賀曽利隆の「街道を行く!」奥州街道編(4)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「街道を行く!」奥州街道編(3)

7795_国道280号の旧道を北上。青森湾の対岸には夏泊半島が見える

青森の朝。色艶のいいイクラ丼でご機嫌に!

青森では青森駅前の「東横イン」に泊まったが、翌朝は5時前に出発。まずは駅前の朝市「新鮮市場」でスズキV-ストローム1000を止めた。

市場内をぐるりとひとまわりし、この時間からやっている「丸青食堂」に入った。「いくら丼」(2000円)を頼んだのだが、いや~、すごい。色艶のいいイクラが丼飯を覆い尽くしているではないか。そんなイクラ丼を食べて、朝からご機嫌なカソリ。「食」は旅の大きな楽しみだ。

7780_これが青森駅前の朝市「新鮮市場」の「丸青食堂」で食べた「いくら丼」▲これが青森駅前の朝市「新鮮市場」の「丸青食堂」で食べた「いくら丼」

太宰治の名作『津軽』に描かれた宿場町を辿る

青森からは国道280号の旧道を行く。この道が奥州街道。終点の三厩宿を目指して津軽半島に入っていく。青森を過ぎると奥州街道は松前街道といわれる。

青森宿の次は油川宿。ここは奥州街道と羽州街道の「東北の二大街道」の合流地点。造り酒屋「西田酒造店」の前に奥州街道(松前街道)と羽州街道の「合流之地」碑が建っている。油川宿の中心街には「青森発祥の地」碑も見られる。

7790_油川宿の奥州街道(松前街道)と羽州街道の「合流之地」碑
▲油川宿の奥州街道(松前街道)と羽州街道の「合流之地」碑
7795_国道280号の旧道を北上。青森湾の対岸には夏泊半島が見える
▲国道280号の旧道を北上。青森湾の対岸には夏泊半島が見える

油川宿からさらに国道280号の旧道を行く。蓬田宿、蟹田宿、平館宿と通っていくが、これら奥州街道の宿場町は太宰治の名作『津軽』に詳しく描かれている。蟹田宿の蟹田港からは対岸の下北半島の脇野沢にフェリーが出ている。

7802_蟹田港では下北半島の脇野沢港行きのフェリーを見る▲蟹田港では下北半島の脇野沢港行きのフェリーを見る

平舘宿を過ぎると奥州街道(松前街道)の松並木を走り抜け、平舘海峡の灯台前でV-ストローム1000を止めた。ここは台場跡。対岸の下北半島の山々がよく見える。さらに北へと走り津軽海峡に出ると、北海道が見えてくる。

7812_旧街道の面影が残る平舘宿の奥州街道(松前街道)の松並木
▲旧街道の面影が残る平舘宿の奥州街道(松前街道)の松並木
7821_平舘海峡の向こうに下北半島を見る
▲平舘海峡の向こうに下北半島を見る

国道280号沿いの絶景岬、高野崎に立った。前方には北海道最南端の白神崎、右手には下北半島の本州最北端の大間崎、左手には津軽半島最北端の龍飛崎を見る。すごい眺めだ。高野崎の突端には赤白2色の灯台。灯台の脇からは海岸まで下っていける。

高野崎からもうひとつの岬、鋳釜崎にも立ち寄ったが、絶景岬の高野崎、鋳釜崎の両岬にはともにキャンプ場がある。

7830_津軽海峡の高野崎。対岸には北海道が見えている▲津軽海峡の高野崎。対岸には北海道が見えている

奥州街道の終点、三厩宿に到着!

北海道新幹線の奥津軽今別駅の開業で沸く今別宿を通り、日本橋から1000キロ以上を走って奥州街道の終点、三厩宿に到着。途中で宇都宮宿から日光街道を走り、さらに金精峠まで行ったので1000キロを超えたが、奥州街道だけを走れば900キロぐらいであろう。

三厩宿は千住宿から数えて117番目の宿場。三厩港の岸壁でV-ストローム1000を止めたが、胸にジーンとくるものがあった。

7854_奥州街道116番目の宿場、今別宿。奥州街道もあとひと息▲奥州街道116番目の宿場、今別宿。奥州街道もあとひと息

7867_奥州街道(松前街道)の終点、三厩宿に到着。ここは117番目の宿場
▲奥州街道(松前街道)の終点、三厩宿に到着。ここは117番目の宿場

7868_三厩漁港の岸壁にV-ストローム1000を止める▲三厩漁港の岸壁にV-ストローム1000を止める

奥州街道終点の三厩宿はじつに興味深い。三厩港の前には「松前街道終点」の碑が建っている(松前街道というのは繰り返しになるが「青森→三厩」間の奥州街道のこと)。

だが、じつは三厩は終点ではなく、さらに船で蝦夷地の松前まで通じていた。松前は北海道で唯一の城下町。現在の国道280号も三厩が終点ではなく、津軽海峡を渡り、対岸の福島から函館に至る国道だ。

「福島→函館」間は国道228号と国道280号の重複区間になっている。ぼくが初めて「日本一周」をした1978年には、まだ「三厩~福島」の東日本フェリーが運航していた。

「義経北行伝説」の謎

「松前街道終点」碑に隣りあって「源義経渡道之地」碑が建っている。断崖上には義経寺。津軽海峡を渡った北海道日高の平取には義経神社があり、義経は「競馬の神様」になっている。義経も弁慶も北海道ではあちこちで神として崇め奉られている。弁慶岬もある。これはいったいどういうことなのか。

7880_三厩の断崖上に建つ義経寺▲三厩の断崖上に建つ義経寺

平家を打ち破り、源氏に大勝利をもたらした立役者の源義経は兄頼朝の反感をかって都を追われ、義経・弁慶の主従は命がけで奥州・平泉に逃げ落ち、奥州の雄、藤原氏三代目秀衡の庇護を受けた。しかし頼朝の義経追求の手は厳しさを増した。

秀衡の死後、その子泰衡は頼朝を恐れ、義経一家が居を構えていた北上川を見下ろす高館を急襲。弁慶は無数の矢を射られ、仁王立ちになって死んだ。義経は妻子とともに自害した。それは頼朝の平泉攻撃3ヶ月前の文治5年(1189年)4月30日のことだ。

こうして悲劇の英雄、義経は、奥州・平泉の地で最期をとげたことになっている。だがなんとも不思議なことに平泉以北の東北各地には、義経・弁慶の主従が北へと逃げのびていったという「義経北行伝説」の地が点々とつづいている。

それは義経や弁慶をまつる神社や寺だったり、義経・弁慶が泊まったという民家だったり、義経・弁慶が入った風呂だったり・・。その「義経北行伝説」の地を結んでいくと、1本のきれいな線になって北上山地を横断し、三陸海岸から八戸、青森、そして津軽半島の三厩へとつづく。

「義経北行伝説」はさらに北へ、蝦夷地へと果てしなくつづいている。 奥州街道の終点、三厩までやって来ると、この地が終点どころか、街道はさらに北へ、北へと延びていることに驚かされてしまう。「義経北行伝説」はまるでそれを証明しているかのようだ。遙かなる北の世界に、途方もなく広い北の世界に胸を躍らせてしまう。

『津軽』の一節が残す、途切れていた龍飛崎以北への道

カソリの奥州街道の旅も三厩では終わらない。ここからは国道339号で津軽半島最北端の龍飛崎まで行く。

龍飛漁港の入口には津軽で生まれ、津軽で育った太宰治の文学碑が建っている。それには太宰の名作『津軽』の龍飛を描いた次のような一節が刻み込まれている。

ここは、本州の袋小路だ。讀者も銘肌せよ。諸君が北に向かって歩いてゐる時、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外ヶ濱街道に至り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小屋に似た不思議な世界に落ち込み、そこにおいて諸君の路は全く尽きるのである。

7882_龍飛漁港の入口に建つ太宰治の文学碑。名作『津軽』の一節が刻まれている▲龍飛漁港の入口に建つ太宰治の文学碑。名作『津軽』の一節が刻まれている

7886_龍飛漁港。目の前には義経伝説の帯島が見えている
▲龍飛漁港。目の前には義経伝説の帯島が見えている
7890_龍飛崎突端のレーダー基地。津軽海峡対岸の北海道がはっきり見えている
▲龍飛崎突端のレーダー基地。津軽海峡対岸の北海道がはっきり見えている

先にふれた我が「30代編日本一周」(1978年)で龍飛崎に来たときは、まさに太宰治の『津軽』の通りで、道はここで途切れ、来た道を引き返さなくてはならなかった。次の「40代編日本一周」(1989年)の時には、国道339号が全線開通していて龍飛崎から日本海側の小泊に抜けられた。

龍飛崎を最後に、ここで折り返して青森に戻ると、新奥州街道といっていい東北道を一気に走り東京に戻った。

賀曽利隆の「街道を行く!」 中山道編(1)に続く

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賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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