賀曽利隆の「Vストローム1000と街道を行く!」羽州浜街道編(3)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:「Vストローム1000と街道を行く!」羽州浜街道編(2)

「奥の細道」最北の地「象潟」へ

山形・秋田県境の三崎から羽州浜街道の国道7号に戻ると、「街道旅」の相棒のスズキVストローム1000を北へと走らせる。左手に日本海を見ながら走り、象潟に到着だ。

▲国道7号の山形・秋田県境。三崎はここを左に入っていく

▲三崎から日本海の海岸線に沿って象潟へ

▲象潟のJR羽越本線の象潟駅前に到着

象潟では、まずは絶景ルートの鳥海ブルーライン入口にある奈曽の白滝を見に行く。日本海東北道の象潟ICを通り、金峰神社へ。奈曽の白滝は金峰神社の御神体で、優美さと豪快さを兼ね備えた高さ26メートルの名瀑。滝壺まで下っていける。

▲鳥海ブルーラインの入口にある金峰神社を参拝

▲金峰神社の御神体にもなっている名瀑の「奈曽の白滝」

鳥海山の周辺は日本有数の名瀑地帯。秋田県側には日本の滝100選の法体の滝、山形県側には飽海三名瀑などがある。奈曽の白滝を見たあとは金峰神社の鳥居前の食堂「ブルーパーク」で「オムライス」を食べた。ボリューム満点のオムライスだ。

▲金峰神社の鳥居前の食堂「ブルーパーク」で「オムライス」を食べる

ここが「奥の細道」最北の地になる。
芭蕉の『おくのほそ道』は我が旅の教科書のようなものだが、その中でも、ぼくは次のような象潟の項が一番、好きだ。

江山水陸の風光を尽くして、今象潟に方寸を責む。酒田の港より東北のかた、山を越え、磯を伝ひ、いさごを踏みて、その際十里、日影やや傾くころ、潮風真砂を吹き上げ、雨朦朧として鳥海の山隠る。闇中に模索して「雨もまた奇なり」とせば、雨後の晴色またたのしきものと、あまの苦屋に膝入れて、雨の晴るるを待つ。

その朝、天よくはれて、朝日はなやかにさし出づるほどに、象潟に舟を浮かぶ。まず能因島に舟寄せて、三年幽居の跡を訪ひ、向かうの岸に舟を上がれば、「花の上漕ぐ」とよまれし桜の老の木、西行法師の記念を残す。江上に御陵あり。神功皇后の御墓という。寺を干満珠寺という。この所に行幸ありしこといまだ聞かず。いかなることにや。

この寺の方丈に座して簾を捲けば、風景一眼の中に尽きて、南に鳥海、天を支え、その影映りて江にあり。西はむやむやの関、道を限り、東に堤を築きて、秋田に通ふ道遥かに、海北にかまえて、波うち入るる所を汐越といふ。江の縦横一里ばかり、俤松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふがごとく、象潟は憾むがごとし。寂しさに悲しみを加へて、地勢魂を悩ますに似たり。

芭蕉は「江山水陸の風光を尽くして」と、象潟を絶賛している。まるでここが「奥の細道」のゴールですよといわんばかりの書き方で、象潟の描写にはひときわ熱が入っている。とくに印象深いのは干満珠寺から見た風景だ。

「この寺の方丈に座して簾を捲けば、風景一眼の中に尽きて、南に鳥海、天を支え、その影映りて江にあり。西はむやむやの関、道を限り、東に堤を築きて、秋田に通う道遥かに、海北にかまえて、波うち入るる所を汐越という」

この1節は『おくのほそ道』を通しても一、二の名文。「むやむやの関」とあるのは「有耶無耶の関」のことである。

震災により変わり果てた象潟

▲「奥の細道」の蚶満寺にやってきた。ここが「奥の細道」最北の地

▲蚶満寺の芭蕉像

▲蚶満寺の山門

象潟に到着すると蚶満寺を参拝する。この寺が芭蕉の時代の干満珠寺になる。境内には芭蕉像と絶世の美女、西施像が建っている。しかし今では、『おくのほそ道』にあるような風景は見られない。象潟が潟でなくなってしまったからだ。

なんとも残念なことだが、文化元年(1804年)の「象潟地震」でこの一帯は隆起し、「江の縦横一里ばかり」とある潟が陸地になってしまった。

蚶満寺の境内には舟つなぎ石が残されている。それが当時は潟の岸辺にある寺だったことを証明している。またここからはポコッ、ポコッと盛り上がった小丘をいくつも見るが、それが当時の九十九島。今では稲田の中に浮かんでいる。

▲象潟の九十九島。今では稲田の中に浮いている

象潟の郷土資料館に行くと、大地震以前の復元された模型が展示されている。それを見ていると、あらためて「残念…」という気持ちがわき上がってくる。

芭蕉は「松島は笑うがごとく、象潟は憾がごとし」といっているが、まさにそのとおりの現状だ。松島は時代を越えた「奥の細道」ブームも手伝って、押すな押すなの大盛況。瑞巌寺や五大堂などは、人をかきわけて歩くようなものだ。それにひきかえ、潟でなくなってしまった象潟はまるで忘れ去られたかのような存在で、訪れる人は少ない。

蚶満寺の参拝を終えると、道の駅「象潟」の象潟温泉「眺海の湯」に入る。日本海を一望するまさに眺海の湯。ここの最上階の6階には無料展望台がある。こうして名残おしい象潟を離れるのだった。

▲道の駅「象潟」の象潟温泉「眺海の湯」に入る

象潟から国道7号を北へ

金浦では旧道で金浦宿を走り、JR羽越本線の金浦駅や金浦漁港、漁港周辺の古い家並みを見てまわった。

▲羽州浜街道の金浦宿を行く

▲金浦宿のJR羽越本線の金浦駅

▲金浦宿の金浦漁港

次の仁賀保でも旧道に入り、「TDK歴史館」を見学する。TDKはこの地で生まれた世界企業。象潟、金浦、仁賀保の3町は2005年10月に合併し、今ではにかほ市になっている。

▲仁賀保の「TDK歴史館」を見学する

仁賀保を過ぎると由利本荘市に入り、左手に日本海を見ながら走る。

西目では道の駅「にしめ」で「にしめの湯っ娘ランド」の湯に入り、湯から上がると、道の駅のレストランで「本荘うどん」の「天ぷらうどん」を食べた。本荘うどんは稲庭うどん風の細麺で、シコシコした腰の強い麺。そんな本荘うどんのざるうどんにカラッと揚げた天ぷらがついている。

▲西目の「にしめの湯っ娘ランド」。ここでは宿泊もできる

▲西目の道の駅「にしめ」

▲西目の道の駅「にしめ」では「本荘うどん」を食べる

「東北ツーリング」の重要ポイント

本荘に到着すると、国道7号から町中に入っていく。本荘は本荘藩2万石の城下町。ここは「東北ツーリング」のきわめて重要なポイントで、国道105号、国道107号、国道108号の3本の国道の起点になっている。

▲本荘からは東北横断の3本の国道が出ている

国道107号と国道108号は東北横断国道だ。国道107号は大船渡、国道108号は石巻と、太平洋岸が終点になっている。国道105号は盛岡が終点だが、そのまま国道106号を走れば太平洋側の宮古まで行けるので、やはり東北横断国道のようなものだ。

本荘では豪壮な山門の永泉寺を参拝し、子吉川河岸の本荘漁港を見た。

▲本荘の永泉寺の山門

▲本荘の子吉川河岸の本荘漁港

松ヶ崎から亀田藩2万石の城下町へ

本荘を出発し、国道7号を北へ。日本海を間近に眺めながらの快適走行。

▲本荘からは日本海の海岸線に沿って北上する

▲松ヶ崎の灯台

松ヶ崎からは国道341号で亀田宿へ。ここは亀田藩2万石の城下町。元和9年(1623年)に信州・川中島から移封された岩城氏の城下町。

▲亀田宿入口にまつられている地蔵

町中の小道を走り抜け、亀田の歴史パーク「天鷺村」へ。亀田城の大手門を復元したという城門をくぐり、史料館や移築された民家、武家屋敷、高さ22メートルの天鷺城の亀田歴史館を見てまわった。

「天鷺」というのは、西暦800年頃、この地を支配していた豪族の天鷺速男に由来するという。天鷺速男は天鷺山に居を構えていたが、坂上田村麻呂との戦いで敗れ、亡んだという。

▲亀田宿の天鷺城。ここは「亀田歴史館」になっている

▲「亀田歴史館」に移築された佐々木家住宅。かつての生活ぶりがよくわかる

つづいて「亀田城」に行く。ここは亀田藩の亀田城を復元したもので美術館になっている。茶室もある。

▲ここは「亀田城」に行く。亀田藩の亀田城を復元したもので今は美術館

岩城氏というと福島県の浜通り南部を支配した戦国大名で知られているが、同じ家系の岩城氏を通して、秋田県の岩城町は福島県のいわき市と親子都市になった。岩城町が合併して由利本荘市になった以降は、由利本荘市といわき市が親子都市になっている。秋田県の亀田宿まで来て、福島県のいわき市とのつながりを知るのだった。

亀田から国道7号に戻ると、日本海に沿ってさらに北へ。道の駅「岩城」でV-ストローム1000を止めて小休止。ソフトクリームを食べた。

▲道の駅「岩城」でソフトクリームを食べる

羽州浜街道を走破。広がり続ける「カソリの日本地図」

▲秋田の大河、雄物川を渡る

いよいよ最後の行程。左手に日本海を見ながら国道7号を走り、秋田の手前で旧国道7号の県道56号に入る。雄物川を渡り、国道13号(羽州街道)との茨島の交差点を羽州浜街道のゴールにした。秋田は羽州街道の久保田宿だ。

▲秋田の茨島の交差点に到着。ここを羽州浜街道のゴールにした

これで江戸の五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)につづいて羽州街道、北国街道、三国街道、会津街道、そして羽州浜街道の全線を走破したことになる。

Vストローム1000のおかげで街道と街道が頭の中で結びつき、我が日本地図が次々に完成していくかのような壮大な気分を味わうのだった。

賀曽利隆

賀曽利隆 冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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