賀曽利隆の「街道を行く!」中山道編(1)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「街道を行く!」奥州街道編(4)

2372_蕨宿の「中山道ふれあい広場」の壁画。参勤交代の様子が描かれている

東京→京都間の「中山道69次」へ出発!

前回の奥州街道にひきつづいて、今回は中山道。「江戸五街道」の4本目だ。

10月9日午前6時、出発点の東京・日本橋に、スズキV-ストローム1000ともども立った。遥かに遠い終点の京都・三条大橋に想いを馳せ、中山道を走り始める。中山道は69次。「東京→京都間」の69宿のすべてをめぐるのだ。

2365_東京・日本橋を出発。国道17号を行く▲東京・日本橋を出発。国道17号を行く

さて中山道だが、東京から高崎まではおおよそ国道17号に沿っている。

日本橋を出るとJR神田駅前を通り、秋葉原の電気街の手前で左折し、江戸総鎮守の神田明神でV-ストロームを止めた。朱塗りの随神門をくぐり、拝殿を参拝。神田明神の神田祭は「江戸三大祭」のひとつとして知られている。

2366_神田明神の随身門。豪壮な造りの門だ▲神田明神の随身門。豪壮な造りの門だ

東大の赤門前を通り、白山通りに出るとJR山手線の巣鴨駅前から地蔵通商店街に入っていく。この道が旧中山道。一方通行だが、板橋方向への一方通行なので、問題なく走れる。入口の真性寺には江戸の出入口を守る「江戸六地蔵」のひとつがまつられている。

2367_これが地蔵通商店街入口の真性寺にある「江戸六地蔵」
▲これが地蔵通商店街入口の真性寺にある「江戸六地蔵」

板橋宿へ。宿場の面影をとどめる町並みが続く

大勢の人を集めるとげぬき地蔵(高岩寺)参拝し、そのまま旧中山道を走る。巣鴨の庚申塚前(ここから先は対面通行)を通り、都電荒川線を渡り、明治通り(環状5号)を横切る。

そしてJR板橋駅前から最初の宿、板橋宿に入っていく。ここにも一方通行だが、戸田橋方向への一方通行なので、問題なく走っていける。

2368_中山道最初の宿場、板橋宿に入っていく▲中山道最初の宿場、板橋宿に入っていく

中山道の板橋宿は東海道の品川宿や日光街道の千住宿、甲州街道の内藤新宿同様、「江戸四宿」といわれた都内の宿場。板橋宿には50軒を超える旅籠があったとのことで、おおいに栄えた宿場だった。

板橋宿を走る。平尾宿、仲宿、上宿の3地区からなる板橋宿だが、今でも宿場の面影をとどめる町並みが旧中山道沿いにつづいている。地名の由来になった板橋(石神井川にかかる橋)を渡り、板橋宿を走り抜け、幅広の国道17号に出た。

2370_板橋宿の板橋を渡る。石神井川にかかる橋▲板橋宿の板橋を渡る。石神井川にかかる橋

都営地下鉄の志村坂上駅前には「志村の一里塚」。国道17号の両側に一里塚が残されている。志村からは中山道の坂を下り、環8との交差点を過ぎ、荒川にかかる戸田橋を渡って埼玉県に入った。こうして都内を走る中山道をフォローすると、東京を再発見できるというものだ。

2371_「志村の一里塚」。中山道最初の一里塚だ▲「志村の一里塚」。中山道最初の一里塚だ

関東一、中山道の面影を残す蕨宿

さー、中山道の「埼玉編」の開始。第2番目の宿、蕨宿に入っていく。「中山道ふれあい広場」には、参勤交代の様子の描かれた壁画がある。蕨宿の歴史を紹介する「歴史民俗資料館」(入館無料)もあるし、本陣跡、脇本陣跡も見られる。

蕨宿は関東では一番、中山道の面影を残した宿場といえる。

2372_蕨宿の「中山道ふれあい広場」の壁画。参勤交代の様子が描かれている▲蕨宿の「中山道ふれあい広場」の壁画。参勤交代の様子が描かれている

氷川神社と”我らの「Arai」”

第3番目の浦和宿では調神社を参拝し、第4番目の大宮宿では武蔵国の一宮、氷川神社を参拝する。

大宮宿は武蔵国の一宮、氷川神社の門前町としてにぎわったが、旧中山道と分岐して延びる氷川神社の参道はじつに趣がある。この道はもともとの中山道で、旧中山道以前の古道ということになる。

氷川神社参道の途中には「アライヘルメット」の本社があるが、我らの「Arai」は中山道・大宮宿で生まれ育った世界企業なのだ。

2373_大宮宿の中山道の古道を走って氷川神社へ。ここは武蔵の一宮▲大宮宿の中山道の古道を走って氷川神社へ。ここは武蔵の一宮

深谷宿の入口に建てられた常夜灯。旅人の記憶

大宮宿からさらに旧中山道を行く。新大宮バイパス(国道17号)を横切り、国道16号を横切り、上尾宿に入っていく。上尾宿の中心はJR上尾駅の周辺。氷川鍬神社の門前に本陣や脇本陣が建ち並んでいたが、今は当時を偲ぶものは何もない。

つづいて桶川宿、鴻巣宿とV-ストローム1000を走らせていく。鴻巣宿を過ぎると、いったん国道17号に合流。国道17号で熊谷宿を走り抜け、つづいて旧中山道で深谷宿から本庄宿へと向かっていく。

深谷宿には常夜灯が残されている。それには次のような説明があった。

江戸時代、中山道深谷宿の東と西の入口に常夜灯が建てられ、旅人の便がはかられた。天保11年(1840年)の4月に建立されたもので、高さは約4メートル。中山道では最大級のものだ。

深谷宿の発展を祈願して天下泰平・国土安民・五穀成就という銘文が刻まれている。これを建てたのは江戸時代の中頃から盛んになった富士講の人たち。(中略)。

天保年間には深谷宿には約1.7キロの間に80軒もの旅籠があり、近くに中瀬河岸場があり、中山道きってのにぎやかさであった。

2375_深谷宿を行く。東の常夜灯と西の常夜灯が残されている▲深谷宿を行く。東の常夜灯と西の常夜灯が残されている

本庄宿には金鑚神社がある。祭神は天照皇大神、素戔嗚尊、日本武尊というそうそうたる顔ぶれの3神で、社伝によると創建は欽明天皇2年(541年)という関東屈指の古社。権現造りの朱塗りの社殿が目を引く。境内には欅や銀杏の老樹がおい茂り、大楠が御神木になっている。

2380_本庄宿の金鑚神社は関東屈指の古社▲本庄宿の金鑚神社は関東屈指の古社

神流川を渡ると、中山道「上州編」の始まり

本庄宿を過ぎると埼玉・群馬県境を流れる神流川を渡り、群馬県に入った。神流川を渡ると旧国でいうと上野国。中山道の「上州編」が始まった。

国道17号沿いの食事処「居食屋」で「新町ランチ」(580円)を食べ、旧中山道で新町宿の町並みを走り抜けていく。

2381_神流川を渡って群馬県へ。河原に降りて神流川にかかる神流川橋を見る
▲神流川を渡って群馬県へ。河原に降りて神流川にかかる神流川橋を見る
2383_新町宿の食事処「居食屋」で「新町ランチ」を食べる
▲新町宿の食事処「居食屋」で「新町ランチ」を食べる

道標と常夜灯。遠い旅路を進む勅使をおもう

新町宿の次は倉賀野宿。倉賀野宿の入口は中山道と日光に通じる例幣使街道の追分だ。例幣使街道には全部で13の宿場がある。

正保4年(1647年)に最初の日光例幣使の派遣があって以来、慶応3年(1867年)の最後の例幣使派遣まで、221年間、1回の中止もなく継続されたというからすごい。

例幣使というのは日光東照宮に派遣される勅使のことで、京都から中山道→例幣使街道というルートで日光東照宮まで行った。

倉賀野の追分には閻魔堂が建ち、道標と常夜灯がある。追分というのはじつに心を打たれる場所で、そこに立つだけで、はるか遠い世界へと旅心がいざなわれる。

2387_倉賀野宿の追分。右が中山道(東京方向)で左が例幣使街道(日光方向)▲倉賀野宿の追分。右が中山道(東京方向)で左が例幣使街道(日光方向)

日本橋から110キロ。京都への旅はまだまだ続く

倉賀野宿を過ぎると中山道第13番目の高崎宿。ここまで日本橋から110キロ。高崎は伊井直政の城下町。昔から商業の町としてにぎわった高崎だが、その中心は高崎駅に近い田町の周辺になる。

高崎は今でもその流れを受け継ぎ、群馬県内では県都の前橋をおさえて経済の中心地になっている。日本海に通じる三国街道が本町1丁目の交差点で分岐している。高崎からは碓氷峠を越えて信州に向かっていくのだ。

2395_高崎宿に到着。ここは中山道(直進)と三国街道(右折)の追分▲高崎宿に到着。ここは中山道(直進)と三国街道(右折)の追分

賀曽利隆の「街道を行く!」中山道編(2)に続く

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賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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