賀曽利隆の「街道を行く!」北国街道・越後路編(2)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「街道を行く!」北国街道・越後路編(1)

信濃追分から北国街道を走り、新潟県の上越市までやってきた。

高田城・春日山城跡で戦国の世を感じる

▲北国街道の高田宿を行く。雁木のある町

上越市内の北国街道の高田宿は雁木の残る豪雪の町。街道旅の相棒、スズキV-ストローム1000で高田宿の古い町並みを走り、高田城を歩いた。

高田城の一面に蓮で覆われた外堀を一目見ただけで、その規模の大きさが容易にわかる。それもそのはずで、高田城は徳川家康の6男、忠輝の居城。家康が諸国の大名たちに号令をかけ、北陸、奥羽への押さえとして造らせた75万石の大城だ。

▲高田宿の高田城

忠輝は家康の子供たちの中では一番才気にあふれていたという。だが家康は忠輝の才能と能力を恐れた。戦国の世が終ると、死期の迫った家康は徳川家を乱す元になるとして、忠輝を伊勢に流してしまう。

もし、忠輝が家康の怒りにふれることなく、おとなしくしていたら…。もし家康がもう2、3年、早く死んでいたら…。雪深い高田の町は徳川御三家の水戸、名古屋、和歌山に負けないくらいの城下町になっていたことは間違いない。何とも惜しいことをした。

高田から直江津へ。その途中では上杉謙信が本拠地とした春日山城跡に行く。坂道を登りつめると、謙信をまつった春日山神社に着く。そこには謙信の銅像。毘沙門天への信仰の厚い謙信、毘沙門天の「毘」の字を染め抜いた上杉の軍旗が風にはためいていた。


▲春日山城跡の入口

▲春日山城跡の春日山神社

春日山神社から山城の春日山城の本丸跡まで登ってみる。大汗をかいて登りついた本丸跡からは、大展望が楽しめる。すごい眺めだ。左手には直江津の市街地を見下ろし、その向こうには日本海が茫洋と広がっている。関川が高田平野を流れ、米山が遠くに見えている。目を反対側に向けると、幾重にもなって重なり合った山並みが妙高山へとつづいている。

直江津駅前のホテル「ハイマート」で一晩、泊まった。ホテルのレストラン「多七」で夕食。名立の石鯛、能生のヒラメ、それと名立のバイ貝という地魚の刺身がうまかった。

▲直江津駅前の「多七」で食べた地魚の刺身。能生のヒラメ(右)と名立の石鯛(中)、それと名立のバイ貝

出雲崎宿までつづく町

翌朝は4時に出発。雨が降っている。国道8号を北へ。

▲まだ暗い直江津を出発。雨が降っている…
▲夜明けの北国街道・柿崎宿を行く

北国街道の黒井宿、潟町宿、柿崎宿、鉢崎宿、鯨波宿を通り、6時30分には柏崎宿に着く。JR柏崎駅前でV-ストローム1000を止めて小休止。柏崎港は上杉時代には直江津と並ぶ重要な港になっていた。

▲北国街道・鯨波宿の鯨波海岸を歩く
▲JR柏崎駅前に到着。ここで小休止

柏崎宿からは北国街道の国道352号を行く。東京電力柏崎刈羽原子力発電所の脇を通っていくが、このあたりは2007年7月16日の中越沖地震(M6・8)一番の激震地。その真上にのっている柏崎刈羽原発は間一髪のところで大惨事を免れた。

さらに北国街道を行く。宮川宿、椎谷宿、石地宿、尼瀬宿と通り出雲崎宿に到着。尼瀬宿から出雲崎宿までは町つづきだ。

▲北国街道の宮川宿
▲北国街道・椎谷宿の「椎谷陣屋跡」を歩く
▲北国街道・石地宿の入口にある日帰り温泉「雪割草の湯」
▲北国街道の尼瀬宿に入っていく

▲北国街道の尼瀬宿に残る尼瀬油田の石油掘削施設

▲北国街道・出雲崎宿の宿場公園。出雲崎宿の案内板がある

出雲崎宿は良寛和尚誕生の地。良寛堂からは日本海の水平線上にはうっすらと佐渡が見えている。宿場町の中央には芭蕉にちなんだ「芭蕉園」。そこには「荒海や 佐渡に横たふ 天の河」の句碑と芭蕉像が建っている。

▲北国街道・出雲崎宿の「良寛堂」。良寛は出雲崎で生まれた
▲北国街道・出雲崎宿の「芭蕉園」

▲出雲崎宿の「芭蕉園」の芭蕉像

芭蕉は出雲崎では商人宿の「大崎屋」に泊まったとのことだが、その家は「芭蕉園」の前に今でも残っている。このあたりが日本のすごさ。出雲崎宿は北国街道の重要な宿場だけあって、芭蕉園のかたすみには「北国街道人物往来史」が掲げられている。
8世紀の養老年間に始まり、明治期まで書き記されている。それには芭蕉はもちろんのこと、日蓮や上杉謙信、伊能忠敬、吉田松陰らが登場する。

日本の石油産業発祥の地 出雲崎

国道352号のバイパス沿いにある道の駅「越後出雲崎天領の里」の「天領出雲崎時代館」(入館料500円)を見学。出雲崎は佐渡へ渡る港としておおいに栄えた。館内の中央には佐渡金山の金を積んだ江戸幕府の御奉行船(御用船)の実物大の模型がドーンと置かれている。すごい迫力だ。

▲佐渡金山の金を積んだ江戸幕府の御奉行船

出雲崎は「天領の里」からもわかるように、幕府の直轄地。ここは日本海航路の港としても栄えた。泊屋、敦賀屋、京屋、熊木屋、米屋などの廻船問屋があり、出雲崎港は北前船の千石船の出船、入船でおおいににぎわった。

▲「天領出雲崎時代館」に復元された出雲崎宿の町屋

「天領出雲崎時代館」には「石油記念館」が併設されている。出雲崎は日本の石油産業発祥の地でもある。そこには明治21年に機械掘りによる石油採掘が成功し、明治24年頃に最盛期を迎えた尼瀬油田が紹介されている。

石油採掘用のヤグラが林立している海岸の風景は圧巻。現在の尼瀬宿から出雲崎宿へとつづく町並みをV-ストローム1000で走り抜けても、かつての石油に生きた町を偲ばせるものは何もないといっていい。
だが、この地こそ、我らツーリングライダーがいつも世話になっている「ENEOS」誕生の地なのである。

北国街道の歴史が積み重なる山田宿

出雲崎宿からさらに海沿いの道を行く。国道352号は国道402号に変わる。山田宿を通り、寺泊宿に到着。ここでは国道沿いの「魚の市場通り」を歩いた。魚介類を売る店が何軒も並んでいる。ゆで上げたばかりのズワイガニが色鮮やかだ。串刺しにした焼きイカを1本、買って食べたが、肉厚の歯ごたえのあるイカだった。

▲北国街道・寺泊宿の「魚の市場通り」で「焼きイカ」を食らう

寺泊宿には「聚感園」という公園がある。ここは平安時代から明治初年までの千年以上もの間、北国街道に権勢をふるった豪族、菊屋五十嵐氏の邸宅跡。文治3年(1187年)、頼朝に追われた義経・弁慶の主従は奥州に逃げ落ちていく途中、追手の目をのがれて五十嵐邸にかくまわれた。その時の浴室跡と弁慶手掘りの井戸が残されている。
承久3年(1221年)に順徳上皇が佐渡に流されたときは、五十嵐邸に設けられた行宮で数ヵ月過ごしたという。

▲寺泊宿の「聚感園」。ここには北国街道の歴史が積み重なっている

寺泊宿も出雲崎宿と同じように、佐渡に渡る重要な港だった。北国街道のこれら2つの宿場からは、上越国境の三国峠を越え、高崎宿で中山道に合流する三国街道が分岐している。

佐渡金山の金は北国街道や三国街道を通って江戸に運ばれたが、そのほかに、新潟港から会津街道でも江戸に運ばれた。会津若松から勢至堂峠を越えて白河で奥州街道に合流するルート。これらの3街道は「佐渡三道」といわれた。

寺泊宿からは北国街道の県道2号で新潟に向かう。信濃川の分水路、大河津分水路を渡り、弥彦宿へ。ここでは越後の一宮、弥彦神社を参拝する。堂々とした造りの社殿。背後には弥彦山(635m)がそそり立つ。その山頂には弥彦神社の奥宮がまつられている。 次の岩室宿には「新潟の奥座敷」ともいわれる岩室温泉がある。

▲越後の一宮、弥彦神社の鳥居
▲越後の一宮、弥彦神社の拝殿

街道の終点は、新たな街道の起点

▲弥彦宿を過ぎると北国街道の標柱が点々と立っている
▲北国街道の旧道をフォローする。ここは「平沢清水」

次の稲島宿はさんざん探しまわり、1時間近くもV-ストロームで走りまわってやっと見つけた。北国街道の旧道が途切れ途切れになっているからだ。「新潟ゴルフ倶楽部」というゴルフ場に入り込んだこともある。それだけに稲島宿の小集落に着いたときはうれしかった。ここは角田山(481m)の登山口になっている。

▲やっと見つけた北国街道の稲島宿。ここは角田山の登山口

県道2号に戻ると、ラムサール条約の登録湿地、佐潟を通り、最後の宿場、赤塚宿の町並みを走り抜けていく。

▲ラムサール条約登録湿地の佐潟を見る。対岸の角田山は雲に覆われている
▲北国街道最後の赤塚宿。やっと雨が上がった

県道16号→国道116号で新潟の中心街へ。

古町の本町交差点でV-ストローム1000を止めた。ここが国道116号の終点。さらには国道7号と国道8号の起点であり、国道113号と国道289号、国道350号、国道403号、国道459号の起点になっている。
それだけではない。国道116号のほかにも国道17号、国道49号、国道402号の終点になっている。何と11本もの国道がこの本町の交差点に集まっている。このようなポイントは、日本中を探してもほかにはない。東京の日本橋以上なのだ。新潟・古町の本町交差点は「日本海の十字路」。

▲新潟・古町の本町交差点。ここは「日本海の十字路」

信濃追分から新潟・古町の本町交差点までは、V-ストロームのメーターで420キロになった。

▲新潟・古町の本町交差点の「新潟市道路原標」。全部で11本もの国道の起点・終点になっている

北国街道は新潟からは羽州浜街道になって日本海を北上し、久保田宿(秋田)で羽州街道に合流する。羽州街道はさらに青森に通じている。
街道の終点は、新たな街道の起点になっているのだ。街道は尽きることはない。街道の持っているダイナミックさに、カソリは胸を熱くさせるのだった。

新潟・古町の本町交差点をあとにすると、新潟駅に立ち寄り、新潟亀田ICで高速道に入った。北陸道→関越道→圏央道の高速道一気走りで東名の厚木ICへ。そこから伊勢原の我が家に帰った。

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賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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