賀曽利隆の「街道を行く!」甲州街道編(2)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「街道を行く!」甲州街道編(1)

2802_上諏訪宿の「舞姫」の蔵元

甲府宿に残る武田氏の興隆

甲州街道の甲府宿に着くと、まずは甲府駅に近い甲府城前で、相棒のスズキV-ストローム1000を止めた。武田氏の滅亡後に造られた甲府城は舞鶴城とも呼ばれ、石垣が残っている。

天守閣のあった天守台は甲府一といってもいいような展望台で、そこからは甲府の町並みを一望し、その向こうには富士山を見る。

2772_甲府城の天守台からの眺め。正面に富士山が見えている▲甲府城の天守台からの眺め。正面に富士山が見えている

次に甲府駅から北に一直線に行ったところにある武田神社へ。武田信玄をまつる武田神社は「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」と呼ばれた武田氏の館跡。

信玄は城を築くこともなく、堀をめぐらし、土塁で囲った館を戦国時代の甲州支配の拠点にした。まさに「人は石垣、人は城」の武田の館。

境内には「疾如風徐如林侵掠如火不動如山(疾きこと風のごとく、しずかなること林のごとし。侵略すること火のごとく、動かざること山のごとし)」の武田の軍旗、「風林火山」が風にはためいていた。

2773_武田信玄をまつる武田神社。ここは「躑躅ヶ崎館」と呼ばれた武田氏の館跡
▲武田信玄をまつる武田神社。ここは「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」と呼ばれた武田氏の館跡
2774_甲府駅前の武田信玄像
▲甲府駅前の武田信玄像

甲州街道も後半戦。武田氏の発祥と武田軍の最期

甲府駅前に戻ると、甲州街道後編の「甲府→下諏訪」の開始だ。国道52号→国道20号で最初の宿場の韮崎宿に向かっていく。

韮崎に近づくと、南アルプスの山々がぐっと大きくなってくる。旧道で韮崎宿に入り、「井筒屋醤油店」の前でV-ストローム1000を止めた。ここは醤油、味噌、麹の醸造元で、旧街道を感じさせる建物だ。

2775_韮崎宿の醤油や味噌、麹の醸造元の「井筒屋醤油店」▲韮崎宿の醤油や味噌、麹の醸造元の「井筒屋醤油店」

韮崎宿からは「武田の里」と「新府城跡」に行った。
まずは「武田の里」だ。韮崎から釜無川を渡った対岸にある武田の里は武田氏発祥の地。その中心となるのが武田八幡宮で古色蒼然とした神社。武田氏の氏神で、本殿は武田信玄が再建したものだという。

2776_韮崎の武田八幡宮の門前。ここは武田氏発祥の地▲韮崎の武田八幡宮の門前。ここは武田氏発祥の地

次に「新府城跡」へ。韮崎から県道17号で行く河岸段丘(七里岩)上にある。大規模な城跡で本丸跡に今は藤武稲荷神社がまつられている。織田・徳川連合軍に攻められた武田軍は、ここ新府城に立てこもって応戦するはずだったがそれもかなわず、笹子峠に近い天目山に散った。

2777_新府城跡の近くから甲州街道を見下ろす▲新府城跡の近くから甲州街道を見下ろす

甲州名物「信玄餅」と名峰「甲斐駒ケ岳」

韮崎からは国道20号で台ヶ原宿へ。宿場は国道20号との分岐を右に入ったところにある。宿場がそっくりそのまま残ったという感じで、本陣跡と常夜灯がある。

2784_台ヶ原宿の入口。右が旧甲州街道、左が現甲州街道の国道20号▲台ヶ原宿の入口。右が旧甲州街道、左が現甲州街道の国道20号

宿場の中央には地酒「七賢」の蔵元。大きな杉玉のぶら下がった風情のある建物だ。その斜め前が和菓子の老舗「金精軒」で、ここが甲州名物「信玄餅」の元祖。店先の縁台に座り、宿場を眺めながら「生信玄餅」(750円)を食べた。

台ヶ原宿を出ると国道20号に合流。道の駅「はくしゅう」からは、甲州街道の名峰、甲斐駒ケ岳(2965m)がよく見える。

2795_台ヶ原宿の「金精軒」で「生信玄餅」を食べる
▲台ヶ原宿の「金精軒」で「生信玄餅」を食べる
2798_国道20号の道の駅「はくしゅう」から見る甲斐駒ケ岳
▲国道20号の道の駅「はくしゅう」から見る甲斐駒ケ岳

甲州から信州へ。風情が残る蔦木宿

次の教来石宿は下教来石と上教来石に分かれているが、ともに国道20号から右手に入った旧道沿いにある。このような旧道をみつけて入っていくのが、「街道ツーリング」ならではの面白さ。

教来石の地名は日本武尊が座った石に由来しているとのことで、もともとは経来石と書かれたようだ。下教来石が教来石宿の中心で、本陣跡や諏訪神社がある。上教来石を過ぎ、信州との国境に向かった一本道には山口関跡。教来石宿は国境警備の色彩の強い宿場だった。

国道20号の国境橋を渡り、甲州から信州に入った。信州最初の蔦木宿の入口には道祖神がまつられている。そこに立つ蔦木宿の案内板には本陣、脇本陣のほかに、旅籠15戸、問屋場2戸、駄馬25頭、人足25人、戸数105戸、人口508人と書かれている。

宿場内には三光寺という大寺もあるが、この数字からもわかるように蔦木宿は小さな宿場。しかし宿場の南入口と北入口には枡形道が残り、国道20号沿いの旧家には屋号を記した表札がかかり、本陣「大阪屋」の表門が復元されているといった具合で、当時の宿場の風情が残されている蔦木宿だ。

2799_信州最初の宿場、蔦木宿を見下ろす▲信州最初の宿場、蔦木宿を見下ろす

武田軍の強みとなっていた金山の歴史

蔦木宿から国道20号を走り、富士見峠を越える。これが甲州街道最後の峠越え。富士見峠を下ったところが金沢宿。宿場町は国道20号に沿って細長く延びている。

2800_国道20号の富士見峠。これが甲州街道最後の峠越え
▲国道20号の富士見峠。これが甲州街道最後の峠越え
2801_国道20号沿いの金沢宿
▲国道20号沿いの金沢宿

ここでは金沢温泉「金鶏の湯」(入浴料400円)に入った。地元のみなさんと湯の中談義できるローカル色豊かな日帰り湯。「金鶏の湯」の温泉名は武田の金山、金鶏金山からきている。

武田信玄は日本稀代の鉱山師といってもいいほどで、国道411号(青梅街道)の柳沢峠近くの黒川金山を筆頭に、いくつもの金山を開発した。金鶏金山もそのひとつ。

JR青柳駅前から金沢林道を行くと金鶏金山跡を見られるが、その規模の大きさには驚かされてしまう。「金鶏千軒」といわれたほどで、山中には鉱山労働者の家々が建ち並んでいた。

このような甲州とその周辺の金山から得られる豊富な軍資金が、武田軍の最大の強みになっていた。それと同時に、武田軍は甲州街道を完全に牛耳っていたこともよくわかる。「甲府→下諏訪」の甲州街道は、「武田ロード」といってもいいほどで、武田軍の軍用道路の色彩が強かった。

金沢宿は甲州街道と金沢峠を越えて高遠に通じる金沢街道の分岐点になっていた。江戸時代の参勤交代で甲州街道を行き来した高遠藩と飯田藩は、この金沢峠を越えていた。

今でも金沢峠越えの道は残っているが、ロードバイクでは越えるのが難しいようなラフなダートで勾配がきつい。

銘酒の蔵元が建ち並ぶ上諏訪宿

金沢宿を後にすると、諏訪盆地に入っていく。「甲府→下諏訪」の甲州街道後編は甲府盆地から諏訪盆地へと、盆地から盆地へのルート。盆地というのは日本の原風景といってもいいほどで、なぜか心をホッとさせるものがある。

そして上諏訪宿に入っていく。ここで目につくのは銘酒の蔵元。わずかな距離の間に「真澄」、「横笛」、「本金」、「麗人」、「舞姫」と、5つの蔵元がつづく。旧街道と造り酒屋は切っても切り離せない関係にあるが、上諏訪宿は突出している。

2802_上諏訪宿の「舞姫」の蔵元▲上諏訪宿の「舞姫」の蔵元

上諏訪宿は甲州街道の宿場町であるのと同時に、高島藩(諏訪氏)の城下町。諏訪湖近くの高島城の本丸跡には天守閣や櫓、門などが復元されている。

もともとは諏訪湖の湖岸にあった城で、「諏訪の浮城」ともいわれた。「日本三大湖城」のひとつに数えられていたが、今では周囲が埋め立てられ、湖岸からは離れている。

上諏訪宿からは旧甲州街道でゴールの下諏訪宿に向かう。高台を通る旧甲州街道からは国道20号とJR中央本線の線路、それと諏訪湖が見下ろせる。

車がすれ違うのがやっとといった狭路だが、「よくぞ残った!」と拍手を送りたくなるような「上諏訪→下諏訪」間の旧甲州街道だ。

甲州街道終点の碑へ到着。江戸五街道走破!

上諏訪宿のある諏訪市から下諏訪宿のある下諏訪町に入り、さらに旧甲州街道を行くと、諏訪大社下社の秋宮前に出る。その先が甲州街道の終点で、「甲州道中・中山道合流之地」碑が建っている。その前でV-ストローム1000を止めた。

2806_下諏訪宿の甲州街道終点の碑▲下諏訪宿の甲州街道終点の碑

そこには「旧甲州道中 江戸 五十三里十一丁」、「旧中山道 江戸 五十五里七丁」と記されている。中山道は合流点で直角に折れ曲がって塩尻峠を越え、京都に向かっていく。

ここでひとつ興味を引かれたのは江戸までの距離だ。中山道経由の方が2里(約8キロ)ほど長くなるのにもかかわらず、大半の旅人は中山道を往来した。中山道の方が甲州街道よりも、はるかに整備されていたからであろう。

バイク旅だからこそ感じとれる風土の比較

こうして東京から下諏訪まで甲州街道を通して走ってみると、「東京→甲府」(前編)と「甲府→下諏訪」(後編)の大きな違いがわかってくる。風を切り、土地のにおいをかぎ、五感を鋭くさせて走るバイク旅だからこそできる風土の比較、これがバイク旅の最大のよさというものだ。

V-ストローム1000を走らせての東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道の「江戸五街道走破」、これにて終了!

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賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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