賀曽利隆の「V-ストローム1000と街道を行く!」北国街道・北陸路編(1)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「街道を行く!」北国街道・越後路編(2)

前回は信濃追分から新潟まで北国街道の「越後路」を走った。
この北国街道は高田宿(上越市)の高田追分で東西、2本の街道に分かれる。1本が新潟に通じる「越後路」で、もう1本は富山、金沢、福井を通って鳥居本宿(彦根市)で中山道に合流する「北陸路」。
ということで今回は高田追分から鳥居本宿まで、北国街道の北陸路を走る。これで北国街道の全ルートを走破することになる。

謙信勝負飯を食べて、いざ出発!

▲上信越道の上越高田IC

スズキのV-ストローム1000で東京を出発。関越道→上信越道と高速道を一気に走り上越高田ICへ。高速性能の良さはV-ストローム1000の最大の魅力だ。

JR信越本線高田駅前の「高田ターミナルホテル」に泊まった。

ホテルに隣り合ったレストラン「大黒屋」の「謙信勝負飯」はいかにも高田らしい。「軍神」といわれた戦国時代の武将、上杉謙信。今に伝わる全合戦の戦績は69戦43勝23分2敗で、負けない確率は9割7分と圧倒的な強さ。そんな謙信にあやかっての「謙信勝負飯」だ。

▲「大黒屋」の「謙信勝負飯」

謙信は出陣前に湯漬けで飯を食べたことにちなんでつくられた。具だくさんの海鮮飯を1杯目はわさび醤油、2杯目はとろろ汁、3杯目は酒かす入りの味噌汁をかけて食べる。

▲高田駅前を出発

翌朝、高田駅前を出発し、高田追分へ。交差点のすぐ近くにある宇賀魂神社には追分の道標が残されている。高田追分を左折。春日山城跡に近い中屋敷宿を通り、国道8号を横切り、越後の一宮の居多神社と五智国分寺を参拝。日本海沿いの道を走り、国道8号に合流した。

▲ここが高田追分
▲宇賀魂神社に残る追分の道標
▲越後の一宮の居多神社
▲ここは五智国分寺

日本海を見ながら国道8号を走る。長浜宿、有間川宿、名立宿と通り、能生宿へ。

▲直江津の海水浴場

このあたりは山々が海に迫り、海岸にはほとんど平地はない。
能生宿では国道8号の1本南側の旧道を走る。狭い道の両側に途切れることなく町並みがつづく。白山神社でV-ストローム1000を止め、茅葺屋根の本殿に手を合わせ、宝物館に展示されている海上信仰の資料を見た。

▲名立宿を行く
▲日本海の筒石海岸
▲能生宿を行く
▲能生宿の白山神社

梶屋敷宿、姫川河口の糸魚川宿を通り、次の青海宿を過ぎると険しい山並みが日本海に迫り、やがて断崖が海に落ち込む北国街道一番の難所、子不知・親不知に突入する。北アルプスはここで日本海に落ち込んでいる。歌宿、外波宿を通り、この難路を抜け出ると市振宿だ。

▲青海宿の土蔵造りの家
▲日本海に落ちる親不知の断崖絶壁

国道8号の1本北側の旧道で市振宿に入っていく。宿場の入口には「海道の松」、宿場中央の「市振関所跡」には「関跡の大榎」がある。「奥の細道」で芭蕉が詠んだ「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」の句の、遊女と隣り合わせの部屋になったという旅籠「桔梗屋」の跡もある。

▲市振宿の家並み

市振宿を出ると国道8号に合流。道の駅「越後市振の関」を通り、新潟・富山県境の境川を渡る。境川をはさんで越後、越中の両側に関所があった。

▲越後と越中の境の境川

富山でうまいものに巡り合う

富山県に入ると国道8号沿いの「金森ドライブイン」で名物「たら汁」(700円)を食べた。

▲新潟県から富山県に入る
▲越中宮崎名物の「たら汁」

たら汁はタラの頭をとり、内臓を取り出してタラコと肝を別にしたタラをぶつ切りにし、コンブでダシをとった汁に味噌で煮込んだだけのシンプルな汁。
ところがこれがじつにうまい。脂ののった富山湾産のタラの白身と越中味噌が混じり合い、絶妙の味をつくり出している。

北国街道の越中最初の宿場、泊宿あたりまで来ると、北アルプスの山並みは遠のき、広々とした富山平野の水田地帯が広がる。いかにも日本の「穀倉地帯」といった風景。ここで北国街道は大きく南に迂回する。元々はそのまま直進して黒部川を渡っていた。
当時は徒渡だったとのことで、暴れ川の黒部川の川幅を考えると、相当大変な川渡りだったことが容易に想像できる。そこで上流に愛本橋が架けられた。寛文2年(1662年)のことだ。その手前に舟見宿ができた。

JR北陸本線の泊駅前を出発し、県道13号を南へ。舟見宿は宿場らしい面影をとどめ、本陣跡が残っている。舟見宿を過ぎたところで黒部川に架かる愛本橋を渡り、県道14号で三日市宿へ。三日市宿は今の黒部市の中心街。ここからは国道8号を走り魚津宿に入っていく。

▲舟見宿の本陣跡
▲魚津駅前

魚津駅前から魚津市内の人気の温泉宿、金太郎温泉に電話するとうまい具合に部屋が取れた。ラッキー。銘石をふんだんに使った大浴場の湯につかり、湯から上がると夕食。ここの食事はじつによかった。次のようなフルコース。思わず、「おー、日本料理!」と声が出た。

▲金太郎温泉の夕食

1、先附 汲み上げ湯葉 うに べっ甲餡掛け 山葵
2、お造 刺身の盛り合わせ
3、煮物 穴子の旨煮
4、蒸物 茄子と甘鯛 貝柱の餡掛け
5、揚物 海老アーモンド揚げ 鯵の薩摩揚げ 胡麻豆腐の玄米揚げ
6、酢物 秋刀魚 赤ずいき 白木茸 潮菜 菊花
7、冷菜 彩サラダ
8、台物 朴葉味噌焼き
9、鍋物 茸鍋
10、漬物 盛り合わせ
11、果物 季節の果物

思い出の地で幼き日を思い返す

▲金太郎温泉を出発

翌日は魚津の市街地から日本海の海岸へ。海沿いの快適ルートの「蜃気楼ロード」を走り、滑川宿へ。ここでは滑川漁港でV-ストローム1000を止めた。滑川漁港といえばホタルイカ。何年か前に漁船に乗せてもらい、ホタルイカ漁を見せてもらったシーンがなつかしく思い出された。

▲魚津の「蜃気楼ロード」から見る日本海

滑川宿から水橋宿を通り、神通川河口の岩瀬宿へ。ここは江戸時代にでもタイムスリップしたかのような宿場で、何軒もの廻船問屋の建物がそのまま残されている。そのうちの国の重要文化財にも指定されている「森家」を見学した。

▲水橋宿の土蔵造りの家

▲岩瀬宿の老舗旅館

▲岩瀬宿の廻船問屋「森屋」

▲岩瀬宿の廻船問屋「森屋」の内部

富山港展望台に登り、富山の市街地を一望し、神通川を渡る。平野の中にポツンとあるような下村宿、国道8号の旧道沿いの小杉宿と通り、高岡宿へ。

▲神通川を渡る
▲広々とした富山平野

高岡は路面電車の走る町。慶長14年(1609年)に加賀藩主の前田利長が引退後、この地に高岡城を築き、城下町として発展。元和年間の高岡城の廃城後は商工業都市として発展した。「高岡銅器」は名高く、日本の寺社の鐘の大半は高岡でつくられたものだ。

▲高岡駅

高岡を出発し、国道8号を行く。小矢部市に入ったところで国道8号の旧道で石動宿へ。JR北陸本線の石動駅前でV-ストローム1000を止めた。

▲石動駅に到着

石動は我が故郷といってもいいようなところ。母方の祖母の生まれ育った所なのだ。

小さい頃、一度だけ母に連れられて石動に来たことがある。東京・上野駅から蒸気機関車に乗り、石動駅で降りたのだが、顔は煤で真っ黒。春先のことで雪の消えた田圃には一面、レンゲの花が咲いていた。

小矢部川にかかる鉄橋がぼくの大のお気に入りポイント。そこで北陸本線の列車を眺めた。鉄道貨物が全盛の時代。50余両編成の長い貨物列車を「1、2、3…」と数えたシーンが今でもはっきりと目に残っている。
小矢部川の鉄橋では列車を見るだけでは我慢できずに歩いて渡った。大目玉をくらったが、もしあのとき列車が来ていあたら、哀れにもカソリ、4歳か5歳で人生の幕を下ろしていた。
そんな石動では埴生八幡を参拝し、国道8号に合流。

いよいよ加越国境の峠越えだ。

賀曽利隆の「V-ストローム1000と街道を行く!」北国街道・北陸路編(2)へ続く

【関連コラム】
◆Webikeバイクニュース 賀曽利隆コラム バックナンバー
賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

この著者の最新の記事

関連記事

編集部おすすめ

  1. インディアンモーターサイクルの輸入元であるホワイトハウスオートモービルは、現在正規販売店店頭…
  2. 今回はウェビックで販売している、意外と知られていない変わり種商品をご紹介します。 その名も…
  3. 『RC』の名を持つ世界限定ツアラーがリニューアル MVアグスタは、エモーショナルツアラー「…
  4. 冬の美浜町を楽しめるチャリティーイベント いろいろな乗り物に乗ったサンタクロースが愛知県の…
ページ上部へ戻る