賀曽利隆の「街道を行く!」中山道編(3)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「街道を行く!」中山道編(2)

2555_藪原宿の一里塚跡。D51も見られる

ほぼ完全な形で残る「平出の一里塚」

中山道の第29番目の宿場、下諏訪宿を出発。相棒のスズキV-ストローム1000を走らせ、国道20号で中央分水嶺の塩尻峠を越える。

峠を下った十字路は国道20号と国道19号、国道153号の交差点。中山道の塩尻宿はそのうちの国道153号に沿って延びている。本陣跡、脇本陣跡には碑が立っている。

2525_下諏訪温泉の「ホテル山王閣」を出発

▲下諏訪温泉の「ホテル山王閣」を出発

2545_下諏訪宿の中山道

▲下諏訪宿の中山道

2546_国道20号の塩尻峠▲国道20号の塩尻峠

塩尻宿から国道19号に合流するまでの間の中山道は県道305号になる。中山道の両側に「平出の一里塚」が残った。両側に残る一里塚というのは、信濃路ではここが唯一。5間(9m)という道幅も当時のまま。往時の中山道を知るには、平出の一里塚は絶好のポイントだ。

一里塚は慶長9年(1604年)に徳川2代目将軍、秀忠の命によって築かれた。重臣たちを「一里塚奉行」に任命するほど、徳川幕府は「江戸五街道」の整備に力を入れた。そして3年後の慶長12年には完成させた。

明治以降、多くの一里塚が消えていった中で、平出の一里塚はほぼ完全な形で残った。

2548_平出の一里塚▲平出の一里塚

時間が止まる感覚。旧道を行く

塩尻宿の次の洗馬宿からは、本山宿、贄川宿、奈良井宿と国道19号沿いの宿場をめぐる。それらの宿場はすべて国道19号の旧道沿いにある。

一歩旧道に入ると、急に時間が止まったかのようで、「木曽高速」の異名をとる国道19号を走っている時とはまったく違う、別世界に入り込んだような感動をおぼえる。

洗馬宿には善光寺西街道との追分が残っている。本山宿は「そば切り」発祥の地。ここではそば処「本山そばの里」で「そばがき」と「盛りそば」を食べた。

我々が今の時代、「そば」といってるのはソバ粉を麺に打った「そば切り」のことで、それ以前はソバ粉を湯で練り固めた「そばがき」が一般的だった。本山宿で生み出されたというそば切りは中山道を通して、またたくまに日本中に広まった。

2550_本山宿のそば処「本山そばの里」で「盛りそば」と「そばがき」を食べる▲本山宿のそば処「本山そばの里」で「盛りそば」と「そばがき」を食べる

本山宿を過ぎると次第に山中に入り、国道19号沿いには「是れより南 木曽路」の碑が立っている。贄川宿には関所がある。贄川宿と奈良井宿の間の平沢は「木曽漆器の町」で、国道19号の旧道沿いには漆器店が軒を並べている。

奈良井宿は「奈良井千軒」といわれたほど栄えた宿場。昔ながらの家並みが見事に残り、今では大勢の観光客を集めている。宿場の辻々には湧水の流れ出る水場がある。この水がうまい!

2551_古い家並みが残る奈良井宿▲古い家並みが残る奈良井宿

薮原宿の「お六伝説」

2554_国道19号の鳥居峠▲国道19号の鳥居峠

奈良井宿を過ぎると中央分水嶺の鳥居峠を越え、木曽川沿いの薮原宿、宮ノ越宿を通り、福島宿へ。薮原宿は「お六櫛」で知られている。土産物店の店先に並んでいるが、それは「お六伝説」にまつわる木曽特産の櫛。

昔この地方にお六という美人の娘がいた。お六はひどい頭痛持ちで、御岳に願をかけると、ミネバリ(カバノキ科の落葉樹)の櫛で髪を梳かすようにとのお告げがあった。その通りにすると、ピタッと頭痛は止まり、お六はますます美人になったという。

2555_藪原宿の一里塚跡。D51も見られる

▲藪原宿の一里塚跡。D51も見られる

2556_宮ノ越宿の本陣跡

▲宮ノ越宿の本陣跡

宮ノ越宿を過ぎたところが中山道の中間点。案内板には江戸まで67里28丁、京まで67里28丁と書かれている。木曽路最大の福島宿では、箱根(東海道)、新居(東海道)、碓氷(中山道)と共に「天下の四関」といわれた福島関所跡を見学した。

福島宿からさらに上松宿、須原宿、野尻宿、三留野宿と木曽川沿いの宿場をめぐる。中山道は木曽川よりも一段、高いところを通っている。上松宿は昔も今も木材の集散地。町に入ると、木曽檜の香りがプーンと漂ってくる。木曽川沿いには貯木場や製材所、木工所が見られる。

海からはるかに離れた、木曽の浦島太郎伝説

上松宿を過ぎたところが、木曽川の名勝、寝覚めの床。海からはるかに遠いこの地に、何と「浦島太郎伝説」が残されている。木曽の浦島太郎伝説というのは次のようなもの。

竜宮城から帰った浦島太郎は自分の村に帰ってみると、両親はおろか、誰一人として知った人はいない。家もなくなっている。そこで諸国放浪の旅に出た。

最後に住みついたのが木曽谷で、木曽川で釣りをしたり、村人たちに竜宮城での楽しかった話を聞かせるような毎日。ある日、ふと竜宮城の乙姫にもらった玉手箱を開けてみると白い煙が立ち昇り、浦島太郎はいっぺんに白髪の老人になってしまった。

寝覚めの床の臨川寺の宝物館には、浦島太郎が使ったという釣竿が展示されている。境内の弁天堂には弁天像がまつられているが、それは玉手箱の中に残されていたものだという。

須原宿には木曽檜の丸太をくり抜いた水舟がある。湧水が流れ込む水舟で、柄杓で飲むとキリッと冷たい。木曽路はどこも水が豊富。野尻宿には本陣跡や脇本陣跡の碑がある。

三留野宿はJR南木曽駅の近くにある宿場。ちょっとわかりにくいが、JR中央本線の東側の高台に宿場がある。宿場の中央には本陣跡がある。南木曽あたりまで来ると木曽川は川幅をぐっと広げ、川幅いっぱいに白っぽい石がゴロゴロしている。

電柱がない!タイムスリップしたかのような妻籠宿

妻籠宿は中山道の宿場めぐりのハイライト。昔ながらの宿場をそっくりそのまま保存している。電線が地下を通っているので、目障りな電柱が1本もない。

下町、中町、上町、寺下、尾又とつづく800メートルほどの宿場町には格子戸の家々が並び、復元された本陣や総檜造りに建て替えられた脇本陣がある。まるで江戸時代の中山道にタイムスリップしたかのような錯覚にとらわれる。

2560_妻籠宿には昔ながらの宿場がそっくり残っている▲妻籠宿には昔ながらの宿場がそっくり残っている

妻籠宿から木曽路最後の宿場の馬籠宿へ。中山道は木曽川を離れ、馬籠峠を越える。峠道は舗装されている。大半の車は木曽川沿いの国道19号を通るので、交通量は少ない。峠への途中では中山道の石畳を見る。

2563_馬籠峠への中山道の石畳道▲馬籠峠への中山道の石畳道

緑濃い木曽の山々を眺めながらV-ストローム1000を走らせ、標高801メートルの馬籠峠に到達。ここが現在の長野・岐阜の県境になっている。

馬籠峠は元々は長野県内の峠で、南木曽町と山口村の境だった。それが2005年2月の合併で山口村は岐阜県の中津川市に編入され、馬籠峠は長野・岐阜の県境になった。

長野県といえば一国一県で、信濃国の全域が長野県になっていた。それが崩壊し、今では信濃の一部は岐阜県になっている。

2568_標高801mの馬籠峠に到達。今はここが長野・岐阜県境▲標高801mの馬籠峠に到達。今はここが長野・岐阜県境

信濃路最後の馬籠宿から美濃の落合宿へ

馬籠峠を下ったところが馬籠宿。中山道の第43番目の宿場で、ここが木曽路最後の宿場であるのと同時に、信濃路最後の宿場にもなる。

馬籠宿では石畳の中山道を歩き、本陣跡の「藤村記念館」や「馬籠脇本陣史料館」などを見てまわった。ここは明治の文豪、島崎藤村の故郷。馬籠宿を舞台にした代表作の『夜明け前』で、その名は一躍、日本中に知れ渡った。

2570_木曽路最後の馬籠宿を歩く▲木曽路最後の馬籠宿を歩く

信濃の馬籠宿から美濃の落合宿に下っていくと風景が開けてくる。ゆるやかに波打つ山々の間には、白く光って流れる木曽川が見える。信濃と美濃の国境には「是れより北 木曽路」の碑。中山道の木曽路が終わった・・・。信濃から美濃に入ると、空がひときわ大きくなった。

2571_信濃・美濃国境の中山道▲信濃・美濃国境の中山道

賀曽利隆の「街道を行く!」中山道編(4)に続く

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賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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