第40回の記念大会となる「鈴鹿8耐」を目前にし、第1回大会を振り返る

【和歌山利宏:モーターサイクルジャーナリスト】

1964年にすでに始まっていた「鈴鹿耐久オートバイレース」はライダーのお祭りだった

今年で第40回の記念大会となる鈴鹿8耐ですが、その8耐以前にも鈴鹿サーキットでは耐久レースが開催されていました。
鈴鹿で開催されていた耐久レースは、当時から多くの人々に注目され、雑誌では「ライダーのお祭り」とも形容され、バイク少年だった私もそれに憧れたものです。

鈴鹿サーキットが開設されたのは1962年。1964年には18時間、1965年にはなんと24時間耐久レースが開催されました。
その後、12時間耐久を経て、10時間耐久として1973年まで鈴鹿で開催されてきたのですが、10時間に短縮されたのは、治安を維持し、観客の安全を確保するためであったと、後に聞いたことがあります。

少年時代の私の記憶に特に残っているのは、1969年の「10耐」で登場間もないホンダCB750Fourが小排気量のレーサーを掻き分けるようにして優勝したこと。
そして、1971年にはヤマハDX250が2ストのエンジンながら初の耐久制覇を果たしたことです。

2スト派だった私は、これでますますヤマハに憧れ、1975年に入社することになり、DXやRXの後継モデルとなる2ストモデル「RD400」の開発に携わることになったのです。

「8耐」として復活した鈴鹿の耐久レース

それまで開催されていた10耐が中断されたのは1974年。折しも世の中ではオイルショックが勃発、社会の風潮を鑑み、資源の消費を抑えるための決断でした。

しかし、関係者はそれを復活させ、さらに世界耐久選手権シリーズに組み入れられるイベントに発展させようと計画していたのです。
そうして1977年に、復活第1戦として6時間耐久が実現。それを足掛かりに、1978年に「第1回鈴鹿8時間耐久ロードレース」、いわゆる現在の鈴鹿8耐の開催に至ります。

1980年の第3回からは世界耐久選手権に加わるのですが、そのためには、鈴鹿で「国際格式の耐久レース」が開催できる実績が必要だったことは、想像に難くありません。

鈴鹿は、欧州での耐久レースで無敵だったホンダRCB艦隊を始め、アメリカやオーストラリアの有力ライダーを招聘するのですが、まだ国内には海外のような形式で耐久レースを行う土壌はありません。

そのため第1回の8耐は、市販レーサーからワークスGPマシンまでが混走する何でもありのレースでした。

「ライダーのお祭り」を引き継いでいた創世記の8耐

▲ルマン式スタートでマシンに駆け寄る筆者

私は、1978年の第1回から1982年の第5回まで、創世記の8耐に参戦しました。

1999から2001年には復帰した中年ライダーとして出走する機会にも恵まれたのですが、そのときはレース形態もほぼ今日的なものに進化しており、振り返ると、第5回ぐらいまでの創成期の8耐には、かつての「ライダーのお祭り」としての雰囲気が色濃く残っていたように思います。

第1回の8耐には、私はTZ373で参戦。市販レーサーTZ350のシリンダを、ワークスマシンYZR750用に換え、回転を抑えることで耐久性アップを狙ったのです。

実際、他のTZ勢がエンジントラブルでリタイヤする中、上位をキープ。なのに、ラスト30分にブラックフラッグで強制ピットイン。ヘッドライト切れだったのです。

原因が分からず右往左往する中、ピットクルーの一人が苦し紛れに懐中電灯をカウリングに縛り付け、それを見たオフィシャルは苦笑いしながらピットアウトを許可。完走を果たせたのでした。

付け加えると、予選では、さらにタイムアップを狙う私に、チームはピットインを指示。タイムはこれで十分だから(11位だった)、マシンを温存しろというのです。何とも悠長なものです。

悠長と言えば、公式リザルトは手書き。古きよきアナログ時代を彷彿とさせてくれます。

▲1978年第一回鈴鹿8耐リザルト

鈴鹿8耐をきっかけに耐久イベントが広がる

現在の大きな組織のレーシングチームの中で、仕事をまっとうできるのは素晴らしいことです。
でも、ライダーやその仲間たちで全てを完結できた昔のレースの方が、ライダーのお祭りらしく、バイク好きにとっては最高だったかもしれません。

現在ツインリンクもてぎで開催されている250ccをメインとした「もて耐」は、それに近いと言えないでもありません。
しかし、当時のように耐久用のマシンを探りながら作り上げていった時代に比べて、ある程度完成したマシンがある今と昔では、全く同じとはいえないかもしれません。

とはいえ、そんな鈴鹿8耐をきっかけにして、各地で仲間同士で楽しめる耐久レースイベントが広まっていたのも事実です。

そのような創成期の8耐に関われたことは、私にとって最高の幸せな事だったと思っています。

【関連ニュース】
◆2017 鈴鹿8耐 記事一覧
和歌山利宏

和歌山利宏モーターサイクルジャーナリスト

投稿者プロフィール

1975年にヤマハ発動機に入社。ロードスポーツの開発に携わる。
レーシングライダーとしても活躍し、鈴鹿8耐第4回大会では4位入賞。
85年からはヨコハマゴム契約となり、タイヤの開発テストを行うとともに、
ワイルドカード参戦した87年の日本GPでは、250ccクラスで11位に入る。
90年からはジャーナリストとしての活動を始め、現在に至る。

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