賀曽利隆の「ジクサーで行く 九州一周5,000キロ」(1)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「ジクサーで行く 中国地方3,000キロ」(2)

スズキの150ccバイク、ジクサーはすごく気に入った。小排気量バイクでのロングツーリングはじつにおもしろい。ぼくは50㏄バイクを走らせて「日本一周」&「世界一周」の4万5千キロを走ったこともある。
ということで「ジクサー旅」の第2弾目は「九州一周5,000キロ」を走破することになった。

まずは東京から九州まで”一気走り”!

▲9時30分、東京・日本橋を出発。目指せ、九州!

4月20日9時30分、東京・日本橋を出発。霞が関ランプで首都高に入り、東名の東京料金所へ。ここから東名→名神→中国道→九州道とジクサーでの高速一気走りを開始する。

11時30分、東名の富士川SA着。ここで昼食。「うどんカレーセット」(700円)を食べる。

▲11時30分、東名・富士川SA着(東名・東京料金所から124キロ)

14時15分、東名の上郷SA着。ここで最初の給油。9.21リッター入った。燃費はリッター37.5キロ。
17時45分、中国道の西宮名塩SA着。眠気覚ましの缶コーヒーを飲む。

▲17時45分、中国道・西宮名塩SA着(東名・東京料金所から547キロ)

19時00分、中国道の勝央SA着。ここで2度目の給油。9.14リッター入った。燃費はリッター39.7キロ。
20時10分、中国道の大佐SA着。ここで夕食。おにぎり&サンドイッチ(490円)を食べる。ほんとうは腹いっぱい何かうまいものでも食べたかったのだが、眠くなってしまうので軽食で我慢した。
22時15分、中国道の安佐SA着。ここで2本目缶コーヒーを飲む。
24時30分、九州道の門司港ICに到着。

▲24時30分、九州道・門司港IC着(東名・東京料金所から1081キロ)

今回の出発前の不安は150ccのジクサーで、はたして1,000キロ以上もの高速道一気走りができるだろうかということだった。ところが東名の東京料金所からここまでの1,100キロほどをジクサーはまったく問題なく走りきってくれた。すごいぞジクサー!

旧国の一宮をめぐりながらの一周旅へ

門司港の「ルートイン」に泊まると、翌日からは反時計回りで九州を一周する。前回の「中国一周3,000キロ」と同じように、その間では九州の旧国の一宮をめぐっていく。
九州の旧国には筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隅、壱岐、対馬と全部で11ヶ国ある。

▲「ルートイン」から眺める夜明けの門司港

▲小倉の萩野の交差点。国道3号は直進、国道10号は左折する

門司港から国道3号で福岡へ。まずは福岡市内にある筑前の一宮、筥崎宮(はこざきぐう)を参拝する。入口のずんぐりむっくりした石の鳥居が印象的。楼門には「敵国降伏」の額が掲げられている。

▲筑前の一宮、筥崎宮の鳥居

ここは九州から朝鮮半島への航路の玄関口だった。祭神は応神(おうじん)天皇、神功(じんぐう)皇后、玉依姫(たまよりひめ)命の3神。主神の応神天皇は百済から裁縫の技術を、呉国からは裁縫工を招き、海外の文化を取り入れた。

神功皇后は応神天皇の母親。玉依姫命は日本初代の神武天皇の母親。こうして一宮の祭神を見ていくと、日本の神話時代がじつによくわかる。

福岡の中心街に入り、つづいて筑前のもう1社の一宮、住吉(すみよし)神社を参拝する。
祭神は表筒男(うわつつのお)神、中筒男(なかつつのお)神、底筒男(そこつつのお)神の「住吉三神」。この「住吉三神」をまつる住吉神社は全国に2,129社あるとのことだが、最初にできたのがこの福岡の住吉神社だという。

▲福岡の中心街に入っていく

▲筑前の一宮、住吉神社の拝殿

博多駅前を出発し、国道3号で久留米へ。筑後の一宮、高良(こうら)大社は久留米郊外の高良山の中腹にある。ここは平成の大修理で社殿がすっぽりとシートで覆われていた。展望台からは久留米の市街地を一望し、筑後川の流れも見下ろせる。

祭神は高良玉垂(たからのたまだれ)命。高良玉垂命はその名の通りで、「高良の御山に鎮まりまして、奇しき御恵みを万民に垂れさせ給う」という九州北部の総鎮守。標高312メートルの高良山は聖なる山で、高良大社の御神体になっている。

▲筑後の一宮、高良大社の鳥居。ここから高良山を登っていく

▲筑後の一宮、高良大社の展望台からの眺め。久留米の市街地を一望

久留米から筑後川を渡って佐賀県に入ると、肥前の一宮、千栗(ちりく)八幡宮を参拝する。
千栗八幡宮のある千栗山は標高30メートルほどの小山だが、筑後平野の真っただ中にあるので、急な石段を登りきった社殿前の見晴台からは筑後平野を一望できる。

▲肥前の一宮、千栗八幡宮の鳥居。ここから急な石段を登っていく

祭神は応神(おうじん)天皇、仲哀(ちゅうあい)天皇、神功(じんぐう)皇后の3神。応神天皇が主神で、左右の合殿に仲哀天皇と神功皇后が祀られている。神功皇后は「三韓征伐」の際、この地に駐留したという。仲哀天皇は第14代の天皇。

千栗八幡宮の石段は急だ。その登り口には「栄光への石段」と題して、次のように書かれた石碑が建っている。

一人の少年がこの地にいた。少年はくる日もくる日も、この石段をかけ登り、かけ下った。そして少年はこの石段を師と仰ぎ、心と体を鍛える場所とした。長じて少年は自らの夢をはたし、バルセロナとアトランタの両オリンピックで金と銀のメダルを受けた。少年の名は古賀稔彦、その人である

この地は「平成の三四郎」といわれた柔道家、古賀稔彦氏の故郷。きっと千栗八幡宮の神々が平成の三四郎を応援したことだろう。

▲吉野ヶ里遺跡の吉野ヶ里歴史公園

千栗八幡宮を後にすると、吉野ヶ里遺跡のある吉野ヶ里歴史公園を歩き、肥前のもう1社の一宮、與止日女(よどひめ)神社へ。地元のみなさんには「淀姫さん」で親しまれている與止日女神社は、佐賀平野に流れ出る川上峡の出口に位置している。

端午の節句を前にして、「こいのぼり」が川をまたいでいた。ここは戦略上の要地。古代海人族がこの地までやってきた。

▲肥前の一宮、與止日女神社の拝殿

祭神の與止日女神は海神の娘の豊玉姫(とよたまひめ)命で、「海幸彦・山幸彦神話」の弟、山幸彦の彦火火出見(ひこほほでみ)尊の妻になる。その子が初代神武天皇の父になる鵜茅草葺不合(うがやふきあえず)尊で、日南海岸の鵜戸神宮に祀られている。

こうして筑前、筑後、肥前の一宮めぐりを終えると、唐津東港からフェリーで壱岐の印通寺港に渡り、郷ノ浦の「壱岐第一ホテル」に泊まった。

二日目も一宮めぐり。20年ぶりの天手長男神社へ

翌日は壱岐の一宮の天手長男(あめのたながお)神社へ。郷ノ浦北側の田園地帯にある。

▲壱岐の浦郷の町。早朝の町並みを走り抜けていく

20年前の「日本一周」でもここに来たが、その時は消滅の危機を感じたほど。だがそれは杞憂に過ぎなかったようで、社殿は新しく建て替えられ、境内も整備されていた。一宮のすごさをあらためて思い知らされた。

祭神は天忍穂耳(あめのおしほみ)尊、天手力男(あめのてじからお)命、天鈿女(あめのうずめ)命の3神。天手力男命と天鈿女命は「天岩戸神話」に登場する神。天岩戸の前で踊ったのが天鈿女命。天岩戸をこじあけ、天照大神を手をつかんで引き出したのが天手力男命だ。

▲壱岐の一宮、天手長男神社。ここはみつけるのがちょっと難しい

天手長男神社の参拝を終えると壱岐を一周。「一支国博物館」を見学し、一支国王都跡の原ノ辻遺跡を歩いた。「一支国」というのは壱岐国のことで、「魏志倭人伝」に出てくる国名。


▲一支国(壱岐国)王都跡の原ノ辻遺跡

壱岐最南端の岬、海豚鼻まで行き郷ノ浦に戻ると、郷ノ浦港のレストラン「ひげだるま」で昼食。「焼き魚定食」(820円)を食べた。

店の人に聞くと、魚は「タマ」だとのこと。沖縄の「タマン」のようなものなのか。まあそれはおいて、たっぷりと脂ののったタマは美味だった。

▲郷ノ浦港のレストラン「ひげだるま」の「焼き魚定食」

フェリーで対馬へ上陸

壱岐の郷ノ浦港からは九州郵船のフェリー「きずな」で対馬の厳原港にフェリーで渡った。厳原は韓国からの旅行者であふれかえっていた。同じ国境の島といっても、壱岐と対馬ではまるで違う。

▲対馬が大きく見えてくる

▲対馬の厳原港に上陸

▲対馬の西海岸を行く

厳原からは国道382号で北の比田勝に向かったが、韓国人サイクリストの車列が途切れることなくつづいた。

対馬の一宮、海神(かいじん)神社は国道から離れたところにあるので別世界。ここはまるで忘れ去られたかのような世界で人一人いなかった。ここは元々は神仏混淆。明治以降の神仏分離で海神神社になった。

▲対馬の一宮、海神神社の拝殿

祭神の豊玉姫(とよたまひめ)命は海神、綿津見(わたつみ)の娘。そのため海神神社は「海神(わたつみ)神社」ともいわれる。豊玉姫命は山幸彦の妻になるが、近くには海幸彦・山幸彦を祀る和多津見神社もある。

海神神社の参拝を終えると、対馬最北端の地に建つ「韓国展望所」まで行く。
残念ながら釜山の町並みは見えなかったが、「島めぐり日本一周」(2001年~2002年)でここに立ったときの夜景は忘れられない。自衛隊の基地のある海栗島の向こうに釜山の夜景がキラキラと輝き、水平線は町灯りを映して赤く染まっていた。対馬から韓国までは50キロほどしかない。

▲対馬北端の「韓国展望所」。ここからは韓国が見えることもある

対馬の寿司を堪能。翌日はフェリーで再び博多へ

「韓国展望所」から比田勝港に行き、そこから対馬の東海岸を南下し、厳原に戻った。
厳原ではオープンしたばかりの「東横イン」に泊まったが、宿泊客の大半は韓国人旅行者。フロントの女性は流暢な韓国語を話し、館内には韓国語が飛びかっていた。

夕食は厳原港近くの回転寿司「すしやダイケー」で。ここでは握りずしの松(1,200円)を食べたが、これはおすすめ。広い店内はほぼ満員。ここでも店内には韓国語がとびかっていた。韓国人旅行者も握りずしが好きなようだ。

▲厳原の回転寿司「すしやダイケー」で夕食。握りずしの松を食べる

翌4月24日、厳原港発8時50分の九州郵船のフェリー「つくし」に乗船。博多港に到着したのは13時25分だった。

▲早朝の厳原の町を走る

▲九州郵船のフェリー「つくし」は厳原港を離れていく

賀曽利隆の「ジクサーで行く 九州一周5,000キロ」(2)へ続く

【関連コラム】
◆Webikeバイクニュース 賀曽利隆コラム バックナンバー
賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

この著者の最新の記事

関連記事

ページ上部へ戻る