賀曽利隆の「V-ストローム1000と街道を行く!」北国街道・北陸路編(2)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「V-ストローム1000と街道を行く!」北国街道・北陸路編(1)

北国街道(北陸路)の高田宿(上越市)から石動宿(小矢部市)までやってきた。ここからは加越(加賀と越中)国境の峠越え。「街道旅」の相棒、Vストローム1000のエンジンを始動させ、石動駅前を走り出す。

▲石動駅前を出発!
▲石動宿の町並み

「さー、行くぞ、Vストロームよ!」

東の越中と西の加賀、東西文化の境目を進む

まずは国道8号の「くりからトンネル」で加越国境の峠を越え、富山県から石川県に入った。峠道を下ったところでUターンし、再度、くりからトンネルを抜けて富山県側に戻った。

次に国道8号の旧道で同じく加越国境の天田峠へ。

▲加越国境の天田峠に到達!

この峠は国道8号のくりからトンネルの真上になる。天田峠からは丘陵の稜線上を行き、倶利伽羅峠の展望台に立った。そこからは加賀側のゆるやかな山並みを一望する。ぼくは倶利伽羅峠からの風景を眺めながら日本の東西の境目を考えてみた。

▲倶利伽羅峠からの眺め

日本海側で一番はっきりとしている東西の境は、北アルプスの先端が断崖となって日本海に落ちる、新潟県糸魚川市の親不知だ。親不知を境にして越後側はより東日本的になり、越中側はより西日本的になる。たとえば親不知を境にして、越後側では正月魚といったらサケだし、越中側はブリになる。

その越中でも神通川の左岸に長々と横たわる呉羽丘陵を境にして、東側の「呉東」は東日本的だが、西側の「呉西」は西日本的だといわれている。そしてこの倶利伽羅峠だ。
倶利伽羅峠の東側の越中は東日本の色彩をとどめているが、西側の加賀になると、もう完全に西日本の世界。このように日本の東西文化の境目を見ていくのはきわめておもしろい。
それを見ていけるのがバイク旅の良さなのだ。

日本三大不動「倶利伽羅不動」を参拝

加越国境の倶利伽羅峠では成田不動(千葉)、大山不動(神奈川)と並ぶ「日本三大不動」の倶利伽羅不動を参拝。
倶利伽羅峠の峠名はこの倶利伽羅不動から来ている。おもしろいのはその入口だ。手向神社の鳥居をくぐって倶利伽羅不動の境内に入っていく。かつての神仏混淆の色彩を濃く残している倶利伽羅不動だ。

手向神社の名前も興味深い。「手向」で「とうげ」と読む。つまりは「とうげ神社」になる。出羽の羽黒山信仰の手向集落も「とうげ」だが、「手向」は「峠」の語源のひとつだといわれている。それを目で見ることのできる倶利伽羅峠なのだ。

▲倶利伽羅峠の手向神社を参拝

倶利伽羅不動はちょうど奥之院御開帳の日で、大勢の人たちがお参りにきていた。境内では和太鼓の演奏がおこなわれていた。それを聞きながら茶店で「倶利伽羅そば」を食べた。

▲倶利伽羅不動の奥の院

▲倶利伽羅不動の奥の院を参拝
▲倶利伽羅不動で「倶利伽羅そば」を食べる

倶利伽羅峠といえば源平の古戦場跡。峠には源平倶利伽羅合戦碑と五輪塔の源平供養碑が建っている。
平安時代末期の寿永2年(1183年)、木曽義仲が率いる源氏軍と平維盛が率いる平家軍の大軍がこの地で激突。平家軍が寝静まった夜間に義仲軍は仕掛け、倶利伽羅峠の断崖から平家の大軍を追い落とした。平家は10万もの大軍を失った。

▲倶利伽羅峠に建つ五輪塔の源平供養碑

『源平盛衰記』では義仲は数百頭の牛の角に松明をつけて放ったとあるが、それが伝説の「火牛攻め」。倶利伽羅峠には「火牛像」が建っている。
この戦いで大勝した木曽義仲は京に向けて進軍し、ついに上洛。大軍を失った平家はそれを防ぎようもなく、安徳天皇を伴って西国へと逃げ落ちた。

▲倶利伽羅峠の「火牛像」

迷路のような加賀百万石の城下町

倶利伽羅峠から天田峠に戻ると石川県に入り、峠道を下っていく。竹橋宿を過ぎると道の駅「倶利伽羅源平の郷」。そこにも義仲の火牛攻めの「火牛像」が建っている。

▲天田峠を下っていく
▲竹橋宿を走り抜けていく

津幡宿を通り、国道8号旧道で金沢宿に入っていく。

金沢は日本一の大藩、加賀百万石の城下町。江戸時代の金沢は繁栄を謳歌し、江戸、大坂、京都、名古屋に次ぐ大都市だった。まずはそのシンボルの金沢城へ。石川門から入り、城内を歩いた。そのあと「日本三名園」の兼六園を歩いた。

▲加賀百万石のシンボルの金沢城

▲「日本三名園」の兼六園を歩く

金沢城は犀川、浅野川の2本の川にはさまれた小立野台の先端にある。この2本の川が天然の堀の役目を果たす要害の地。金沢の町には城下町特有のT字路やクランク形の鉤型路、袋小路が多く残っている。道幅も狭い。
そんな金沢の町を走っているとまるで迷路を行くかのようで、何度も道を間違えた。

浅野川、犀川を越えた外側には寺院を集めた寺町がつくられている。寺町は城下町防衛の最前線基地といったところで、このように金沢は敵の侵入を防ぐという戦略本位の町。北国街道はそんな城下町を貫いている。

浅野川を渡ると武蔵辻、香林坊、片町と繁華街を通り抜け、犀川を渡っていく。北国街道沿いに商人町をつくり、裏町に職人町をつくった。

明治以降、金沢には大火もなく、戦火に焼かれることもなく、藩政時代の典型的な城下町の姿が現在まで残されている。

ところで金沢の町で目につくのは「北国」の2文字。北国銀行や北国新聞、北国グランドホテルなど、「北国」をつけた看板をあちこちで目にする。まるで北国街道の中心は金沢だといわんばかりだ。北国街道は加賀藩の大名行列の通る街道だったので「加賀街道」ともいわれる。

金沢を出発。次の野々市宿では北国街道沿いにある「郷土資料館」を見学したが、この一帯には何軒もの旧家が残っている。

▲野々市宿の旧家

つづいて松任宿、寺井宿と通り、小松宿に近づくと、稲田の向こうに白山が見えてくる。小松宿の北国街道沿いには古い町屋が残っている。

▲小松宿に入っていく
▲遠くに白山が見えている

JR北陸本線の小松駅前の「ハイパーホテル小松」に泊まり、翌日は「奥の細道」ゆかりの多太神社前を通り、今江へ。ここには「今江温泉元湯」がある。鄙びた温泉。無色透明の湯で飲泉可。ミネラル分の濃い味がする。そんな源泉50度の高温湯に入っていく。

▲朝日を浴びたJR小松駅前

北国街道を南下し、月津宿、動橋宿と通り、大聖寺宿へ。ここではV-ストローム1000を止め、大聖寺城跡を歩いた。
南北朝時代から江戸時代初期までの平山城で、別名錦城。城跡は錦城山公園になっている。その近くには「深田久弥 山の文化館」がある。深田久弥(1903~1971年)といえば『日本百名山』でよく知られているが、大聖寺で生まれた。

石川件・福井県にまたがる寺内町「吉崎」

▲石川・福井の県境をまたぐ吉崎の町並み

大聖寺からは国道305号で石川・福井県境の吉崎に向かっていく。その間は6キロ。吉崎の集落は石川・福井の両県にまたがっている。

県境を越えて福井県に入る。福井県側の吉崎には蓮如によって開かれた吉崎御坊がある。吉崎は吉崎御坊の寺内町。
かつては華やかな歴史の表舞台に立つ吉崎だったが、今ではひっそりと静まりかえっている。吉崎御坊跡を歩き、蓮如像や本堂跡、蓮如の腰掛石などを見てまわった。

▲吉崎の吉崎別院を参拝
▲吉崎御坊跡。ここがかつての真宗の拠点。北陸全域を教化した

▲吉崎御坊跡に建つ蓮如像

富山・石川・福井の北陸3県は日本一の真宗(浄土真宗)地帯。通り過ぎていく集落内でひときわ大きな建物が目につくが、それはまず間違いなく真宗の寺である。
浄土真宗の開祖は親鸞だが、これを日本最大の教団につくり上げたのは蓮如(1415~1499年)といっていい。蓮如は吉崎御坊を拠点にして北陸一帯を教化した。
まるで燎原の野火のように「真宗」という燃え盛る炎はあっというまに北陸一帯に広まった、というよりも焼き尽くしていったという方がぴったりするほどの激しさだった。

吉崎御坊を後にすると北潟湖を右手に見ながら走り、細呂木宿、金津宿、稲多宿と通って越前の大河、九頭竜川を渡った。細呂木宿は探すのに苦労した。

▲細呂木宿を行く
▲金津宿の金津駅前でVストローム1000を止める
▲越前の大河、九頭竜川を渡る
▲九頭竜川を渡り舟橋宿に入っていく

そして舟橋宿を通り、福井宿に入っていった。
金津宿の近くには「千束の一里塚」が残っている。稲多宿は九頭竜川の川岸にある。

▲千束の一里塚。榎の大木が大きく枝を広げている

福井は路面電車の走る風情のある町。福井城跡でV-ストローム1000を止めた。
城下町の福井は今と同じように江戸時代も、北陸有数の都市。福井城跡には本丸を取り囲む堀が残っているぐらいだが、当時は何重もの堀に囲まれた城だった。

▲福井に到着!

北国街道の九十九橋で足羽川を渡ったところにある足羽山公園を歩いた。幕末の志士、橋本左内の大きな銅像が建っているが、公園の片隅には「奥の細道」の「芭蕉宿泊地碑」もある。

福井を後にすると、敦賀へと向かって行くのだった。

賀曽利隆の「V-ストローム1000と街道を行く!」北国街道・北陸路編(3)へ続く

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賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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