賀曽利隆の「70代編日本一周」(9)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「70代編日本一周」(8)

11月21日(第68日目)九州最北端の部崎に立つ!

5時45分に下関を出発。「日本一周」の相棒、スズキVストローム250を走らせ、国道2号の関門トンネルを走り抜けて福岡県に入る。さー、九州だ。まずは九州最北端の部崎に立ち、瀬戸内海(周防灘)に昇る朝日を見た。

▲九州最北端の部崎の灯台

北九州からは国道3号で福岡へ。筑紫の一宮、筥崎宮を参拝。ズングリムックリの鳥居と豪壮な造りの楼門が目に残る。国道3号沿いの店で「博多ラーメン」を食べたが、本格派豚骨ラーメンが1杯290円。味の良さと値段の安さに感動!

▲筑紫の一宮、筥崎宮の鳥居

▲「博多ラーメン」を食べる

福岡からは国道202号で県境を越えて佐賀県に入り、唐津から呼子へ。

▲福岡の中心街に入っていく

「呼子に来たからには!」とイカ料理の店「歳香亭」で「いか活造り定食」を食べた。ここではセローに乗る女性ライダー「むっぴーさん」とのうれしい出会い。むっぴーさんと一緒に呼子から唐津を走った。

▲呼子の「歳香亭」の「いか活造り」

唐津東港から壱岐の印通寺港行きのフェリー、九州郵船の「エメラルドからつ」に乗ったのだが、むっぴーさんは岸壁に立ちつくして見送ってくれた。壱岐では郷ノ浦の「壱岐マリーナホテル」に泊まった。

11月22日(第69日目)壱岐から対馬へ

▲壱岐の一宮、天手長男神社を参拝

郷ノ浦を出発点にして壱岐を一周。時計回りで島を一周した。まずは壱岐の一宮、天手長男神社を参拝。壱岐は一国を成していた。北の勝本では芭蕉と一緒に「奥の細道」を旅した曽良の墓を見る。信州の諏訪で生まれた曽良が壱岐まで亡くなっていたのは驚き。

勝本からは芦辺港経由で印通寺へ。その途中では原ノ辻遺跡を見学した。ここは「魏志倭人伝」の「一支国」の王都跡と特定されたところ。おびただしい数の弥生式土器などが出土し、資料館に展示されている。

▲「一支国」跡の原ノ辻遺跡

▲壱岐は焼酎の国。ズラリと並ぶ壱岐産の焼酎

印通寺から郷ノ浦に戻ったが、「壱岐一周」は54キロ。フェリーターミナルのレストラン「ひげだるま」で「壱州牛ステーキ丼」を食べた。

▲「ひげだるま」の「壱州牛ステーキ丼」

12時35分発の九州郵船のフェリー「きずな」に乗って対馬へ。厳原港到着は14時45分。対馬は南北に細長い島だが、まずは厳原を拠点にして県道24号で対馬南部をまわった。対馬南端の豆酘(つつ)湾に面した豆酘の町から豆酘崎まで行った。

▲対馬の厳原港に到着

▲県道24号で対馬南部を一周

▲対馬南端の豆酘崎。岬の灯台が見えている

厳原に戻ると「東横イン」に泊まったが、館内は韓国人旅行者であふれかえり、韓国語が飛びかっていた。まるで異国に来たかのような光景。夜の厳原の町を歩いたが、目につくのは韓国人の旅行者ばかり。

「とりやす」という店に入り、砂ずりや軟骨、鳥かわを食べながら生ビールを飲み干し、釜飯を食べた。

11月23日(第70日目)日本から異国を見る

▲厳原から比田勝を目指して国道382号を北へ

厳原から国道382号を北上。万関橋を渡り、下対馬から上対馬に入っていく。驚いたのは韓国人サイクリストが次々と通り過ぎていくことだ。国道382号も韓国人であふれかえっていた。

海中に鳥居の立つ和多都美神社と対馬の一宮、海神神社を参拝。対馬も壱岐と同じように一国を成していた。一宮は日本の旧国のシンボルだ。

▲和多都美神社の海中に立つ鳥居

▲対馬の一宮、海神神社を参拝

対馬北端の「異国の見える丘」からは朝鮮半島の山並みを見た。「韓国展望所」からは水平線上に霞む釜山の町並みを見た。日本から見る異国の風景がたまらない。「韓国展望所」には次々に韓国人旅行者を乗せて観光バスがやってきた。

▲「異国の見える丘」の展望台から朝鮮半島の山並みを見る

▲「韓国展望所」には次々と韓国人旅行者がやってくる

対馬北端の町、比田勝も韓国人旅行者でにぎわっていた。ハングルの看板を掲げた店が目につき、釜山への高速船の出る比田勝港の国際ターミナルはまるで韓国。ここでも大勢の韓国人旅行者を見た。

▲比田勝港からの釜山行きの高速船。釜山まで70分

比田勝からは県道39号で対馬の東海岸を南下し、国道382号に合流して厳原に戻った。厳原を拠点にしての第1日目の「対馬南部一周」は97キロ、第2日目の「対馬北部一周」は215キロ。合計すると312キロになった。

11月24日(第71日目)唐津の海を見ながら乾杯!

▲厳原港のターミナルビル。フェリー「あずさ」で博多へ

厳原港8時20分発の九州郵船のフェリー「あずさ」で博多港へ。博多港到着は14時。博多港にはスーパーテネレに乗る田崎真也さんが出迎えにきてくれた。田崎さんと一緒に唐津まで走り、スーパーで食材を買い込み、唐津東港近くの海岸にテントを張って野宿する。暮れなずむ海を見ながらカンビールで乾杯!

▲唐津の海岸で田崎さんと野宿する

11月25日(第72日目)本土最西端の40年間の変化

唐津から田崎さんと一緒に国道204号を走る。呼子では朝市を見てまわり、豊臣秀吉の壮大な夢の跡の名護屋城跡を歩いた。

▲名護屋城跡を歩く。ここはまさに秀吉の壮大な夢の跡

名護屋城跡の「大手門食堂」で「クジラちゃんぽん」を食べたあとは、波戸岬に立った。

田崎さんと伊万里で別れると、佐賀県から長崎県に入り、松浦鉄道の「たびら平戸口駅」でVストローム250を止めた。ここが日本の鉄道最西端駅になる。そしてなつかしの日本本土最西端の神崎鼻へ。

▲神崎鼻に建つ「日本本土最西端の地」碑。対岸は平戸島

神崎鼻は日本最西端とはいっても、最北端の宗谷岬、最東端の納沙布岬、最南端の佐多岬に比べると、あまり知られていない。

1978年の「30代編日本一周」のときは神崎鼻を探し当てるまでが大変だった。
町役場で聞いてもよくわからない。地図で見当をつけて神崎漁港まで来て、浜で魚を干しているオバチャンたちに聞いたが、地元の人たちでさえ、ここが日本本土最西端の地であることを知らなかった。

というよりも、目の前の西の海に平戸島が横たわっているので、最西端の意識がないのは当然のことだった。やっとの思いで神崎鼻に立つと、そこには波風にさらされて白いペンキのはげかかった木標が立っていた。それにはかすかに読める字で、「本土最西端 神崎鼻」と書かれてあった。

▲「30代編日本一周」(1978年)の時の神崎鼻

1989年の「40代編日本一周」でも神崎鼻に立った。神崎鼻は劇的に変わっていた。町の案内図にはひときわ目立って「日本本土最西端の地」が書き込まれ、神崎鼻に入る道の角には「日本本土最西端の地・入口」の看板が立っていた。

神崎漁港まで来ると、神崎鼻への案内板が立っていた。コンクリート舗装の遊歩道を歩いた行き止まり地点には、「日本本土最西端の地 北緯35度12分53秒 東経129度33分17秒」と掘り刻まれた立派なモニュメントが海を見下ろす岩の上に建っていた。

1999年の「50代編日本一周」でも神崎鼻に行ったが、岬の台上は「神崎鼻公園」が完成していた。きれいな芝生の公園には「四極交流広場」ができ、日本本土の最東西南北端の4極を示すモニュメントができていた。

▲神崎鼻の「四極交流広場」

20年間でこうも変わるものなのかと驚かされたが、「日本最西端碑」の前から眺める海と、その向こうに長々と横たわる平戸島の風景に変わりはなかった。

2008年の「60代編日本一周」と、今回の2018年の「70代編日本一周」ではとくに大きなサプライズはなかったが、神崎鼻は九州の観光ポイントとしてすっかり定着していた。

日本本土最西端の神崎鼻を出発。佐世保からはTT250Rに乗る松尾勝宏さんの先導で長崎まで走り、長崎駅前の「東横イン」に泊まった。長崎駅のレストランで「ちゃんぽん」と「皿うどん(細麺)」を食べたあと、夜の長崎の町を歩くのだった。

11月26日(第73日目)島原半島南端の瀬詰崎

長崎からは国道251号で島原半島に入っていく。雲仙岳西側の小浜温泉から半島最南端の瀬詰崎にかけては最も島原らしい。段々畑は天に届かんばかりにつづき、一段一段の畑の境には、それこそ汗と涙の結晶のような石垣が築かれている。

さらに小道を登りつめ、台地のてっぺんまで登ると、天がぐっと近くなる。目の前の海には天草が浮かび、視線を右に移せば、島ひとつ見えない東シナ海の大海原が広がっている。

天草へのフェリーの出る口之津から瀬詰崎へ。岬近くの漁村には亜熱帯樹のアコウが群生していた。サツマイモ畑が広がる台地がストンと落ちたところが瀬詰崎。有明海口の早崎瀬戸に突き出た岩礁の上に灯台が立ち、その向こうには天草下島がはっきりと見える。

天草まではわずか4キロ。早崎瀬戸は浅瀬が多く、潮の流れが速いので、昔からの海の難所として知られていた。とくに大潮の満潮時や干潮時は潮流が段をなして押し寄せ、激しく渦を巻いて荒れ狂うという。

瀬詰崎を後にすると島原、諫早を通って佐賀県に入る。佐賀を通って熊本県に入り、熊本駅前の「東横イン」に泊まった。

▲熊本駅前に到着

11月27日(第74日目)熊本の郷土料理を食べる!

6時に熊本駅前の「東横イン」を出発。国道57号で阿蘇へ。九州横断の国道57号は熊本地震の大崩落で、阿蘇の入口の立野で通行止め。う回路を通って阿蘇カルデラ内に入っていく。肥後の一宮、阿蘇神社を参拝。阿蘇神社の大楼門は熊本地震の影響で崩壊したが、拝殿は修復中で、残った3つの本殿を参拝した。

阿蘇神社の参拝を終えると、国道57号で阿蘇外輪山の滝室坂へ。峠上の「山庵」で昼食。「だご汁定食」を食べた。

▲国道57号の滝室坂。ここは阿蘇外輪山の峠

▲滝室坂の「山庵」で食べた「だご汁」

熊本の郷土料理「だご汁」に阿蘇名物の「高菜飯」がついている。熊本名物のだご汁は味噌味の団子汁の中にダイコンやニンジン、サトイモなどの野菜類がゴソッと入っている。団子は小麦粉をこねたままなので、シコシコとした歯ざわりと、小麦粉特有のざらついた舌ざわりがある。これが魅力だ。

阿蘇神社に戻ると、つづいて阿蘇外輪山の箱石峠を越えて高森へ。高森からは高森峠で折り返し、最後に俵山峠を越えた。俵山峠旧道の展望台からの眺めは絶景。阿蘇を一望する。

16時に熊本に戻ると、国道3号→国道57号で三角へ。三角駅近くの「大番」で「鯛茶漬け」を食べ、旅館「楠翠荘」に泊まった。

11月28日(第75日目)天草下島の3本の国道

▲天草の青い空と青い海!

三角からは天草諸島を南下する。本渡で天草上島から天草下島に渡ったが、天草下島はすごい島だ。なにがすごいかというと、国道266号、324号、389号と何と3本もの国道が走っている。

国道が通っている島というのはごく限られている。たとえば淡路の国道28号や壱岐・対馬の国道382号、佐渡の国道350号のように、国道が通っているといっても1本というのが大半だ。それが天草下島には3本の国道。このような島は日本では沖縄本島を除けばほかに例はない。

▲天草の大江の天主堂

天草下島の牛深港からフェリーで鹿児島県の長島に渡り、国道3号で川内へ。

▲牛深港からフェリーで長島に渡る

川内駅前の「川内ホテル」に泊まったが、ここは低料金で泊まれる川内市街地温泉の温泉ホテル。

11月29日(76日目)遣唐使船の出た坊津港

川内から薩摩半島を南下。野間岬から坊ノ岬までの海岸は切り立った断崖が連続するリアス式海岸。入江には小さな漁村が点在している。

坊ノ岬の坊津はかつては伊勢の安濃津、筑前の博多津とともに「日本三津」と呼ばれ、中国大陸や南方諸国との交易の拠点になっていた。坊津からは遣唐使船も出ていた。きらびやかな唐の文化にあこがれた多くの若者たちが、ここから東シナ海の波浪を越えて旅立っていった。空海もその一人だ。

▲遣唐使船が出た坊津港。ここは日本の玄関口だった

坊津からはカツオ漁で知られる枕崎へ。JR最南端駅の西大山駅に寄り、薩摩半島最南端の長崎鼻に立った。

▲JR最南端駅の西大山駅。開聞岳が見えている

鹿児島到着は16時。すぐに鹿児島新港に行き、奄美・沖縄航路のマリックスラインのフェリー「クイーンコーラルプラス」に乗船。

▲鹿児島新港のフェリーターミナルに到着!

18時、「クイーンコーラルプラス」は鹿児島新港を出港した。
さー、奄美、沖縄だ!

「70代編日本一周」(10)へ続く

賀曽利隆

賀曽利隆 冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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