賀曽利隆の「70代編日本一周」(6)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「70代編日本一周」(5)

10月10日(第40日目)伊勢原探訪!

今日は一日、我が家(神奈川県伊勢原市)の周辺をまわる。
まずは国道246号沿いの洗車場に行く。「日本一周」の相棒、スズキVストローム250を洗車してピカピカにしたところで、「岩田モータース」でオイル交換をしてもらう。

軽やかなエンジン音になったVストローム250で国道246号の善波峠を越える。ここには旧道のほかに古道もある。つづいて伊勢原のもうひとつの峠、旧八王子街道の津古久峠を越える。昔は峠の茶屋があったというが、今は「世界のニッサン」の頭脳、「ニッサンテクニカルセンター」のビル群が建ち並ぶ。

伊勢原といえば大山だ。ケーブルカーで大山に登り、阿夫利神社を参拝。つづいて日向薬師も参拝し、最後に伊勢原温泉「ニュー天野屋」の湯につかった。(本日の走行距離:29km)

10月12日(第41日目)中山道を行く

▲東京の日本橋を出発。目指せ、日本海!

5時に我が家を出発し、6時30分、東京の日本橋に到着。高崎までは中山道を行く。
中山道は東京を抜け出るまでがおもしろい。東大の赤門前を通り、白山通りに出ると、巣鴨駅前からは地蔵通商店街に入っていく。この道が旧中山道。一方通行だが、板橋方向への一方通行なので、問題なく走っていける。入口の真性寺には江戸の入口を守る「六地蔵」がまつられている。

▲旧中山道の巣鴨地蔵通に入っていく

▲中山道の六地蔵。巣鴨の真性寺にまつられている

板橋駅前からは中山道最初の宿場、板橋宿に入っていく。ここも一方通行だが、戸田橋方向への一方通行なので、問題なく走れる。

▲中山道最初の宿場、板橋宿を行く

中山道の板橋宿は東海道の品川宿や甲州街道の内藤新宿、日光街道(奥州街道)の千住宿同様、都内の宿場で「江戸四宿」といわれている。板橋宿には50軒を超える旅籠があったとのことだが、おおいに栄えた宿場だった。

都営地下鉄の志村坂上駅前には「志村の一里塚」。国道17号の両側に一里塚が残されている。

▲志村坂上の中山道の一里塚。ここは日本橋から2つ目の一里塚

荒川を渡って埼玉県に入る。
第2番目の宿場、蕨宿には「中山道ふれあい広場」があって、参勤交代の様子が描かれた壁画がある。中山道の宿場の歴史を紹介する「歴史民俗資料館」(入館無料)もある。本陣、脇本陣跡も見られる。蕨宿は埼玉県内では一番、中山道の面影を残した宿場といえる。

▲中山道の蕨宿の壁画。大名行列が描かれている

第3番目の浦和宿では調神社を参拝し、第4番目の大宮宿では武蔵の一宮、氷川神社を参拝。

▲武蔵の一宮、氷川神社を参拝

大宮宿からさらに旧中山道(国道17号旧道)を行く。新大宮バイパス(現国道17号)、国道16号と横切り、上尾宿に入っていく。上尾宿の中心はJR上尾駅の周辺で、氷川鍬神社がある。その前には本陣や脇本陣が並んでいたが、今はビルが建ち並び、当時をしのぶものはない。

つづいて桶川宿、鴻巣宿、深谷宿とVストローム250を走らせていく。

▲中山道では最大級の深谷宿の常夜灯

本庄宿ではFTR223に乗る女性ライダーの「hanzouさん」に出会った。本庄宿のそば処「きむらや」で「天ざるそば」を食べ、一緒に中山道を走った。

▲中山道の本庄宿での「hanzouさん」との出会い

▲本庄宿のそば処「きむらや」で「天ざるそば」を食べる

本庄宿には金鑚(かなさな)神社がある。祭神は天照皇大神、素戔嗚尊、日本武尊の3神で、社伝によると創建は欽明天皇の2年(541年)という古社。権現造りの朱塗りの社殿が目を引く。境内には欅や銀杏の老樹がおい茂り、大楠が御神木になっている。

▲本庄宿の古社、金鑚神社を参拝

本庄宿を過ぎると埼玉・群馬県境を流れる神流川を渡り、群馬県に入る。
新町宿を通り倉賀野宿へ。倉賀野宿の入口は中山道と日光に通じる例幣使街道の追分(分岐点)。そこには閻魔堂が建ち、道標と常夜灯がある。追分というのは心を魅かれるもので、そこに立つだけで、はるか遠い世界へと旅心がいざなわれる。この倉賀野の追分で「hanzouさん」と別れた。

▲中山道の倉賀野宿の追分。右が中山道、左が例幣使街道

倉賀野宿の次が高崎宿だ。高崎で中山道と分かれ、国道17号で前橋へ。
今晩の宿は前橋駅前の「東横イン」。「温泉めぐり日本一周」の時に、何度か同行してくれた「AQUさん」が車に乗って迎えにきてくれた。一緒に高崎(室田)の焼肉店「山木屋」に行く。ここはテレビでも紹介された人気の店。

▲高崎の焼肉店「山木屋」で炭火焼の焼肉を食べる

炭火焼のカルビー、ロース、ホルモン、ガツ、タン、ハツ、レバー、軟骨…と、たら腹食べた。最高の焼肉の味!(本日の走行距離:192km)

10月13日(第43日目)雨の三国峠越え

▲前橋から雨の国道17号を行く

5時、前橋駅前の「東横イン」を出発。朝から土砂降りの雨…。Vストローム250に「がんばっていこうな!」と叱咤激励の声をかけて走り出す。雨にも雪にも負けずに走りつづけるというのが我が「日本一周」のポリシーなのだが、どうしてもテンションが下がってしまう。

国道17号で三国峠を越えて新潟県に入り、湯沢温泉の共同浴場「山の湯」に入った。湯につかった瞬間、「あー、生き返った!」と思わず声が出た。

▲三国峠を越えた新潟県側も雨…

越後湯沢から雨の国道17号を走り、道の駅「南魚沼」で朝食にする。「生たまごちゃわんめし」を食べたが、さすがコシヒカリの本場の南魚沼だけあって、ご飯のうまさが際立っていた。

▲道の駅「南魚沼」の「生たまごちゃわんめし」。ご飯がうまい!

▲浦佐の毘沙門堂。3月3日の「裸まつり」には大勢の人が集まる

さらに道の駅「越後川口」では越後名物の「笹団子」を食べ、道の駅「小千谷」では昼食の「そば御膳」を食べた。雨中ツーリングでは、ひと休みできて、食事もできる道の駅はほんとうにありがたい。

▲道の駅「小千谷」の「そば御膳」。そばがうまい!

長岡に近づいたところで、やっと雨は上がった。朝からさんざん降られたので、青空を見た時はうれしかった。

▲長岡に近づくと晴れてきた。「おー、青空だ!」とうれしくなる

長岡からは国道8号で柏崎、直江津(上越市)、糸魚川と通り、連続するトンネルで難所の親不知を走り抜け、越後・越中国境の境川を渡って富山県に入った。

▲糸魚川に到着。ここは北陸新幹線の糸魚川駅前

越中宮崎の「ドライブイン金森」で夕食にする。ここでは郷土料理の「たら汁」を食べた。

▲越中宮崎の「ドライブイン金森」の「たら汁御飯」

タラの頭をとり、内臓を取り出し、タラコと肝を別にしたタラをぶつ切りにし、昆布でダシをとった汁を味噌で煮込み、ネギを入れた汁。素朴感の漂う汁なのだが、ところがこれがじつにうまい。脂ののった富山湾産のタラの白身と越中味噌が混じり合い、絶妙の味をつくり出している。

国道8号のナイトランで黒部、魚津、滑川と通り、22時、富山に到着。富山駅前の「東横イン」に泊まった。(本日の走行距離:399km)

10月14日(第44日目)能登半島一周!

▲早朝の富山駅前を出発。能登半島へ

5時、富山駅前の「東横イン」を出発。高岡の「なか卯」で「黒毛和牛重」と「はいからうどん」の朝食を食べ、国道160号で能登半島に入っていく。さー、「能登半島一周」の開始だ。氷見を通り、県境を越えて石川県に入る。

▲「氷見ブリ」で知られる氷見漁港

▲国道160号の富山・石川県境に到着

七尾から和倉温泉へ。人気の共同浴場「総湯」に入り、能登島大橋で能登島に渡る。能登島を一周したあと、和倉温泉に戻った。ここからは県道1号→国道249号で北へ、穴水から珠洲に向かう。その途中では能登半島のシンボル、軍艦島を見た。

▲能登半島のシンボルの軍艦島(見附島)。見れば見るほど軍艦に似ている

珠洲からは海沿いの道で能登半島突端の禄剛崎へ。道の駅「狼煙」にVストローム250を止め、ドライブイン「狼煙」でカレーライスを食べ、禄剛崎まで歩いていく。わけない距離だ。

禄剛崎は古くから日本海航路の重要な地点で、この辺りの地名が狼煙であることからもわかるように、海岸防備の拠点とされてきた。奈良時代にはすでに狼煙台が置かれていたという。

新第三紀層の泥岩から成る海岸段丘の禄剛崎は標高46m。切り立った岬先端の断崖上に立つと、目の前には日本海の大海原が広がっている。断崖の下の千畳敷と呼ばれる岩礁地帯には荒波が打ちつけ、白い波が砕け散っていた。

岬の先端には明治16年に完成したフランス人の設計による灯台、その手前には「日本列島ここが中心」の碑が建っている。なるほど禄剛崎を中心にして円を描くと、日本本土最北端の宗谷岬と最南端の佐多岬が同心円上にくる。能登半島を3つに分けて口能登、中能登、奥能登と呼ばれているが、奥能登の東北端が禄剛崎になる。

▲能登半島突端の禄剛崎の灯台

禄剛崎からは奥能登の日本海に面した外浦海岸を行く。揚浜塩田を見てまわり、断崖が海に落ちる曽々木海岸を歩き、白米の千枚田を見下ろした。

▲曽々木海岸の断崖を貫くトンネル

白米の千枚田は山の上から海岸まで、段々になった2,000枚以上もの田がつづいており、目を奪われてしまう。どれもチマチマした田で、1枚の田は平均すると2坪(約6.6m2)にも満たないとのことだが、米作りに執念を燃やし、懸命に生きてきた日本人の姿をここに見る。

輪島からは国道249号を南下。門前、富来と通り、羽咋市に入る。能登の一宮、気多大社を参拝し、夕暮れの千里浜に到着。そこでは風間深志さんが出迎えてくれた。じつはSSTRプレミアムのイベントに呼ばれていたのだ。

▲千里浜に到着。SSTRの主催者、風間深志さんが出迎えてくれた

SSTRのイベント会場、「ゆ華ガーデン」にVストローム250で突入。日本各地からやってきた参加者のみなさんに大歓迎された。みなさん、ありがとう。

三好礼子さんとのトークショーで会場を盛り上げた。礼子さんは19歳の時にハスラー250で「日本一周」を成しとげているが、トークショーのテーマはまさに「日本一周」。

イベントが終わると、温泉宿の「ゆ華」で礼子さんと飲む。能登の地酒、「龍鷹」の一升瓶をドンと置いて、「カソリさん、さー、飲むわよ!」と言われては、ぼくも負けてはいられない。日付が変わる頃には2人で一升瓶を空にした。それにしても礼子さんは強い!(本日の走行距離:330km)

▲SSTRでのトークショーのあと、三好礼子さんと一升瓶を空にする

10月15日(第45日目)東日本編、終了!

▲早朝のなぎさドライブウェイを走る

目を覚ますとすぐに、夜明けのなぎさドライブウェイを走り、そのあとで「ゆ華」の朝湯に入った。朝食を食べ、道の駅「のと千里浜」でのSSTRのセレモニーに参加。会場を千里浜に移し、セレモニーが終わると参加者のみなさんを見送り、ぼくも11時に出発。のと里山道路→国道8号で倶利伽羅峠を越えて富山県に入った。

▲国道8号で倶利伽羅峠を越える

あいの風とやま鉄道の石動(いするぎ)駅で昼食。「天たまうどん」を食べ、福岡ICで高速に入る。

▲あいの風とやま鉄道の石動駅前に到着

能越道→東海北陸道→中部縦貫道と走り、高山から国道158号を行く。
安房峠道路で安房峠のトンネルを抜けて長野県に入り、松本ICから中央道で東京へ。途中の諏訪湖SAで「ハイウェイ温泉諏訪湖」の湯に入り、レストランで夕食。「ソースカツ丼」を食べた。

▲諏訪湖SAのレストランで「ソースカツ丼」を食べる

諏訪湖SAを出発。最後は雨中の高速走行。中央道→首都高で東京の日本橋に到着したのは23時45分。これにて「日本一周」の「東日本編」、終了。9月1日から10月15日までの45日間で1万2,478kmを走った。

▲雨の日本橋に到着。これにて「東日本編」、終了!

伊勢原の自宅に戻ったのは1時20分。さー、次は「日本一周」の「西日本編」だ。Vストローム250に、「ひきつづき頼むぞ!」と声をかけるのだった。(本日の走行距離:525km)

「70代編日本一周」(7)へ続く

賀曽利隆

賀曽利隆 冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

この著者の最新の記事

関連記事

編集部おすすめ

  1. ▲ストリートトリプルRS クリスタルホワイト トライアンフは、2019年モデルの「ストリートト…
  2. 蘇る伝説!キング・ケニーも愛した黄金のホイール! モーリスマグが限定復刻! 1970…
  3. 400ccクラスでツーリングをしたい方にオススメのバイク ライダーの皆さんがバイク選びをす…
  4. ▲300 EXC TPI 日本初導入の4車種を含む豊富なバリエーション KTM Japanは…
ページ上部へ戻る