賀曽利隆の「ジクサーで行く 中国地方3000キロ」(2)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

賀曽利隆の「ジクサーで行く 中国地方3000キロ」(1)

夜明け前、濃霧の中を進む

東京を出発してから4日目の3月5日午前4時、下関駅前の「東横イン」を出発。外はまだ真っ暗だ。
さー、「中国一周」山陰編の開始。スズキの150ccバイク、ジクサーのライトを頼りに国道2号をひた走る。小郡までは国道2号と国道9号の重複区間。小郡からは山陰道の国道9号を行く。

▲下関駅前の「東横イン」を出発。時間は午前4時。

5時15分、下関から70キロの山口に到着。「セブンイレブン」でホットの缶コーヒーを飲んでひと息入れた。
山口を過ぎると木戸峠を越える。この峠は山口県の2国、周防と長門の国境で、峠を越えると長門に入っていく。山口といえば誰もがすぐに長州というが、正確にいうと周防の町なので防州になる。

といっても平成の大合併で木戸峠を越えた長門の旧阿東町は今では山口市。山口市というのはとてつもなく広く、防長2国にまたがり、瀬戸内海から島根県境までが山口市になっている。

木戸峠を越えてからが大変だった。峠を境にして天気が急変し、一寸先も見えないような濃霧の中を行く。ヘルメットのシールドはすぐに曇ってしまうので使えず、裸眼で走りつづけた。夜明け前の冷気がモロに目の中に突き刺さってくる。

国道9号の野坂峠を越えると霧は晴れた。ジクサーのハンドルを握りながらカソリ、「助かったー!」と喜びの声を上げる。野坂峠は山口・島根県境の峠。旧国でいうと長門・石見国境の峠になる。野坂峠を越えると夜が明けた。

石見の一宮、物部神社を皮切りに、山陰道の一宮をめぐる

6時30分、下関から147キロの益田に到着。国道9号沿いの「ローソン」で朝食。いつものように「おにぎり」2個とHOTの「お~い お茶」だ。

9時、下関から259キロの大田に到着。大田から国道375号を10キロほど南に行ったところにある石見の一宮、物部(もののべ)神社を参拝。ここを皮切りにして山陰道の一宮をめぐる。

▲物部神社(石見の一宮)。大田から国道375号を南下したところにある。ここからは三瓶山が近い。祭神の宇若志麻遅命(うましまじのみこと)は日本の豪族、物部氏の祖神。神武東征に同行した饒速日命(にぎはやひのみこと)の子で、物部一族を率いて各地を平定し、岩見のこの地に入った。

大田から国道9号で出雲市へ。大田市と出雲市の市境が石見と出雲の国境。出雲市では出雲大社、松江では熊野大社と、出雲の一宮の2社をめぐった。

▲出雲大社に近い旧大社線の大社駅前でジクサーを止める。

▲出雲大社(出雲の一宮)。島根半島の山裾にある。日御碕が近い。祭神の大国主神(おおくにぬしのかみ)は大己貴神(おほなむち)ともいわれる出雲神話の主人公。国つ神の大国主神は天つ神に国を譲る。神社の建築様式は大社造り。神明造りとともに古代日本の神社建築様式を代表する。

▲熊野大社(出雲の一宮)。松江から国道432号→県道53号で行く。松江の南10キロほどだが、山深い熊野の里にある。ここは出雲文化発祥の地。紀州の熊野とは海路でつながっていた。祭神の神祖 熊野大神(くまののおおかみ) 櫛御気野命(くしみけぬのみこと)は素盞嗚尊(すさのおのみこと)のことだ。

島根県から鳥取県に入ると、米子から国道431号で境港へ。

14時、下関から429キロの境港に到着。いや~、なつかしい。つい昨年のことだが、ここ境港からフェリーでロシアのウラジオストックに渡り、トルコのイスタンブールまでの1万5000キロを走った(当サイトの「ウラジオストック→イスタンブール1万5000キロ」をぜひともご覧ください)。

今回は境港から隠岐(おき)汽船で隠岐に渡る。隠岐は現在は島根県の一部だが、昔は隠岐国という一国。日本にはこのような島国が隠岐、淡路、佐渡、壱岐、対馬と5国ある。

14時25分発の隠岐汽船のフェリー「しらしま」で島前・西ノ島の別府港に渡る。
隠岐は島前(どうぜん)と島後(どうご)から成っているが、島前には西ノ島、中ノ島、知夫里島と、3島の有人島がある。隠岐最大の島後には島名はない。島後のような大きな島で島名がないのは、日本では島後だけである。

▲境港から隠岐汽船のフェリー「しらしま」で隠岐に渡る。

▲フェリー「しらしま」は境水道大橋の下をくぐり抜けていく。

島前・西ノ島で見た、圧倒されるほど美しい海岸

17時5分、フェリー「しらしま」は西ノ島の別府港に到着。その夜は別府港前の「ホテル隠岐」に泊まった。翌日は西ノ島の中心、浦郷にある隠岐の一宮の由良比女(ゆらひめ)神社を参拝。そのあと、ジクサーを走らせて西ノ島をまわった。

▲由良比女神社(隠岐の一宮)。隠岐は島前と島後に分かれるが、島前の西ノ島の中心地、浦郷にある。別府港から6キロほど。鳥居の前は神武天皇時代の「いか寄せ伝説」の海。かつてこの浜にはイカの大群が押し寄せた。祭神は由良比女命。

まずは浦郷から海沿いの道を南下。珍崎の集落を過ぎると、牛や馬の放牧地に入り、やがて道は尽きた。来た道を戻り、次は三度(さんべ)へ。
峠に達したところで鬼舞(おにまい)スカイラインに入り、展望台まで行った。峠に戻ると、三度の集落へと下っていく。道は小さな漁港で行き止まり。右手に見える三度崎が大小合わせて180もの島々から成る隠岐群島の最西端になる。

いったん浦郷に戻ると、今度は隠岐でも、というよりも日本でも屈指の海岸美を誇る国賀(くにが)海岸に行く。
海に落ち込む断崖が浸食されて橋のような形になった「通天橋」や高さ257メートルもの大断崖がストンと海に落ちる「摩天崖」を見る。
通天橋と摩天崖は国賀海岸のシンボル。島とは思えないようなスケールの大きな海岸美に圧倒されてしまう。

▲ここは西ノ島の国賀海岸。日本有数の海岸美を誇る。

西ノ島をまわり終えると別府港へ。食堂「ドンキー」で名前にひかれて「隠岐に入りカレー」(750円)を食べた。イカ、エビ、サザエ、肉入りのカレー。食べ終わると、12時20分発の隠岐汽船のフェリー「くにが」に乗船し、島後の西郷港へ。

島後で隠岐を感じる

西郷港到着は14時。すぐさま島後を走り始めた。

西郷港から国道485号を北へ。まずは国道沿いにある隠岐の総社の玉若酢(たまわかす)神社を参拝。境内の樹齢2000年という杉の大木「八百杉」が空を突く。

次に国道からわずかに入ったところにある国分寺へ。ここにはかつての金堂跡の礎石が残されている。
境内の奥には隠岐に流された後醍醐天皇の像をまつる「王城鎮守社」。国分寺に隣接して、牛と牛を闘わせる闘牛場「隠岐モーモードーム」のあるところがいかにも隠岐らしい。

国道485号の峠を越える。峠を下ったところには隠岐のもう1社の一宮、水若酢(みずわかす)神社がある。本殿は隠岐独特の「隠岐造り」の代表的な建物だ。
国道485号をさらに北へ。隠岐最北の白島崎では展望台に立ち、白っぽい岩肌の白島海岸を見渡した。白島、松島、沖ノ島の3島の小島が、ちょうどいい風景のアクセントになっている。

▲水若酢神社(隠岐の一宮)。島後の国道485号沿いにあるのでわかりやすい。フェリーの着く西郷港から北に15キロほど。祭神は水若酢命。なお島後に島名はない。島後は島後。ここから10キロほど行ったところが島後最北端の白島崎だ。

ここから竹島までは166キロ、釜山までは406キロ。国道485号の尽きる布施では、キャンプ場もある浄土ヶ浦の海岸を歩き、断崖が海に落ちる都恋崎に立った。海の青さが強烈。
布施からは県道47号で東海岸を走り、西郷港に戻った。
これで島後の東半分を走ったことになる。さらにこのあと、島後の西半分をまわった。

西郷に戻ったのは17時30分。島前の西ノ島での走行距離が88キロ、島後での走行距離が116キロで、隠岐だけで204キロを走った。
さすが隠岐国だけのことはある。

西郷の民宿「喜兵衛」に泊まり、翌朝、8時30分発のフェリー「しらしま」に乗船しで境港に戻った。「中国一周」も、あと残すのは鳥取県西部の伯耆(ほうき)と鳥取県東部の因幡(いなば)の2国だ。

▲西郷の民宿「喜兵衛」の夕食。刺身、煮魚、アサリの酢味噌、すき焼き鍋、酢豚、おでん、サラダとボリューム満点!

伯耆・因幡で、まさかの大雪

ところが…。隠岐から境港に戻ると大雪だ。ボソボソと雪が降っている。何とか境港から国道9号までは走れたが、そこから先はもう雪との大格闘の連続。
ラッキーなことに倉吉を過ぎると雪はほとんど降っていない。そのおかげで東郷湖に近い伯耆の一宮、倭文(しとり)神社には行けた。

▲倭文神社(伯耆の一宮)。東郷湖東岸の御冠山(みかんむりやま)にある。倭文というのは今に時代ではなかなか読めないが、梶の木や麻で縞を織り出した古代織の織物のことで「しず」ともいう。祭神の建葉槌命(たけはづちのみこと)は織物神。神社が創建された頃は盛んに倭文が織られた。

だが伯耆から因幡に入り、鳥取に向かっていくと、雪は一気に激しくなった。「もう無理だ」と判断して、因幡の一宮の宇倍神社はパス。

鳥取を通過し、一発勝負で中国と近畿の境の蒲生峠を越えた。うまく兵庫県には入れたものの、兵庫県北部の方がはるかに大雪。
おまけに夕暮れが近づいてくる。「これ以上は危険だ」と判断し、湯村温泉に着くと観光案内所に飛び込み、紹介してもらった老舗温泉旅館の「井づつ屋」に泊まった。

▲湯村温泉の夜明けの雪景色。左側に見えるのが国道9号。

▲雪の国道9号を行く。ここは村岡。うれしいことに村岡を過ぎると雪は消えた。

翌日も雪との大格闘がつづいたが、ついに降雪地帯を突破。因幡の一宮、宇倍神社のかわりに、但馬の一宮、粟鹿(あわが)神社を参拝して京都へ。下関から981キロの京都には14時15分の到着。国道9号と国道1号の分岐点でジクサーを止めた。

▲粟鹿神社(但馬の一宮)。因幡の一宮、宇倍神社のかわりに但馬の一宮の粟鹿神社を参拝。朝来市の国道483号の南側にある。国道9号にも近い。神社の周囲は広大な森。祭神は「四道将軍」の一人の日子坐王。但馬にはもう一社、出石(いずし)神社がある。

▲京都に到着。ここからは高速道を走りつないで東京へ。高速道の一気走りだ。

ジクサーの燃費に驚き

京都からは名神→新名神→伊勢湾岸道→新東名→東名と高速道を走りつなぎ、20時、京都から414キロの厚木ICに到着。その間は無給油。ジクサーの航続距離の長さに驚かされた。

ひと晩、伊勢原の我が家に泊まり、翌日は常磐道までの区間が2月26日に開通した圏央道を走り、東関道→首都高というルートで東京に戻った。
ここでは圏央道経由の料金の高さに驚かされた。厚木ICから東関道の習志野料金所までは238キロだが、その間の料金は6210円。京都東ICから厚木ICまでの料金とそれほど変わらない。

それはさておき東京を出発してから8日目の3月9日、「スズキ二輪」東京サービスセンターに戻ってきた。
走行距離は2968キロ。3000キロに32キロ足りなかったが、ジクサーの耐久性を十分に証明することができた。
高速道&一般道の平均燃費は1リッター当たり41・87キロ。すごいぞ、ジクサー!

▲「スズキ二輪」の東京サービスセンターに戻ってきた。走行距離は2968キロ。3000キロにあと32キロ足りなかったのがすごく残念…

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賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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