賀曽利隆の「街道を行く!」北国街道・越後路編(1)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「街道を行く!」羽州街道編(3)

今回の街道旅は、北国街道・越後路を行く!

北国街道を目指し、街道旅の相棒、スズキのV-ストローム1000で東京を出発。関越道→上信越道と高速道を一気に走り、碓氷軽井沢ICで降りた。

県道92号で軽井沢へ。そそり立つ岩峰群を眺めながら走り、群馬・長野県境の峠を越えた。和美峠北側の峠なのだが、名前はついていない。

峠を下ると和美峠を越える県道43号に合流し、軽井沢の町中に入っていく。
浅間山がよく見える。

▲上信越道の碓氷軽井沢ICを出発

▲中山道の沓掛宿(中軽井沢)から見る浅間山

まずは旧軽井沢へ。ここが中山道の軽井沢宿になる。軽井沢宿を皮切りに中軽井沢の沓掛宿、そして追分宿と、浅間山麓の「浅間三宿」をめぐっていく。

中山道と今回の北国街道が分岐する追分宿では、「追分宿郷土館」(入館料400円)を見学。追分宿の歴史がよくわかる資料館だ。本陣の土屋家の文書などが展示されている。

追分宿の戸数は100戸ほど。それぞれの家は昔の旅籠の頃の屋号をそのまま使い、今でも「津軽屋」、「井幹屋」、「若菜屋」など呼んでいる。

追分 桝形の茶屋で ほろと泣いたが 忘らりょか
浅間山さん なぜ焼けしゃんす 裾に三宿 もちながら

『追分節』の一節だが、胸にジーンくるものがある。追分宿は秋田県の「本荘追分」や北海道の「江差追分」など日本各地に伝わった「追分節」発祥の地なのだ。

▲追分宿の信濃追分駅。駅前でカンコーヒーを飲んで一息入れる

▲追分宿の旧家。追分宿には街道の風情が色濃く残っている

旅心を刺激する、追分の魅力

追分宿の宿場町を走り抜けると国道18号に出るが、ここが中山道と北国街道の追分。「追分」というのは街道の分岐点のことである。中山道と北国街道の追分には常夜灯などとともに、

右 従是北国海道 左 従是中仙道

と、彫り刻まれた「分去れの道標」が立っている。北国海道は北国街道のことで、中仙道は中山道のことである。

▲ここが信濃追分。右が北国街道で左が中山道になる

追分に立つと、旅心が猛烈に刺激される。
当サイトの【賀曽利隆の「街道を行く!」中山道編(2)】でこの地に立ったときは、北国街道で長野から日本海の直江津まで無性に行ってみたくなったものだ。
まさにあの時の思いが実現した瞬間だ。

「さ~、北国街道だ!」と、意気揚々とした気分で北国街道を走り出したものの、すぐに国道18号に合流してしまう。国道18号は現代版の北国街道だ。

国道18号から旧道(国道141号)に入り、北国街道第1番目の宿場、小諸宿の町並みに入っていく。ここでは小諸城址の「懐古園」(入園料500円)を歩いた。

▲小諸城址の「懐古園」

千曲川を望む展望台の近くには島崎藤村の「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草もしくによしなし」の詩碑が立っている。

園内には「藤村記念館」もある。展望台から千曲川の流れを見下ろすと、この川が小諸城を守る絶好の天然の堀になっているのがよくわかる。

電柱もない、観光客もいない。現代の奇跡「海野宿」

小諸宿から田中宿を通り、海野宿に入っていく。北国街道の昔ながらの宿場町がそっくりそのまま残ったというたたずまいをしている。

街道沿いには往時の家々が建ち並び、うだつのある家も見られる。街道の脇をさらさらと音をたてて用水路が流れている。ここには電柱が1本もない。

▲北国街道の海野宿。まるでタイムスリップして江戸時代に戻ったかのようだ

中山道の奈良井宿や妻籠宿、馬籠宿のような観光地とは違って、観光客を相手にするような店は少ないし、V-ストロームで海野宿を走り抜けても観光客の姿はほとんど見られなかった。

海野宿のような宿場町が残ったのは驚きだし、現代の奇跡といってもいいほどだ。

▲北国街道の海野宿の旧家

▲北国街道の海野宿を行く

”真田氏の上田城”。今夜は「北国街道に乾杯!」

▲上田を流れる千曲川。千曲川は信州の「母なる流れ」

海野宿をあとにすると、大屋の駅前を通り、上田宿に入っていく。
信州東部「東信」の佐久と並ぶ中心地、上田は天正11年(1583年)に真田昌幸が築城して以来、松平氏5万3,000石に至るまでの城下町。

城主は真田氏のあと仙石氏、松平氏とつづいたが、上田では仙石氏、松平氏の影は薄い。この地では何が何でも「真田」でなくてはならないようで、上田城といえば真田氏なのだ。真田氏発祥の地は、上田の北の真田だ。

上田駅に近い上田城址を歩いたが、城跡には真田神社がまつられ、真田氏の「六文銭」の旗がたなびいていた。

上田の町をプラプラ歩いたあと、上田駅前にある明治29年創業の手打ちそば処「よろづや」で「天ざるそば」(1,300円)を食べ、国道18号の上田バイパス沿いにある「秋和鉱泉旅館」に泊まった。湯から上がると缶ビールで「北国街道に乾杯!」。

▲上田駅前のそば処「よろづや」で食べた「天ざるそば」

上杉軍と武田軍の合戦場

▲北国街道の坂城宿

▲北国街道の戸倉宿

上田から信州北部の「北信」に入り、鼠宿、坂城宿、戸倉宿と通り、篠ノ井宿へ。
ここで善光寺街道が分岐する。北国西街道ともいわれる善光寺街道は洗馬宿で中山道に合流する。洗馬宿に今も残る追分が目に浮かんでくる。

JR篠ノ井駅前には「布施の郷戦いの地」碑が建っている。
天文22年(1533年)、この地で上杉謙信と武田信玄の両軍の合戦の火ぶたが切られた。巨岩の碑を見ると、川中島の古戦場まで行きたくなった。篠ノ井から千曲川と犀川の合流地点まではかなりの距離があるが、首塚などの残る古戦場を歩いた。

▲篠ノ井宿の篠ノ井駅前に建つ「布施の郷戦いの地」碑

▲川中島の古戦場跡

「日本巡礼旅」で訪れた善光寺

篠ノ井宿に戻ると丹波島宿を通り、犀川を渡って長野市内に入り、善光寺のある善光寺宿へ。長野県の県都、長野は善光寺の門前町として発展した。

▲丹波島宿の「丹波嶋渡しの碑」

善光寺では大本堂を参拝したあと、門前を歩き、創業元禄年間の看板のかかる「つち茂」で信州名物の「おやき」を食べた。野沢菜と餡子(各160円)。おやきを食べながら善光寺の思い出にひたる。

▲善光寺を参拝

▲善光寺の参道を歩く

▲善光寺参道の「つち茂」で食べた信州名物の「おやき」

ぼくは2009年、スズキのアドレスV125Gを走らせ、「日本巡礼旅」をした。
「四国八十八ヶ所めぐり」を終えたあとは、高野山に御礼参拝をした。つづいて西国33番、坂東33番、秩父34番の「日本百観音霊場」をめぐったが、「日本百観音霊場めぐり」を終えたあとの御礼参拝は善光寺。

さらに「両参りをしなくてはいけない」といわれ、別所(上田市)の北向観音に行き、そこを最後に「日本百観音霊場」の巡礼旅を終えたのだ。

【関連コラム】
賀曽利隆のバイク旅(6)「日本巡礼」

柏原宿に残る小林一茶の旧宅

▲北国街道の牟礼宿から見る飯綱山

善光寺を出発すると新町宿、牟礼宿、古間宿を通って柏原宿へ。ここは俳人、小林一茶の故郷で、旧宅が残っている。

黒姫山を目の前にする「一茶記念館」(入館料500円)を見学。北国街道・柏原宿の模型が展示されている。加賀藩の大名行列の通った道。民俗資料館に展示されている「信州鎌」には興味をそそられた。柏原宿は信州鎌の産地だったという。

▲北国街道の柏原宿に残る小林一茶の旧宅

▲北国街道の柏原宿から見る黒姫山

▲柏原宿の「一茶記念館」の民俗資料館に展示されている「信州鎌」

次の野尻宿は「ナウマンゾウ」発掘の地。ここには「ナウマン博物館」がある。野尻湖畔の野尻宿から野尻坂峠を越える。国道18号の旧道で野尻坂峠に到達。峠上にV-ストローム1000を止めると、右手に見える妙高山、左手に見える黒姫山をしばらく眺めた。目に残る風景だ。

▲野尻宿では野尻湖を見る

▲国道18号旧道の野尻坂峠。右に妙高山、左に黒姫山

警備の厳重さで知られた「関川の関所」

野尻坂峠を下っていくと、長野・新潟県境の関川に出る。国道18号の旧道で関川を渡ると関川宿だ。宿場の入口には北国街道でも警備の厳重さで知られた「関川の関所」があった。

ここではとくに江戸から来る女性を厳しく調べた。そのため「人見女」と呼ばれる女役人が常駐したという。

現在、関所跡には「北国街道・道の歴史館」(入館料500円)がある。北国街道がよくわかる資料館。佐渡の金が江戸に運ばれた街道なので「御金荷街道」とも呼ばれたという。敷地内には「関川の関所」が復元されている。

▲国道18号の旧道で関川を渡り新潟県に入る

▲関川の関所跡の「北国街道・道の歴史館」

▲復元された関川の関所

かつての難所、豪雪地帯「中山八宿」を行く

▲北国街道の新井宿

関川宿からは妙高山麓の上原宿、田切宿、二俣宿、関山宿、松崎宿、二本木宿と通り新井宿へ。関川宿から新井宿までは際限のないかのような下りがつづくが、とくに二本木宿から新井宿までは急勾配。新井宿まで来ると、前方には広々とした平野が広がっている。

関川宿から新井宿までの8宿は「中山八宿」と呼ばれた。中山八宿はすべて豪雪地帯なので、北国街道では一番の難所になっていた。この間を通る北国街道は「中山道(なかやまみち)」と呼ばれたという。

▲北国街道の高田宿のある上越市に到着!

新井宿から高田宿へ。高田宿で北国街道は新潟に向かう「越後路ルート」と、富山、金沢、福井を通り、滋賀県の鳥居本宿で中山道に合流する「北陸路ルート」に分かれる。今回、ぼくが目指すのは「越後路ルート」だ。

「街道を行く!」北国街道・越後路編(2)へ続く

【関連コラム】
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賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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