賀曽利隆の「70代編日本一周」(7)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「70代編日本一周」(6)

10月30日(第46日目)「19才のセロー君」との出会い

午前4時20分に神奈川県伊勢原市の自宅を出発。午前5時50分、東京・日本橋に到着。日本橋には「19才のセロー君」こと、芝田剛さんがKLX250に乗って見送りに来てくれた。

▲日本橋に「19才のセロー君」が見送りに来てくれた

芝田さんとは30年前の「40代編日本一周」の時に、日本本土最南端の佐多岬で出会った。じつは芝田さんとはその前に、北海道の知床五湖でも出会っている。当時、19才だった芝田さんはセローで日本一周中。
「夢中でここまで来たけれど、今はホームシックで…」という「19才のセロー君」。日本橋での芝田さんとの再会はなんともなつかしいものだった。

今回の「70代編日本一周」は、「東日本編」と「西日本編」の2分割。さー、「西日本編」の開始だ。相棒のスズキVストローム250を走らせ、甲州街道(国道20号)で下諏訪へ。下諏訪到着は15時30分。下諏訪からは中山道(国道142号)で和田峠を越え、和田宿近くの「赤倉キャンプ場」へ。

▲甲州街道の旧道を行く。談合坂で
▲甲州街道の旧笹子峠

▲中山道・和田宿の本陣跡

バイク誌『風まかせ』(クレタ)の「焚火日和」の取材をも兼ねたキャンプで、斎藤編集長と武田カメラマンと焚火を囲み、おおいに飲み、おおいに語り合った。(本日の走行距離309キロ)

10月31日(第47日目)国道152号の峠越え

▲国道152号で大門峠を越える

『風まかせ』(クレタ)のキャンプ取材を終えると、斎藤編集長、武田カメラマンに見送られて「赤倉キャンプ場」を出発。ここからは国道152号を南下。大門峠、分杭峠、地蔵峠、兵越峠を越えて静岡県に入り、浜松駅前の「東横イン」に泊まった。(本日の走行距離242キロ)

▲国道152号の杖突峠からの眺め

11月1日(第48日目)潮岬に落ちる夕日

▲遠州灘の夜明け。谷ノ口海岸で

4時前に浜松を出発し、国道1号→国道42号で伊良湖岬へ。7時30分発の伊勢湾フェリーで鳥羽港に渡った。志摩から伊勢へ。

▲伊良湖岬の灯台。神島が見えている
▲伊良湖港から伊勢湾フェリーで鳥羽港へ

国道260号で紀伊長島に向かったが、五ヶ所浦ではKLX250に乗る「黒犬さん」に出会った。黒犬さんとは紀伊長島まで一緒に走った。紀伊長島には何と500キロ以上も走って、女性温泉家の「ゆーゆーさん」が来てくれた。3人で道の駅「紀伊長島」で「ひらまさ丼」を食べた。

▲かつての「幻の国道」の国道260号を行く
▲道の駅「紀伊長島」の「ひらまさ丼」

紀伊長島からは国道42号を行く。三重県から和歌山県に入り、串本から本州最南端の潮岬へ。ここでは真っ赤に燃えて海に落ちる夕日を見た。

▲本州最南端の潮岬に落ちる夕日

串本からはナイトラン。和歌山港到着は20時30分。21時40分発の南海フェリーで徳島港に渡り、徳島の「東横イン」に泊まった。(本日の走行距離477キロ)

11月2日(第49日目)岬めぐりの「四国一周」を開始!

6時、徳島を出発。時計まわりでの「四国一周」を開始。国道55号を南下する。阿南からは四国本土最東端の蒲生田岬へ。「がもうだ岬」とか「かもだ岬」といわれるが、地元では「かもうだ岬」と呼んでいる。

▲四国本土最東端の蒲生田岬への道

蒲生田岬には国道55号から入っていくのだが、その道のりは長く、道もわかりにくい。車のすれ違いが難しいところもある。深く切れ込んだ入江の北側には天然の良港の椿泊があるが、ここはかつての阿波水軍の根拠地。大将の森甚五兵衛に率いられ、文禄・慶長の役や大坂冬の陣にも参戦した。

岬に守られるような地形の蒲生田の砂浜は海亀の産卵地。アカウミガメ、アオウミガメ、タイマン、オサガメの4種類が、夏の満潮に乗ってやってくる。上陸すると後足で砂を掘り、1時間あまりをかけて200個ほどの卵を産み、また後足で砂をかけて海に戻っていくという。

蒲生田の集落を走り抜け、Vストローム250を道の行き止まり地点に止め、遊歩道を歩いていく。最後は急傾斜の階段を登り、岬の灯台前に立った。目の前には四国最東端の伊島が横たわっている。伊島のかなたには紀伊半島の山並みが青く霞んで見える。紀伊水道対岸の紀伊半島の日ノ岬までは30キロほどの距離だ。

蒲生田岬から国道55号に戻ると日和佐を通り、徳島県から高知県に入り、次に室戸岬に立った。国道55号は室戸岬のすぐわきを通っている。

▲国道55号で室戸岬に到達!

ここには「陸援隊」の中岡慎太郎の巨大な銅像が建っている。海岸段丘が発達している室戸岬。岬先端の海岸から段丘を登っていくと、室戸岬漁港を一望し、その向こうに室戸の町並みが広がっている。
段丘上には四国霊場八十八ヵ所第24番札所の最御崎寺。ここは通称「東寺」で、室戸の市街地の西にある第26番札所の金剛頂寺が「西寺」と呼ばれている。東寺から西寺にかけての一帯が室戸なのだという。

室戸岬を後にし、国道55号で高知へ。高知からは国道33号で伊野へ。伊野温泉「かんぽの宿いの」に泊まったが、夕食の「いの豚鍋」がうまかった。(本日の走行距離271キロ)

▲伊野温泉「かんぽの宿いの」の「いの豚鍋」

11月3日(第50日目)四国最南端の足摺岬に立つ!

伊野から須崎に行き、国道56号で中村(四万十市)へ、中村からは国道321号で土佐清水へとVストローム250を走らせる。
土佐清水から海沿いの道で四国最南端の足摺岬に向かったが、その途中の中浜、大浜、松尾は昔からカツオ漁の盛んな漁村だった。カツオ漁は文禄年間(1592年~96年)に紀州・印南の漁民たちがカツオ節の製法とともに、この地にもたらしたといわれている。

足摺岬に到着すると、まずは四国霊場八十八ヵ所の第38番札所の金剛福寺を参拝。白装束のお遍路さんたちと一緒になってお参りした。岬は空海修行の地といい伝えられ、金剛福寺も弘仁14年(823年)、空海によって創建された。

足摺岬の入口には、ジョン万次郎の銅像が建っている。中浜の漁民の次男に生まれた万次郎は14歳の時、乗った漁船が難破した。漂流しているところをアメリカの捕鯨船に助けられた。船長は万次郎をアメリカに連れていき、学ばせた。24歳になって帰国した万次郎は幕府の直参になり、得意の英語で幕末の日本の外交に大きな貢献をした。万延元年(1860年)の咸臨丸での渡米にも同行している。

足摺岬の遊歩道を歩いていく。覆いかぶさってくるヤブツバキのトンネルを抜け、岬の先端に出た。白亜の灯台が立っている。高さ80メートル余りの海食崖の先端に立つと、足がすくんでしまうほど。
目の前は黒潮の海。太平洋の荒波は断崖絶壁にぶち当り、砕け散り、白い波しぶきを豪快に巻き上げていた。

▲四国最南端の足摺岬の断崖絶壁

足摺岬から土佐清水に戻ると、海沿いの国道321号を行き、宿毛の「ホテルあさひ」に泊まった。(本日の走行距離260キロ)

11月4日(第51日目)「茅ヶ崎さん」と一緒に走る!

5時50分、宿毛の「ホテルあさひ」を出発。国道56号で愛媛県に入ると、宇和島ではVストローム650に乗る「茅ヶ崎さん」に出会った。茅ヶ崎さんは何と、神奈川県の茅ケ崎から750キロを走って来てくれた。これから3日間、一緒に走る。

▲宇和島での「茅ヶ崎さん」との出会い

八幡浜からは佐田岬半島を行く。国道197号で向かったのだが、この半島は日本で一番細長く、付け根から四国最東端の佐田岬までは50キロ以上もある。国道197号はかつてはゴロあわせで「イクナ酷道」といわれほどで、海沿いの曲がりくねった狭路だった。
それが今では半島の稜線上を走る快適なハイウェイ。右手に瀬戸内海、左手に宇和海と、同時に2つの海を見ながら走る。

▲国道378号で宇和海を行く

亜熱帯樹アコウの日本最北の群落のある三崎からは、カーブが連続する狭い道がつづく。行き止りの地点の駐車場に2台のVストロームを止め、ヤブツバキなど照葉樹がおい茂る山道を歩き、佐田岬先端の灯台へ。そこから豊予海峡対岸の九州を眺めた。高島がはっきりと見えている。その向こうの佐賀関半島は青く霞んで見えている。

▲四国最西端の佐田岬。九州の高島が見えている

▲道の駅「ふたみ」から見る瀬戸内海に落ちる夕日

八幡浜に戻ると、国道378号を行き、伊予市の「いよプリンスホテル」に泊まった。ホテル内のいよ温泉の湯に入り、湯から上がると、茅ヶ崎さんと夜の町を歩く。「まるよし」という店に入り、伊予の地酒「小富士」で乾杯!(本日の走行距離299キロ)

11月5日(第52日目)四国を往復縦断!

伊予市から松山へ。茅ヶ崎さんとの2人旅。松山からは国道33号で三坂峠を越え、伊野を通って高知へ。高知では五台山の展望台から高知の市街地を一望。山並みが高知の背後まで迫っているのがよくわかる。

▲国道33号の旧道で三坂峠を越える

▲高知の五台山の展望台。高知の市街地を一望!
▲吉野川上流の渓谷を行く

復路では国道32号で根曳峠を越え、大豊からは国道439号→国道194号→国道11号で松山に戻った。

▲国道11号沿いのラーメン店で「ガッツリA定食」を食べる

四国の往復縦断だ。松山の「東横イン」に泊まると、市電に乗って道後温泉へ。大にぎわいの「道後温泉本館」の湯にどっぷりとつかった。(本日の走行距離304キロ)

11月6日(第53日目)しまなみ海道を行く

▲しまなみ海道で大三島に到着

松山から国道196号で今治へ。今治からはしまなみ海道で大三島まで行く。ここまでが愛媛県になる。

大三島にある伊予の一宮、大山祇神社を参拝し、道の駅「多々羅しまなみ公園」で昼食。ちょっと奮発して「多々羅御膳」(2580円)を食べた。マハタの握り、ヒラメの唐揚げは瀬戸内海の味。マハタは「幻の高級魚」といわれている。

▲大三島にある伊予の一宮、大山祇神社の大楠
▲大三島の道の駅「多々羅しまなみ公園」の「多々羅御膳」

ここで茅ヶ崎さんと別れた。大三島ICから茅ヶ崎さんは北へ、カソリは南へ。茅ヶ崎さんは高速道の一気走りで神奈川県の茅ケ崎に戻っていく。カソリは今治から国道11号を行く。

▲しまなみ海道の大三島ICでの茅ヶ崎さんとの別れ

香川県に入り高松へ。高松からは四国本土最北端の竹居岬に立った。目の前の小豆島が大きく見える。夕暮れの竹居岬からの眺めを目に焼き付けた。

▲源平合戦の地、屋島に落ちていく夕日

▲四国本土最北端の竹居岬に到達。小豆島が見えている

香川県から徳島県に入り、徳島に到着だ。「徳島→徳島」の「四国一周」は1522キロになった。徳島の「東横イン」に泊まったが、「四国一周」はまだまだつづく。(本日の走行距離388キロ)

翌11月7日(第54日目)からは、四国を縦横無尽に走った。まずは四国横断。「与作」の国道439号で中村(四万十市)へ。高知からは四国往復縦断で多度津(香川県)まで行き、高知に戻ると、今度は国道195号で四ツ足峠を越えて徳島県に入った。

▲国道439号で徳島・高知県境の京柱峠を越える

▲国道32号で香川・徳島県境の猪ノ鼻峠を越える
▲国道195号で高知・徳島県境の四ツ足峠を越える

11月10日(第57日目)「四国一周」を終えると東京へ

▲徳島港に戻ってきた。ここから和歌山へ。さらば、四国よ!

午前4時に阿南の旅館「えもと」を出発し、6時、徳島に到着。「徳島→徳島」の「四国一周」は2595キロになった。8時、徳島港発の南海フェリーで和歌山港に渡ると、ここでいったん東京に戻る。紀伊半島を横断し、鳥羽港から伊勢湾フェリーで伊良湖港へ。国道42号を走り、浜松ICで東名に入った。

伊勢原の我が家に帰り着いたのは11月11日の午前1時30分だった。(本日の走行距離571キロ)

我が家でひと眠りしたあと、東京・昭島の「バイクブロス祭り」の会場へ。スズキのブースの一角に「賀曽利隆の日本一周」のコーナーが設営。「日本一周」の相棒のVストローム250を展示する。
翌12日は福山理子さんとのトークショー。「日本一周」でおおいに盛り上がった。こうして「バイクブロス祭り」を終えると、再度、仕切り直しで東京を出発するのだった。

「70代編日本一周」(8)へ続く

賀曽利隆

賀曽利隆 冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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