賀曽利隆の「Vストローム1000と街道を行く!」会津街道編(1)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「Vストローム1000と街道を行く!」三国街道編(2)

「佐渡三道」の最後の1本、会津街道を行く

三国街道につづいて、奥州街道の白河宿から新潟港まで、街道旅の相棒V-ストローム1000で会津街道を走った。「三国街道編」でもふれたように、会津街道は佐渡金山の金銀を江戸まで運ぶ「佐渡三道」の1本だった。

北国街道、三国街道、そして今回の舞台になる会津街道の佐渡三道は、「江戸五街道」に次ぐ重要な脇街道になっていた。会津街道は白河から会津若松までの白河街道と、会津若松から新潟までの越後街道に分けられる。

出発点はJR白河駅だ。早朝の駅前に立ち、趣のある駅舎を目に焼き付けたところで出発。駅の裏手の小峰城(白河城)に行ったあと、奥州街道の白河宿を走り始める。

▲JR白河駅前を出発

▲白河駅前の小峰城

鉤型道(クランク)の残る白河宿。本陣跡と脇本陣跡が街道をはさんで向かいあっている。江戸五街道としての奥州街道はここまでなので、白河宿はきわめて重要な宿場になっていた。

▲奥州街道の白河宿を行く

太平洋岸のいわき市に通じる御斎所街道との追分(分岐点)を左に折れ、阿武隈川を渡ると国道4号の女石の交差点に出る。ここが白河追分になる。追分というのは街道の分岐点のことだ。

▲白河で阿武隈川を渡る

▲ここが女石の追分。奥州街道は右へ、国道294号が会津街道になる

奥州街道は右折する。会津街道は左折してすぐに右折し、国道294号を行く。白河から会津若松までの会津街道(白河街道)は、ほぼ国道294号に相当している。

ということで会津街道の第1番目の宿場、飯土用宿を探し求めて国道294号を走ったが、それらしき集落を見つけられないまま、旧大信村(現白河市)の中心地、町屋まで行ってしまった。

旧大信村役場前でV-ストローム1000を止め、旧大信村の案内図を見た。
「あった!」
飯土用宿は国道294号から分岐する県道281号沿いにあったのだ。

すぐさま引き返し、飯土用宿に行く。会津街道にこだわらなければ、気がつかないまま通り過ぎてしまうような小集落。集落の外れには飯豊比売神社の石の鳥居と石の常夜灯が立っている。湯殿山と古峯神社、二十三夜様の石塔も立っている。

▲会津街道第1番目の宿場、飯土用宿の飯豊比売神社

会津街道の第1番目の宿場を見つけられたうれしさが胸にこみ上げてくる。「やったね!」という気分でV-ストローム1000を走らせ、意気揚々として町屋まで戻った。このように旧道を探して走る、宿場を探して走るというのは、バイク街道旅の大きな魅力といえる。みつけ出したときはうれしいものだ。

かつて大名行列が通っていた上小屋宿

次に第2番目の宿場、上小屋宿を目指して国道294号を走ったが、見つけられないまま天栄村に入ってしまった。道の駅「季の里天栄」で引き返し、町屋まで戻ると、さきほどの旧大信村の案内図を見る。すると上小屋宿も国道294号沿いではなく、町屋から西に行く県道58号沿いにあった。

すぐさまV-ストローム1000を走らせ上小屋宿へ。5キロほど走ると上小屋宿に到着。ここは飯土用宿よりもはるかに大きな集落。街道の両側に建ち並ぶ家々には、「本陣」とか「旅籠吉野屋」、「駕籠屋」、「鍛冶屋」などの屋号の書かれた看板が掲げられている。

▲会津街道第2番目の上小屋宿を行く

江戸時代末期の宿場の町割り図を見ると、旅籠はそのほかにも大黒屋、鶴屋、茗荷屋、越後屋、白河屋、藤屋があった。上小屋宿はにぎわった宿場だったことがよくわかった。この宿場を会津藩や新発田藩の大名行列が通っていった。日本地図を作製した伊能忠敬もこの宿場を拠点にして周辺の測量をしたという。

地図上で白河宿と飯土用宿、上小屋宿を直線で結ぶと、その線上に第3番目の牧之内宿(天栄村)がくる。かつての会津街道は国道294号よりも西を通っていたことがわかったところで上小屋宿を後にし、町屋に戻った。

白河藩と長沼藩の藩境

再度、町屋から国道294号を走り、白河市から天栄村に入る。道の駅「季の里天栄」を過ぎ、県道232号を右折する。そこが牧之内宿になる。そのまま県道232号を走って長沼宿へ。この県道が会津街道になる。

天栄村と須賀川市の境のゆるやかな峠には「木杭の一里塚」が残っている。そこには「従是白河藩領」と彫り刻まれた石の境界標も立っている。境界標はすっかり風化し、今にもボロボロッと崩れそうだ。

▲天栄村と須賀川市の境のゆるやかな峠には「木杭の一里塚」が残っている

ここは白河藩と長沼藩の藩境。長沼は城下町で1万石の小藩だった。交通量極少の峠道を下り、国道118号を横切って長沼宿に入っていった。そこには長沼城跡や「長沼歴史民俗資料館」がある。

▲会津街道の旧道を行く

▲会津街道の長沼宿に到着

40年前の思い出がよみがえる思い出の地

長沼宿から国道118号で次の江花宿へ。国道118号と国道294号の合流地点の集落が江花宿になる。旧道で集落内に入っていったが、ここは我がなつかしの地なのだ。

ぼくがバイクでの「峠越え」を始めたのは今から40年以上も前のことになるが、40年前には「奥羽山脈南部の峠」編で白河から会津若松へと走り、勢至堂峠を越えた。

その時のことだ。
江花宿でバイク(サハラ砂漠縦断を成しとげたスズキ・ハスラーTS250)を止め、ひと息入れた。すると向かいの家の戸が開き、おばあさんが顔を出した。その瞬間、「こんにちは」と大きな声で挨拶した。地元の人と目が合ったら挨拶するのは旅の鉄則だ。

おばあさんは外に出てきて、「オートバイであちこちまわるのは大変だね。さあ、上がってお茶でも飲んでいきなさい」と声をかけてくれた。おばあさんの家に上がり、お茶を飲みながら手作りの漬物をいただいた。おばあさんは82歳になるとのことだが元気で、記憶もしっかりしていた。

「家の前の街道を会津のお殿さまが白河から江戸へ、参勤交代の時にお通りになったのですよ。それが戦時中には戦車や大砲が地響きをたてて通り過ぎていきました。勢至堂峠を越えて白河から若松(会津若松)に向かっていったのです」

おばあさんのご主人は戦時中、郡会議員(当時は岩瀬郡)をしていて、ずい分と骨を折って勢至堂峠を戦車でも越えられるようにしたという。そのご主人も早くに亡くなった。おばあさんはご主人の話になると寂しげな表情を浮かべるのだった。

それにしてもすごいのは、40年も前の出来事が鮮やかに蘇ってくる。
これが旅のよさというものだ。

▲なつかしの江花宿を行く。40年前の思い出がよみがえる

勢至堂峠を越え、会津街道三宿を行く

江花宿からは国道294号を行く。旧道で勢至堂宿へ。ひっそりと静まり返った勢至堂の集落を走り抜ける。バス停の時刻表を見ると、長沼行のバスが1日1本出ているだけ。そのまま旧道で勢至堂峠に向かったが、峠道の入口で通行止になっていた。

▲勢至堂峠下の勢至堂宿を行く

▲勢至堂峠の旧道は通行止め

40年前に勢至堂峠を越えた時は新道のトンネルはまだ完成していなかった。ガタガタの砂利道を登りつめ、標高650メートルの峠を越えたのだ。当時はダート国道などがまだ日本中にあたりまえにあった。

ということで今回は新道の勢至堂トンネルを抜けて勢至堂峠を越えた。

▲勢至堂峠の新道を行く

▲勢至堂峠を貫く勢至堂トンネル

勢至堂峠は中央分水嶺(奥羽山脈)の峠。須賀川市と郡山市の境で、江戸時代には白河藩と会津藩の藩境になっていた。福島県を中通りと会津の2つの世界に分ける勢至堂峠は、会津街道の大きな境目になっている。

勢至堂峠を下っていくと、猪苗代湖南岸の「会津街道三宿」のひとつ、三代宿に入っていく。ここには口留番所や本陣、問屋があった。「えびな食堂」の隣には「三代の一里塚」が残っている。

▲三代宿の「三代の一里塚」

つづいて福良宿、赤津宿と会津街道三宿を通っていく。福良宿は会津若松から1日の行程で、泊まり客が多く、何軒もの旅籠があった。

ここはまた猪苗代湖の舟運の拠点になっていた。湖畔の舟津まで行くと、「藩領境の大松」跡のモニュメントが建っている。会津藩と二本松藩の藩境の目印になっていた大松は、残念ながら平成23年に枯れてしまったという。

▲福良宿からは猪苗代湖まで行ってみる

会津のシンボル、磐梯山

赤津宿を過ぎると黒森峠を越える。新道はトンネルで抜けていくが、ここでは旧道で峠を越えた。交通量は皆無に近く、道の両側には草がおい茂っている。郡山市と会津若松市の境の黒森峠を越えると、猪苗代湖西岸の広々とした平地へと下っていく。

▲旧道で黒森峠へ

原宿、赤井宿の2つの宿場を通るが、原宿は国道294号沿いに家並みがつづき、赤井宿は旧道沿いに家並みがつづいている。会津のシンボルの磐梯山は、赤井宿あたりからが一番きれいに見えた。

▲原宿を行く

▲赤井宿を行く

▲赤井宿から見る磐梯山

細道を登り滝沢峠へ。峠越えは新道で

国道294号をさらに行くと沓掛峠を越えた地点で国道49号にぶつかる。そこには会津の名水「強清水」がある。その前には名物の天ぷらとそばの店が建ち並んでいる。元祖「清水屋」と本家「もろはくや」、それと「やまぐち屋」の3軒だ。そのうち「もろはくや」でニシンとイカ、まんじゅうの天ぷらと手打ちそばの「もりそば」を食べた。

▲会津街道の名水「強清水」

▲「強清水」前の「もろはくや」

▲「もろはくや」で手打ちそばの「もりそば」を食べる

沓掛峠から会津若松へと下っていく。国道49号の1本手前の道が会津街道になる。峠道を下ったところが金堀宿。金堀宿の小集落に入り、集落内の細道を登りつめたところが滝沢峠だ。

▲会津街道の旧道で会津若松へ

▲金堀宿から滝沢峠へ。旧道は峠上で行止り

自動車道はここで行止り。金堀宿まで戻ると新道で滝沢峠を越え、会津若松へと下っていくのだった。

▲滝沢峠の新道で会津若松に下っていく

「Vストローム1000と街道を行く!」会津街道編(2)へ続く

賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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