賀曽利隆の「Vストローム1000と街道を行く!」三国街道編(1)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「V-ストローム1000と街道を行く!」北国街道・北陸路編(3)

三国街道の始まり、高崎追分が見つからない!

三国街道は中山道と分岐する高崎追分から始まる。高崎駅西口を出発点にして街道旅の相棒、スズキの1000㏄バイク、Vストローム1000を走らせる。

▲高崎の本町1丁目の交差点を出発。三国街道の旅が始まった!

中山道高崎宿の新町、田町、本町の3町を通っていくと、国道354号の本町1丁目の交差点に出るが、ここが高崎追分だ。中山道は直進し、赤坂町、常盤町を通って烏川の河畔へ。この本町1丁目の交差点を右折して国道354号を走り、住吉町の交差点を直進する県道25号が今回の主役の三国街道になる。

地元では渋川に通じる街道なので渋川街道と呼んでいる。国道354号は住吉町の交差点を左折し、国道17号と国道18号の分岐点に出る。

こう書くと何でもないことのようにみえるが、じつは高崎追分は見つけ出すまでが大変だった。これまでの連載でとりあげた奥州街道の桑折追分や中山道の信濃追分などは「ここが追分ですよ」という顔をしているので、じつにわかりやすい。
ところが高崎追分はどこが追分なのかわからず、さんざん探しまわってしまったのだ。

高崎は群馬県内では第一の経済都市。日々、変わっている。このような時代の変化が高崎追分をわかりにくくしているようだ。
それともうひとつ、高崎が宿場町というよりも城下町だったということも影響しているかもしれない。江戸時代後期の高崎宿には873軒の家があったというが、本陣も脇本陣もなく、旅籠の数も15軒でしかなかった。

三国街道を簡単に説明しよう。高崎から群馬県内の宿場を通り、三国峠を越えて新潟県に入る。三国街道最大の難所、三国峠にちなんだ街道名。新潟県内の宿場を通り、長岡から新潟へ。海路、佐渡に渡り、佐渡金山のある相川が終点になる。

江戸と越後を結ぶ最短ルート、三国街道

▲ここは三国街道の金古宿

さ~、出発だ。三国街道最初の宿場は金古宿。県道25号には金古の交差点がある。寛永20年(1643年)に開設された宿場で、本陣と脇本陣があった。現在でも街道沿いには古い家々が見られる。

そして次の渋川宿に入っていく。にぎやかな町並みの正面には子持山(1296m)が大きく見える。印象的な眺めで「渋川富士」といってもいいような山。渋川は三国街道の宿場町として栄えてきたが、群馬県内の三国街道の中では今でも一番大きな町になっている。

▲渋川宿に入っていく。正面には子持山が大きく見える

渋川からは県道35号を行く。金井宿では枝垂桜で知られる金蔵寺に立ち寄り、吾妻川を渡ったところで国道353号を横切る。このあたりが北牧宿。国道353号の交差点を過ぎると県道36号になり、横堀宿に入っていく。本陣跡があり、一里塚が残っている。

▲横堀宿の一里塚。ここには欅の大木

横堀宿の一里塚は街道をはさんで対になって造られたが、今では東側の一里塚だけが残っている。大きさは東西15メートル、南北8メートル。塚の中央には欅の大木がある。ここに石の祠や石碑、石灯籠、馬頭観音が置かれている。

横堀宿からはVストローム1000の軽快なエンジン音を響かせ、中山峠を登っていく。バックミラーには渋川の町並みが映っている。

▲中山峠を越える。峠には道興准后の歌碑が建っている

中山峠は標高710メートル。東の子持山と西の小野子山の間を越えていく。峠には「三国街道」の木標。室町時代にここを通った道興准后の「杖をだに重しと いと布山越えて 薙刀坂を手婦理にぞゆく」の歌碑が立っている。薙刀坂は中山峠の南側で、茶屋ヶ松の集落を見下ろすところだという。

道興は京都を出発し、東国各地をめぐり、紀行文『廻国雑記』を残している。三国街道は江戸と越後を結ぶ最短ルートなので、長岡藩や新発田藩など5大名が参勤交代路として使った。佐渡の金山奉行もここを通った。江戸時代には日本海の海産物や越後米、そして佐渡の金なども中山峠を越えて江戸に運ばれた。

中山峠を下ると、道の駅「中山盆地」。そこからは中山峠を一望できる。子持山と小野子山の間がストンと落ち込んでいるのがよくわかる。

▲道の駅「中山盆地」から中山峠の方向を見る

沼田街道(国道145号)と交差するあたりが中山宿になる。ここには本陣が残っている。中山宿の本陣は文政年間(1818年~1830年)に焼失したが、長岡藩主をはじめとして、三国街道筋の荷主飛脚問屋などからの寄進で復興した。本陣にはその当時の書院が残されている。本陣奥の大欅は樹齢600年。高さ30メートル、根回り13メートルという大木だ。

▲中山宿の本陣

上州人の心に生きる「塩原太助」ゆかりの地

▲赤根峠のトンネル。快走路の赤根峠越えだ

中山宿からはつづいて赤根峠を越えるが、このルート(中山峠→中山宿→赤根峠)の真下を上越新幹線がトンネルで抜けている。それはこのルートが最短路であることを証明しているようなものだ。Vストローム1000のアクセルを開き、一気に快走路の赤根峠を登りつめ、峠のトンネルを走り抜けていく。

赤根峠を下ると塚原宿を通り、下新田宿へ。国道17号に合流するT字の交差点の周辺が下新田宿になる。三国街道というとイコール国道17号というイメージが強いが、中山道の高崎追分を出発して以来、ここで初めて国道17号と出会うことになる。

▲塚原宿に入っていく
▲下新田宿を通る旧三国街道

国道17号沿いには塩原太助の生家と塩原太助公園がある。塩原太助公園には太助と愛馬あおの別れの像が建っている。

▲塩原太助公園の太助と愛馬あおの別れの像

下新田宿は江戸時代の豪商、塩原太助生誕の地。太助はこの地から江戸に出て、薪炭商で大成功をおさめた。その立志伝が広く世に知られるようになったのは、明治初期の落語家、三遊亭円朝作の人情噺「塩原太助一代記」が大ヒットした以降のことだ。

なかでも太助が幼い頃から飼った愛馬あおを松の枝につなぎ、江戸に旅立つシーンには多くの人が涙した。それで塩原太助公園の像も太助とあおの別れの像なのである。

▲塩原太助公園の前にある塩原太助記念館
▲塩原太助記念館に展示されている炭俵

塩原太助公園の前にある「塩原太助記念館」を見学すると、太助の立志伝がどういうものなのかがよくわかる。群馬県でよく知られた名菓というと「多助俵最中」だが、これも太助に因んだ炭俵を模した最中。今でも上州人の心の中には塩原太助が生きている。

下新田宿から国道17号沿いの今宿、布施宿を通り、国道17号とは離れた須川宿へ。ここには道の駅「たくみの里」がある。須川宿は三国街道では一番の観光地。観光バスが何台もやってきて、大勢の観光客が宿場内を歩いている。

▲道の駅「たくみの里」のある須川宿

三国街道の両側には古い家々が建ち並び、本陣と脇本陣が隣りあっている。「たくみの里」の名前通り、「七宝焼の家」や「和紙の家」、「木織の家」など、手仕事を見せている家が何軒もある。それが須川宿の大きな魅力。ここには「須川宿資料館」もある。須川宿がこうして往時の風情を残しているのは、ここが国道17号から離れていることがきわめて大きい。

上州と越後の2国境をまたぐ上州と越後の上越国境、三国峠

つづいて国道17号沿いの相俣宿を通り、猿ヶ京温泉の猿ヶ京宿に入っていく。ここには関所が置かれた。猿ヶ京温泉の共同浴場「いこいの湯」に入り、上州側最後の永井宿を通り、三国街道最大の難所の三国峠を登っていく。

▲猿ヶ京宿を行く。ここは関所前。猿ヶ京宿の中心だ
▲猿ヶ京温泉の共同浴場「いこいの湯」に入る

▲猿ヶ京宿の食堂「歩」で昼食


▲食堂「歩」の「あずま丼」

55ヵ所の連続するカーブを走り抜け、峠を貫く三国トンネルに入っていく。全長1218メートルのトンネルの中央が群馬県と新潟県の県境。旧国でいうと上州と越後の上越国境になる。

トンネルを抜け出た新潟県側の駐車場にVストローム1000を止め、三国峠へ登山道を登っていく。歩きやすい峠道。天気は快晴。空は抜けるような青さ。ブナ、ミズナラ、ホウ、トチ、ハンノキなどの豊かな広葉樹林が広がっている。沢水がふんだんに流れ出ている。「三国権現御神水」と名付けられた清水もある。

森を揺るがすサルの大群に驚かされながら30分ほど歩くと、標高1242メートルの三国峠に到達。じつに気持ちのいい山歩きだ。峠の頂上には三国権現(社には御阪三社神社と書かれている)がまつられている。社の背後には三国山(1636m)。三国山とセットになっている三国峠だ。三国権現に手を合わせながら、「これぞ、三国街道の三国峠」と感動してしまう。

▲三国峠のトンネル

三国峠の峠名は日本全国にある。三国峠は三国山とセットになっているが、三国山はその名のとおり、三国境になっている。東京の近郊だけでも相模、駿河、伊豆の3国境の三国山や、相模、駿河、甲斐の3国境の三国山、武蔵、上州、信州の3国境の三国山などがある。三国山は三国国境だが、三国峠は両国国境で2国の国境になっている。

ところが上越国境の三国峠は他の三国峠とは違うのだ。上越国境の三国山は上州と越後の2国境。三国峠も2国境の峠である。

なぜ2国境なのに三国かというと、峠上にまつるこの三国権現に由来しているからだ。上州の赤城、越後の弥彦、信州の諏訪と、3国の格式の高い神々を合祀した三国権現に三国山、三国峠の山名、峠名は由来している。
三国街道の「三国峠」というのは、バイクを降りて峠の頂上まで歩いてみないと、その意味がわからない。

▲三国峠の真上にまつられている三国権現。背後には三国山

賀曽利隆の「Vストローム1000と街道を行く!」三国街道編(2)へ続く

【関連コラム】
◆Webikeバイクニュース 賀曽利隆コラム バックナンバー
賀曽利隆

賀曽利隆 冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

この著者の最新の記事

関連記事

編集部おすすめ

  1. ゴールドウインからバイク用透湿防水のツーリングシューズ(GSM1054)が リーズナブルな…
  2. 往年のメグロ・SG250を彷彿させるスタイリングで’92年にデビューしたエストレヤ。最後を飾…
  3. ’17で全面熟成を遂げ、評判のCBR1000RRがナント「’19モデルで電撃フルチェンジを果…
  4. GROMグロムにヨシムラのマフラーで『I’ve Got The Power!』 201…
ページ上部へ戻る