賀曽利隆の「街道を行く!」羽州街道編(3)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「街道を行く!」羽州街道編(2)

羽州街道完結編!秋田から北へ、青森を目指す

ひと晩泊まった秋田は、羽州街道の久保田宿になる。もともと出羽柵(城)があったが、水戸の佐竹義宣が慶長7年(1602年)に国替えになってこの地に久保田城を築城し、20万石の城下町になった。久保田が秋田と名前を変えるのは明治4年(1871年)のことだ。

現在は千秋公園になっている久保田城跡を歩いたが、城は残っていない。最後の城主、佐竹義堯の銅像の建つ本丸跡から秋田の中心街を見下ろした。

▲久保田城跡の千秋公園は秋田駅の近くにある

さ~、秋田を出発だ。山形から秋田までは国道13号をメインにして走ってきたが、ここからは国道7号になる。相棒のスズキV-ストローム1000を北へ、北へと走らせ、青森を目指す。

久保田宿の次の土崎湊宿で羽州街道は海路に合流する。日本海航路の要衝、土崎湊は久保田藩の海の玄関口になっていた。

土崎湊宿からは大久保宿、虻川宿、大川宿、一日市宿、鹿渡宿、森岡宿、豊岡宿と通っていく。国道7号からわずかに入った旧羽州街道沿いに、これらの宿場町が点々とつづく。

なおこの間の大久保宿と虻川宿、大川宿と一日市宿、森岡宿と豊岡宿は半月交代の宿場になっていた。

※半月交代:当時の旅人には必須だった宿場としての機能を守るため、複数の土地で取決めをし、交代制にしたもの。負担を分散し、宿場としての恩恵も享受し、繁栄を守るための工夫だった。

▲羽州街道の旧道を行く

▲羽州街道の豊岡宿

歴史を感じさせる、日本一の千年桂

森岡宿・豊岡宿からは県道4号で檜山宿へ。檜山追分には旧羽州街道の松並木が残っている。この檜山追分で分岐するのは能代街道。能代からは大間越街道になり、日本海側を北上し、青森県の鰺ヶ沢に通じている。現在の国道101号に相当する。

▲羽州街道の檜山宿

▲檜山追分の松並木

檜山宿を過ぎると鶴形宿、飛根宿を通り、雄物川と並ぶ秋田の大河、米代川を渡って荷上場宿、小繋宿、今泉宿、前山宿、坊沢宿とめぐっていく。米代川流域の水田地帯の向こうには白神山地の山並みがよく見える。

▲羽州街道の鶴形宿の近くから見る白神山地

国道7号と国道105号の交差点の近くが綴子宿。前回もふれたが、ここは羽州街道の上街道と下街道の合流地点。国道105号は羽州街道の上街道で、阿仁から大覚野峠を越えて角館に通じている。角館からは県道11号で六郷へ。六郷宿の追分で羽州街道の下街道と合流する。

綴子宿では東北最古の八幡宮の綴子神社を参拝する。境内には日本一の「千年桂」。見上げるような巨樹で、綴子宿の歴史を感じさせる。

▲羽州街道の綴子宿の綴子神社


▲綴子神社の千年桂は日本一の桂の巨樹

かつての繁栄を物語る、世界一の大太鼓

国道7号と国道105号の交差点近くにある道の駅「たかのす」では「大太鼓の館」(入館料420円)を見学。ここにはギネスの世界記録に認定されている大太鼓が展示されている。迫力満点。

直径3.80mの大太鼓を筆頭に、3.71m、3.44m、3.33mの大太鼓がそれにつづく。直径2m以上の大太鼓が全部で6基ある。これらの大太鼓はすべて綴子神社の大太鼓祭りで使われるもので、綴子宿のかつての繁栄を物語っている。「大太鼓の館」には「世界の太鼓ミュージアム」もある。一見の価値のある「大太鼓の館」だ。

▲道の駅「たかのす」の「大太鼓の館」には世界一の大太鼓が展示されている

綴子宿から川口宿を通り、大館宿へ。「忠犬ハチ公像」と「秋田犬群像」の建つ大館駅前でV-ストローム1000を止め、駅前の「花善」で昼食。「極上鶏めし御膳」を食べたが、これは人気の駅弁「鶏めし弁当」が元になっている。

▲大館駅前「花善」の「極上鶏めし御膳」

矢立峠を越え青森へ。峠下には古道が残る

大館宿を出発し、秋田県最後の宿場、白沢宿へ。ここには「白沢一里塚」の碑が立っている。昭和20年代までは一里塚が残っていたとのことで、一里塚にはサイカチの古木があったという。それが国道7号の拡幅で消滅した。

白沢宿は秋田県内の30番目の宿場。羽州街道58宿の半分以上は秋田県内にある。山形県内を合わせると42宿にもなる。あらためて羽州街道は羽州を貫く街道だということがよくわかる。

秋田・青森県境の矢立峠に到達すると、峠の温泉、矢立温泉「矢立ハイツ」(入浴料350円)の湯に入った。大浴場、露天風呂ともに赤湯。濃いミネラル分の味がする。露天風呂には樽湯もある。

矢立温泉の湯から上がると、矢立峠を越えて青森県に入った。旧国でいうと出羽国(羽州)から陸奥国(奥州)に入ったことになる。宮城・山形県境の金山峠から矢立峠までが出羽国。羽州街道の県境越えはすべてが峠越えで、繰り返しになるが、これがたまらない魅力になっている。

青森県側の矢立峠下には羽州街道の古道が残り、そこには津軽藩の「峠下番所跡」の碑が立っている。

▲秋田・青森県境の矢立峠

▲矢立峠下の羽州街道碑

▲道の駅「いかりがせき」の「碇ケ関関所資料館」

▲「碇ケ関関所資料館」には当時の関所が再現されている

大修理中の弘前城の天守閣。何かが違う…?

青森県内の羽州街道の宿場めぐりを開始する。碇ヶ関宿の追分は盛岡に通じる津軽街道との分岐点。津軽街道は現在の国道282号に相当する。大鰐宿は上山宿と並ぶ温泉町。ここでは共同浴場「霊泉大湯」に入った。

▲大鰐温泉の共同浴場「霊泉大湯」

弘前宿は津軽藩10万石の城下町。追手門から城内に入り、東北で唯一の現存する天守閣を見る。といっても弘前城の天守閣のある本丸は100年ぶりの大修理の真っ最中。天守閣は移され、堀は埋められ、一大工事現場になっている。

▲弘前の町並みを一望。眼下に弘前駅、その向こうには八甲田の山々を見る

移された天守閣を見学したが、何か、別な城を見ているかのようだ。そこで大修理以前の弘前城の写真も合わせてみなさんに見ていただきたい。

▲本丸の大修理で移された弘前城の天守閣

▲大修理前の弘前城の天守閣

最後の峠越え。羽州街道と松前街道「合流之地」に到着!

弘前を出発。羽州街道の宿場めぐりもいよいよ最後の行程だ。
藤崎宿の周辺からは津軽平野越しに、津軽富士の岩木山を見る。次の浪岡宿からは国道7号の大釈迦峠を越える。これが羽州街道の最後の峠越え。そう思うと、大釈迦峠がいとおしくなってくる。

▲津軽平野越しに見る津軽富士の岩木山

▲国道7号の大釈迦峠。これが羽州街道最後の峠越え

国道7号から県道247号に入り、羽州街道の最後の宿場、新城宿へ。ここは羽州街道58番目の宿場。JR奥羽本線の津軽新城駅前からプラプラと新城宿の町並みを歩いてみた。

▲羽州街道最後の宿場、新城宿の津軽新城駅

新城宿から県道234号で油川宿へ。ついに到着。油川宿の造り酒屋「西田酒造店」前に建つ羽州街道と松前街道(奥州街道)の「合流之地」碑でV-ストローム1000を止めた。

出発点の桑折宿から622キロ。これは秋田県内での宿場探しにてこずり、相当、ぐるぐるまわった距離も含まれる。

▲羽州街道の終点、油川宿に到着!

羽州街道は126里16町29間といわれるように、まっすぐ走れば500キロほどの距離。国道280号の旧道で油川宿を走り、JR津軽線の油川駅前に立ち、最後は温泉銭湯の「油川温泉」に入った。湯につかりながら、羽州街道の様々なシーンを振り返ってみるのだった。

名残惜しくも、帰路はひとっ走り!

油川温泉の湯から上がると名残おしい油川宿を後にし、東北道の青森料金所へ。

青森料金所を出発したのは18時00分。東京まではV-ストローム1000での高速一気走り。途中、岩手山SA(岩手)で夕食のカレーライスを食べ、長者原SA(宮城)で給油し、安達太良SA(福島)で眠気覚ましのコーヒーを飲み、佐野SA(栃木)で給油し、青森料金所から680キロの浦和料金所に到着したのは1時30分。その間を7時間30分で走った。

V-ストローム1000での高速走行は楽。長距離の連続走行でもほとんど疲れないのがすごくいい。

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賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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