

▲奄美大島最北端の笠利崎の「夢をかなえるカメさん」像

笠利崎から太平洋側を南下。あやまる岬に立つと、喜界島が目の前に見える。赤木名からは国道58号で名瀬に戻ったが、奄美大島の北部一周は88キロ。

▲あやまる岬から見る喜界島

名瀬から今度は、国道58号を南へ。次々と長大な峠のトンネルを抜けていく。朝戸峠の朝戸トンネル(1,725m)、和瀬峠の新和瀬トンネル(2,435m)、三太郎峠の三太郎トンネル(2,027m)と、1,000メートル級、2,000メートル級のトンネルが連続する。

三太郎トンネルを抜け出た住用では、日本でも最大級のマングローブ林を見る。すごい光景だ。海岸近くの一帯はマングローブの原生林で覆いつくされている。ここではマングローブの原生林の中を抜けていくカヌーツアーをやっている。

▲住用のマングローブ林を見下ろす

国道58号の道の駅「奄美大島住用」のレストランで昼食。奄美大島名物の「鶏飯」を食べた。

▲道の駅「奄美大島住用」の「鶏飯」

住用からは2015年に完成したは全長4,243メートルの網野子トンネルで、網野子峠を走り抜けた。1,000メートル級の「島トンネル」というのは、奄美大島以外では沖縄の石垣島と北海道の礼文島にあるだけで、2,000メートル級になると奄美大島にしかない。その奄美大島に4,000メートル級のトンネルが誕生したのだ。

▲全長4,243mの網野子トンネル

奄美大島は「日本の島トンネル」の上位をほとんど独占しているが、これらの長大なトンネルは険しい山々が折り重なるように連なっている奄美大島の地形を象徴している。

国道58号は奄美大島最南の町、古仁屋で尽きる。鹿児島が起点の国道58号は種子島、奄美大島と縦貫し、沖縄本島北端の奥に通じている。終点は那覇の明治橋だ。

古仁屋に着くと、港の岸壁にVストローム250を止める。大島海峡の対岸には長々と加計呂麻島が横たわっている。目に残る風景だ。古仁屋からは県道79号で東シナ海の海岸線を北上。県道79号にも1,000メートル級の毛陣トンネル(1,212m)があった。

▲奄美大島南端の町、古仁屋に到着。ここで奄美大島の国道58号は尽きる

17時30分、名瀬に戻ったが、「奄美大島一周」は249キロになった。名瀬港の「奄美ポートタワーホテル」に泊まり、レストランで夕食。まずは生ビールで「奄美大島一周」に乾杯し、そのあとは奄美の焼酎「里の曙」を飲みながら「油そうめん」を食べた。

▲名瀬の「奄美ポートタワーホテル」で食べた「油そうめん」

12月1日(第78日目)那覇で食べる琉球料理

名瀬港5時50分発のマルAライン「フェリー波之上」に乗船し、沖縄本島の那覇港へ。フェリーは徳之島の亀徳港、沖永良部島の和泊港、与論島の世論港と寄港していく。船上から島々を見ていけるのがすごくいい。ぼくはこれを「アイランド・ウォッチング」といってるが、船旅をより面白くしてくれる。

▲マルAラインの「フェリー波之上」から奄美の島々を見る。ここは徳之島の亀徳港

那覇港到着は19時。美栄橋の「東横イン」に宿を取ると、すぐに夜の街に出る。「はなじゅみ」という店に入り、待望の琉球料理を食べる。まずは沖縄ビールのオリオンビールを飲み干す。そのあとは沖縄の酒、泡盛の「久米仙」を飲みながら「ジーマミー豆腐」、「くーぶいりちー」、「軟骨の煮つけ」を食べた。

▲那覇の「はなじゅみ」で食べた「軟骨の煮つけ」

「じーまーみ」とは地豆(南京豆)のことで、南京豆からつくる豆腐がじーまーみ豆腐。南京豆のしぼり汁とサツマイモの澱粉からつくる乳白色のじーまーみ豆腐にはとろっとした舌ざわりがあり、手でつかんでもちぎれないくらいの腰の強さがある。

「くーぶ」は昆布のことで、「いりちー」は炒めもの。もどした昆布を細かく刻み、豚の三枚肉とコンニャク、メンマなどとともに、醤油、味醂、酒、豚のだし汁を加えて煮込んだ昆布の炒め煮が「くーぶいりちー」だ。

「はなじゅみ」の女将さんとはすっかり話し込み、酒量は上がり、ふらつく足で「東横イン」に戻るのだった。

▲「はなじゅみ」の女将さん。後ろの絵のモデルは若き日の女将さんだという

12月2日(第79日目)沖縄最北端の地に立つ!

「沖縄本島一周」の開始。出発点は明治橋。ここから国道58号を北上する。 浦添市、宜野湾市、北谷町と走り抜け、嘉手納町に入ると、広大な米軍の嘉手納飛行場のすぐわきを通る。国道スレスレでジェット戦闘機が轟音を轟かせて着陸する。パイロットの顔がはっきりと見えるほどの距離。

読谷村に入ったところで国道58号を離れ、沖縄一の名岬の残波岬へ。石灰岩の断崖上には白亜の灯台。空と海の青さと灯台の白さの対比が色鮮やか。岬近くの残波ビーチの砂の白さも目に残る。読谷村から恩納村に入ると、民俗村の「琉球村」を見学した。

▲白亜の灯台が立つ残波岬。青と白のコントラストが強烈

▲「琉球村」を見学。ここでは「サトウキビジュース」を飲む

国道58号に合流して沖縄本島の西海岸を北上。東シナ海の遠浅の海を見ながら走り、名護を目指す。その途中、万座毛に立ち寄った。台地上の遊歩道を歩き、断崖に打ち寄せては砕ける波を見下ろした。

▲恩納村の万座毛の断崖

沖縄本島北部の中心地、名護から本部半島に入り、運天港から伊平屋村フェリーの「いへやIII」で伊平屋島の前泊港に渡った。

▲本部半島の運天港から「フェリーいへやIII」で伊平屋島に渡る

「伊平屋島一周」は30キロ。その途中では伊平屋島最北端の田名岬に立った。そこには灯台。田名岬は沖縄最北の地で、奄美諸島の与論島よりも北になる。前泊港に戻ると、港前の「パーラー」で「沖縄そば」を食べ、「伊平屋観光ホテル」に泊まった。

▲伊平屋島を一周。島一周は30キロ

12月3日(第80日目)北山の中心、今帰仁城跡を歩く

伊平屋島から運天港に戻ると、今帰仁の今帰仁城跡を歩いた。石垣の残る今帰仁城跡の一番てっぺんから「北山」の地を眺めた。琉球は北山、中山、南山の三国に分かれていたが、今帰仁城は北山の中心だった。

▲今帰仁城跡の石垣。ここは琉球王国の北山の中心

1429年に尚巴志が三山を統一して琉球王朝を打ちたて首里を都にしたが、その後も今帰仁城は北山統治の拠点として使われた。沖縄の各地に残る城(グスク)の中でも今帰仁城は最大。これら琉球王朝の城は世界遺産に登録されている。

国道58号に出ると、大宜見、辺土名を通り、沖縄本島最北端の辺戸岬へ。岬の突端には「祖国復帰闘争」の碑。それには27年間にも及ぶ占領下の沖縄人の苦しみが刻み込まれている。碑の前に立つと正面に与論島、左手には伊平屋島、伊是名島が見える。

▲沖縄本島最北端の辺戸岬に建つ「祖国復帰闘争碑」

その夜は沖縄本島最北の集落、奥の民宿「海山木」に泊まった。夕食は囲炉裏を囲んでのバーベキュー。外では「チュンチュンチュン」とかん高い声で、ヤンバルクイナが鳴いている。

▲沖縄本島最北の集落、奥の港

12月4日(第81日目)那覇に戻ってきた!

奥からは県道70号で太平洋側を南下。「ヤンバルクイナ注意」の標識をたびたび見る。安田(あだ)を過ぎたところでは、ヤンバルクイナの「生態展示学習施設」を見学し、そこで本物のヤンバルクイナを見た。ヤンバルクイナの天敵はハブとカラスだとのことだが、それ以上の天敵は県道を疾走する車なのだという。

▲「生態展示学習施設」で見たヤンバルクイナ

東村で国道331号に合流すると与那原へ。与那原からは知念半島に入っていく。

▲沖縄本島南東端の知念岬。岬の一帯は公園になっている

沖縄第一の聖地、斎場御嶽に寄っていく。大岩が覆いかぶさるような斎場御嶽にはタブやシイ、クス、アカギなどの樹木がうっそうとおい茂り、昼なお暗い世界になっている。いかにも神々が宿っていそうな、そそり立つ石灰岩の巨岩の下に拝所があった。そこには黒い線香と米粒、菊の葉、赤い饅頭が、白い紙にのせられて供えられていた。

▲沖縄第一の聖地の斎場御嶽

国道331号で糸満市に入ったところで、沖縄本島南部の戦跡をめぐる。
まずは平和祈念公園。「沖縄平和祈念資料館」を見学する。ここでは数多くの沖縄戦の証言に胸を打たれた。次のひめゆりの塔では「ひめゆり平和祈念資料館」を見学した。沖縄戦で亡くなった219名の少女たちの写真の前で、多くの人たちが涙を流していた。


▲平和祈念公園のシンボルタワー

戦跡をめぐったあとで、沖縄本島最南端の喜屋武岬に立った。岬の突端には「平和の塔」が、沖縄の青い海を背にして建っている。

▲沖縄本島最南端の喜屋武岬に到達

沖縄人はよく「辺戸岬から喜屋武岬まで」といういい方をする。最北端から最南端までの沖縄本島全土を意味するのだが、じつは海岸線はさらに南につづいている。喜屋武岬の展望台からは、ほんとうの沖縄本島最南端の岬、荒崎を望む。

糸満から那覇に戻ったが、「沖縄本島一周」は557キロになった。
那覇旭橋駅前の「東横イン」に宿を取ると、すぐに夜の街に出て、沖縄大衆居酒屋の「ヤンバルクイナ」に入った。オリオンの生ビールを飲みながら、「島ダコの刺身」、「豆腐よう」、「ゴーヤチャンプル」を食べた。

▲沖縄大衆居酒屋「ヤンバルクイナ」の「島ダコの刺身」

▲「豆腐よう」

沖縄は豆腐料理の盛んなところで、炒めものや煮もの、揚げもの、和えもの、汁ものと、その種類は多彩。きわめつけの傑作が豆腐を赤糀で発酵させてつくる「豆腐よう」だ。植物性の食品の豆腐を動物性のチーズにそっくりな食品に変えてしまうその知恵には驚かされてしまう。

「ゴーヤチャンプル」は、ぼくが沖縄で一番、食べたくなる琉球料理。食堂でふつうに食べられるし、沖縄人の家庭料理にもなっている。ゴーヤ(にがうり)を使った「ちゃんぷる」(豆腐入りの炒めもの)で、薄切りにしたゴーヤと豆腐を炒めたもの。ゴーヤの苦みが、「今、沖縄にいる!」という気分にさせてくれる。

オリオンの生でほろ酔い気分になったところで、次に「琉球麺屋かりゆしそば」に入り、「沖縄そば」の「軟骨ソーキそば」を食べた。「沖縄そば」は沖縄独特の麺で、黄味を帯びている。そばといっても、そば粉ではなく、小麦粉100パーセント。幅広の中華風の麺である。

しこしこした歯ごたえのある麺で、昔ながらの「支那そば」の味がする。そば汁は豚骨などでダシをとったもので、濃厚でこってりしている。上に具のそーき骨(豚のあばら肉)がのれば「そーきそば」になり、足てぃびち(豚足)がのれば、「足てぃびちそば」になる。

12月5日(第82日目)海は大荒れ…

5時に「東横イン」を出発。波上宮を参拝し、鹿児島新港行きのフェリー、マリックスラインの「クイーンコーラルプラス」に乗船。7時に那覇港を出港。海は大荒れで、船は大揺れに揺れた。

定刻よりも1時間以上遅れ、21時30分、奄美大島の名瀬港に入港。名瀬からは夜の国道58号をひた走り、奄美大島南端の町、古仁屋に到着したのは23時30分。古仁屋の「プラザホテル瀬戸」に泊まった。

12月6日(83日目)最後は加計呂麻島

6時に起床。気温は18度。同じ時間、北海道の陸別では氷点下20度だとテレビのニュースでいっている。南と北では38度もの気温差。これが日本列島だ。

7時発のフェリー「かけろま」で対岸の加計呂麻島に渡る。加計呂麻島の海の青さが強烈に目に残る。

▲奄美大島最南端の町、古仁屋から「フェリーかけろま」で加計呂麻島に渡る

▲加計呂麻島の諸鈍のデイゴ並木

▲加計呂麻島の海。対岸は奄美大島

古仁屋に戻ったのは15時。県道79号で奄美大島の西海岸を北上し、名瀬に到着したのは17時45分。

▲県道79号で奄美大島の西海岸を北上

郷土料理店「あさばな」で「鶏飯丼」を食べ、21時20分発のマルAラインの「フェリー波之上」に乗船。「奄美・沖縄編」を終えて、鹿児島新港に向かった。ひとつ残念なのは沖縄本島からさらに南へ、宮古・八重山諸島に行けなかったことだ。

▲名瀬の郷土料理店「あさばな」で食べた「鶏飯丼」

「70代編日本一周」(11)へ続く

賀曽利隆

賀曽利隆 冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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