賀曽利隆の「Vストローム1000と街道を行く!」三国街道編(2)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「Vストローム1000と街道を行く!」三国街道編(1)

三国峠を下り、三国三宿へ

上越国境の三国峠を下って「三国三宿」へ。三国三宿というのは三国峠と芝原峠の間にある浅貝宿、二居宿、三俣宿の3宿のことだ。

▲上越国境の三国峠からの眺め

最初の浅貝宿は今では三国街道の宿場町というよりも苗場スキー場のスキーの町としてのイメージが強い。
本陣跡は宿場の中央にある「ホテル本陣」。さすが本陣といったところで格式のあるホテル。ホテル内の「本陣歴史資料館」は自由に見学できる。

▲「三国三宿」の浅貝宿

次の二居宿は山中にひっそりとたたずむ宿場といった風情。本陣跡は「富沢旅館」だが、今はやっていない。
富沢家は慶長14年(1609年)に二居宿が誕生したとき、大沢(南魚沼市)から迎えられた。それ以来、庄屋・問屋・本陣役を勤めた。三国街道を参勤交代する大名のうち、村松藩は帰国時によく二居宿を使った。中山宿、二居宿、六日町宿に泊り、魚野川を船で下ったという。
二居宿では藩主は本陣に泊り、家臣たちは村中の家々に分宿した。「富沢旅館」の建物は慶応4年(1868年)の戦火で焼失したあと、明治2年(1869年)に元のままの形で再建されたものだという。

▲「三国三宿」の二居宿。ここは本陣跡の「富沢旅館」

最後の三俣宿には脇本陣の「池田屋旅館」が残っている。三国三宿では唯一の江戸時代の遺構。天井の高い堅牢な造りの書院造りで、水墨画の襖絵や透彫の欄間などに脇本陣としての風格が漂っている。ここも今は旅館をやっていない。

▲「三国三宿」の三俣宿。ここは脇本陣の「池田屋旅館」

三国三宿ですごくいいのは、それぞれの宿場に日帰り湯の温泉があることだ。宿場をめぐりながら、浅貝宿の「雪ささの湯」、二居宿の「宿場の湯」、三俣宿の「街道の湯」の3湯をハシゴ湯した。宿場町の温泉というのはいいものだ。

三国三宿の宿場めぐりを終えると、国道17号の芝原峠を越え、湯沢宿へと下っていく。上越国境の谷川連峰から流れ出る魚野川沿いの魚沼盆地に入ったのだ。
湯沢温泉で知られる湯沢宿に着くと湯沢駅前のメインストリートを走り抜け、湯沢宿を見下ろす高台にある共同浴場「山の湯」に入った。ここの湯は湯沢温泉の中でも一番だという人もいるほどだ。

▲芝原峠のトンネルを走り抜ける
▲ここは湯沢宿。越後湯沢の温泉街を行く

その次は関宿。狭路の旧三国街道を行く。国道353号に出ると左折し、1キロほど走った山裾にある上野温泉「名月荘」に泊まった。湯から上がると人気急上昇中の地酒「鶴齢」を冷やで飲みながら、夕食のすき焼きを食べた。「鶴齢」はすっきりさっぱりとした味わい深い酒。

▲一晩泊まった上野温泉「名月荘」の夕食。すき焼きの肉はやわらか!

絶景!最高に美い越後三山を見ながら走り抜ける

▲上野温泉「名月荘」を出発

翌日は三国街道の旧道に戻ると関宿を走り抜け、塩沢宿へ。魚沼盆地越しに見る上越国境の山並みに目を奪われる。その中心には巻機山(1967m)。左手には魚沼丘陵の山並みがつづく。

塩沢宿に着くと、塩沢駅前を出発点にして整備された宿場町を見てまわる。昨晩飲んだ地酒「鶴齢」の酒蔵もここにある。

▲塩沢宿のJR塩沢駅

塩沢といえば『北越雪譜』や『秋山紀行』の著作で知られる江戸時代の文人、鈴木牧之の故郷。
ということで塩沢宿には「鈴木牧之記念館」がある。塩沢はまた伝統的な織物の町。我が妻は今、着物に凝っている。つい最近、塩沢まで妻の着物を買うのにつき合わされた…。まあそれはおいて、塩沢宿には「塩沢つむぎ記念館」もある。

▲塩沢宿を行く。塩沢は織物の町

南魚沼の中心の六日町宿からは寂れかかった宿場の風情の漂う五日町宿を通り、毘沙門堂のある浦佐宿へ。3月3日の裸まつりには大勢の観光客が押し寄せる。浦佐宿を過ぎると南魚沼から北魚沼に入る。

▲浦佐宿に入っていく
▲浦佐宿の毘沙門堂。3月3日の「裸まつり」には大勢の人がやってくる

右手には八海山(1778m)、中ノ岳(2085m)、駒ヶ岳(2002m)の「越後三山」が見えてくる。真ん中の一番奥に見えるのが中ノ岳。越後三山を見ながらV-ストローム1000を走らせていると、思わず、「おー、絶景!」の声が出る。堀之内宿の手前で魚野川越しに見た越後三山は最高の美しさ。これぞ「日本の美」。

▲魚野川越しに見る八海山(右)、中ノ岳(中)、駒ヶ岳(左)の越後三山

堀之内宿の次の川口宿を過ぎたところで魚野川は信濃川に合流する。

▲堀之内宿を行く
▲川口宿を過ぎると信濃川と魚野川の合流地点を見下ろす

川口宿から麻織物「小千谷縮(おぢやちぢみ)」の小千谷宿を通り、国道17号の越の大橋で信濃川を渡ったところが妙見宿。今では三国街道の宿場を感じさせるものは何もない。幅の広い国道17号をV-ストローム1000で一気に走り抜けていく。

▲小千谷宿のJR小千谷駅前

次の十日町宿は国道17号の長岡東バイパスと旧道(県道498号)の分岐点あたりの宿場だが、寂れた町並みで、廃業したガソリンスタンドには廃船が打ち捨てられていた。
そして国道17号の旧道で長岡宿に入っていく。その途中からは電柱が消えてすっきりとした街並みになる。

▲ここは長岡の中心。長岡駅前には長岡城跡がある

長岡は長岡藩の城下町として栄えたが、昔も今も三国街道の拠点。戊申戦争、太平洋戦争と2度にわたって市街地は壊滅的な打撃を受けたが、そのたびに不死鳥のようによみがえって復興を成しとげた。

20数年前、日本橋から歩いた思い出の出雲崎

長岡から三国街道は出雲崎、寺泊、新潟と3方向に延びている。まずは出雲崎へ。国道352号の蔵王橋で信濃川を渡り、大野の交差点で国道403号と分岐し、中永トンネルで頚城丘陵の中永峠を越え、国道116号を横切って北国街道の出雲崎宿に出た。感動の出雲崎だ。これで「三国街道」と「北国街道」がつながった。

佐渡が見える出雲崎の海岸にV-ストローム1000を止めると、胸がジーンとしてしばらくは動けなかった。20数年前に歩いた「日本橋→出雲崎」が思い出されてならなかったからだ。
3月上旬のことで、6日間で三国街道を歩き通したのだが、三国峠を越えた越後路は冬と変わらない雪と寒さ。その中で全泊、野宿した。

そんな出雲崎宿で折り返すと先ほどの大野の交差点まで戻り、今度は国道403号で与板宿に入り、県道22号で北国街道の寺泊宿まで行く。ここでもやはり「三国街道」は「北国街道」につながった。寺泊港からは佐渡の赤泊港にフェリーが出ている。

長岡から新潟へ。国道17号は国道8号に合流し、三国街道は国道8号になる(正確にいうと長岡~新潟間は国道8号と国道17号の重複区間で、国道17号の終点は新潟になる)。

次の今町宿を過ぎると、広々とした水田地帯の向こうに弥彦山が見えてくる。その右手には角田山も見える。三条宿を通り、月潟宿まで来ると、角田山が正面に大きく見えている。

▲ハンノキの並木道を行く

月潟宿の近くではハンノキの並木道を走った。ハンノキは稲架として使われた。立ち並ぶハンノキに丸太や竹竿を渡し、それに収穫した稲を架けて天日で干したのだ。今ではもうほとんど見られない光景。

いよいよ佐渡へ上陸、終点の相川へ

月潟宿から白根宿、大野宿を通り、ついに新潟宿に到着。信濃川河口の佐渡汽船のターミナルビルまで行き、佐渡の両津港行きの「おけさ丸」にV-ストローム1000ともども乗り込んだ。

▲白根宿を行く
▲新潟に到着。信濃川にかかる萬代橋のたもとで

▲佐渡汽船で佐渡へ。離れていく新潟港

佐渡汽船の「おけさ丸」に乗船すると食堂で「佐渡カレー」を食べ、甲板に上がった。16時、新潟港を出港。冷たい風に吹かれながら、甲板に立ちつくす。やがて東の空から14夜の大きな月が昇り、夕日が日本海に沈んでいく。

▲佐渡汽船から見る日本海に落ちる夕日

最初は別々に見えていた角田山と弥彦山は重なり合って見えるようになり、まるで日本海に浮かぶ大島のようだ。「おけさ丸」は18時30分、両津港に到着。佐渡に上陸。越後から佐渡へと国が変わった。

V-ストローム1000で夜道を走り、カキの養殖で知られる加茂湖畔の椎崎温泉「ホテルニュー桂」に泊まった。大浴場の湯から上がると、まずはビールで佐渡に乾杯。そのあと夕食。殻付きカキの陶板焼きやベニズワイガニ、さらには寒ブリ、甘エビなどの刺身、白身魚のフライ、バイ貝…と、日本海の海の幸を存分に味わった。

▲一晩泊まった椎崎温泉「ニュー桂」の夕食。海鮮三昧!

翌朝、目をさますと、4階の部屋の窓から加茂湖を見下ろした。湖面には名産のカキの養殖イカダが浮かんでいる。加茂湖は元々は淡水湖だったそうだが、今は海とつながっている。加茂湖の対岸にはゆるく連なる大佐渡山地の山並みを一望する。朝湯に入り、朝食を食べて出発だ。

▲両津港を見る。背後には大佐渡山地の山並み

佐渡一周道路で佐渡南部の海岸線を行く。対岸には越後の山々がはっきりと見える。その左端には角田山。角田山は目立つ山だ。寺泊港へのフェリーの出る赤泊港には、「佐渡奉行渡海の御座船」のモニュメントが建っている。

佐渡の一宮、度津神社に参拝。渡津神社の赤い大鳥居には誇らしげに「一宮」の額が掲げられている。豪壮な造りの社殿はさすが佐渡国の一宮と思わせるものだ。

▲佐渡国の一宮、度津神社を参拝

直江津港へのフェリーの出る小木港へ。ここでは名物のたらい舟を見た。その先の宿根木では「小木民俗博物館」を見学。復元された千石船「白山丸」が展示されているが、全長23メートル、最大幅7メートルの千石船は迫力満点。江戸時代の日本の造船技術の高さを見せつけている。
佐渡最西端の沢崎鼻の灯台まで行き、小木に戻ると、国道350号を行く。

▲佐渡最西端の沢崎鼻

波静かな真野湾を見ながら走り、佐和田からは県道31号で相川へ。佐渡金山のある相川が三国街道のゴールだ。

▲三国街道の終点、相川の町に到着

相川から山中に入り、佐渡金山を見学。慶長6年(1601年)に発見されたという佐渡金山はそれ以来、平成元年の閉山までの388年間で78トンの金を産出した。
金のみならず銀の産出量も2330トンにも上り、国内最大の金銀山だった。佐渡金山の鉱脈は東西3000メートル、南北600メートル、深さ800メートルの広い範囲に及び、そのうちの西端に位置する宗太夫坑を見学した。

鉱石を掘り、運び出し、精錬して小判に鋳造するまでの再現された一連の作業が坑道を歩きながら見られるようになっている。江戸時代の様子がじつによくわかる佐渡金山。

この佐渡金山のある佐渡は江戸時代、天領だった。幕府は佐渡の金銀をすべて手中に収めるために天領にした。佐渡金山で産出された金銀は、江戸城の御金蔵に運び込まれ、徳川幕府の財政を支える元になった。徳川幕府というのは佐渡金山の上に成り立っていたようなものだ。

▲佐渡金山を見学。江戸幕府を支えた佐渡の金銀!

佐渡から積み出された金銀は越後の港に陸揚げされ、越後の主要3街道の北国街道、三国街道、会津街道で江戸に運ばれた。これら3街道は江戸と佐渡金山を結ぶ街道なので、「佐渡三道」とも呼ばれ、江戸五街道に次ぐ重要な脇街道に数えられていた。

これで北国街道と三国街道を走破し、全宿場をめぐったので、次は会津街道を走ろう。白河追分で奥州街道と分かれ、会津若松を経由し、新潟に至る街道だ。

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賀曽利隆

賀曽利隆 冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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