賀曽利隆の「街道を行く!」奥州街道編(2)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「街道を行く!」奥州街道編(1)

6959_有壁宿の本陣。奥州街道に残る唯一の本陣で貴重な存在だ

福島からさらに北へ。「東北の二大街道」分岐点

東京・日本橋を出発し、宇都宮、白河と通って福島までやってきた。福島からさらに北へ、相棒のスズキV-ストローム1000を走らせて青森を目指す。
「進路を北へ」。
北へ、北へと走るこの単純明快さが、奥州街道のたまらない魅力になっている。

福島宿を出ると瀬の上宿を通り、桑折宿へ。桑折宿の町並みを走り抜けたところが桑折追分で、奥州街道と羽州街道の「東北の二大街道」が分岐する。羽州街道は小坂峠を越えて宮城県に入り、金山峠を越えて山形県に入る。

6890_瀬の上宿を行く。旧奥州街道は国道4号の一本、西側の道になる
▲瀬の上宿を行く。旧奥州街道は国道4号の一本、西側の道になる
6898_旧街道の風情が残る桑折宿。ここには明治以降の伊達郡役所の建物も残る
▲旧街道の風情が残る桑折宿。ここには明治以降の伊達郡役所の建物も残る

山形からは国道13号に沿ったルートで、雄勝峠を越えて秋田県に入る。秋田からは国道7号に沿ったルートで矢立峠を越えて青森県に入り、油川宿で奥州街道に合流。桑折→油川間の羽州街道には全部で59宿ある。

「東北の二大街道」は簡単にいうと、奥州街道が国道4号、羽州街道が国道13号→国道7号に相当する。奥州街道は奥羽山脈東側の奥州、羽州街道は奥羽山脈西側の羽州を貫いている。

東北は太平洋側の奥州と日本海側の羽州、2つの世界から成っている。その2つの世界を貫く奥州街道と羽州街道が分岐(合流)するということは、この地に人も物もお金も集まることを意味し、桑折宿はおおいに賑わった。

6902_ここが桑折追分。右が奥州街道で左が羽州街道。東北の二大街道が分岐▲ここが桑折追分。右が奥州街道で左が羽州街道。東北の二大街道が分岐

東北の歴史が動いた「奥州合戦」の舞台

桑折宿の次は藤田宿。JR東北本線の藤田駅の周辺が宿場町になっている。ここは奥州街道58番目の宿場で、奥州街道のほぼ中間点になる。

次の貝田宿に向かっていくと左手に厚樫山(国見山)が見えてくる。ここは文治5年(1189年)に源頼朝が奥州藤原氏と戦った阿津賀志山の古戦場。奥州軍はこの一帯に大規模な防塁を築いて戦ったが破れ去った。もしこの戦いで奥州軍が勝っていたら、その後の東北の歴史は大きく変わっていたのは間違いない。

6903_国道4号から見る厚樫山。ここは「奥州合戦」の舞台▲国道4号から見る厚樫山。ここは「奥州合戦」の舞台

狭路の山道をV-ストローム1000で登っていくと、厚樫山の山頂には「奥州合戦八百年記念」の大きな碑が建っている。宿場の面影が今でも残る貝田宿から国見峠を越え、福島県から宮城県に入った。

6910_厚樫山の山頂に建つ「奥州合戦八百年記念」碑。山頂近くまでバイクで登れる
▲厚樫山の山頂に建つ「奥州合戦八百年記念」碑。山頂近くまでバイクで登れる

400年の歴史を持つ「うーめん」と芭蕉が詠んだ松

越河宿、斎川宿と通り白石宿へ。白石は片倉氏1万5000石の城下町。白石城と武家屋敷を見て、うーめん専門店の「うーめん番所」で白、緑、黄色三色の「うーめん三昧」(930円)を食べた。白石名物の「うーめん」は400年の歴史を持つ素麺風のうどん。細麺特有のスルスルッとしたのど越しを楽しんだあとは、サービスの甘酒を飲んだ。

6917_白石のうーめん専門店「うーめん番所」で「うーめん三昧」を食べる▲白石のうーめん専門店「うーめん番所」で「うーめん三昧」を食べる

白石宿からは刈田の宮宿、金ヶ瀬宿、大河原宿、船迫宿、槻木宿と通り岩沼宿へ。ここで奥州街道と水戸街道(陸前浜街道)が分岐する。水戸街道は現在の国道6号。東京の千住宿で奥州街道と分岐し、松戸宿、水戸宿、平宿、相馬宿と通り、終点の岩沼宿で奥州街道に合流する。千住→岩沼間には全部で55宿がある。

岩沼宿では「日本三大稲荷」の竹駒神社を参拝。鳥居をくぐったところには芭蕉の「桜より松は二木を三月越し」の句碑がある。随身門、唐門と通り抜けると、豪壮な造りの拝殿だ。

そのあと神社近くの「武隈の松」(二木の松)を見る。芭蕉が句に詠んだ松。根の生え際から2本に分かれているので「二木の松」といわれている。現在の松は7代目だとのことで、芭蕉が見たのはその2代前の5代目らしい。

6936_岩沼の竹駒神社の拝殿。竹駒神社は「日本三大稲荷」
▲岩沼の竹駒神社の拝殿。竹駒神社は「日本三大稲荷」
6938_岩沼の「武隈の松」(二木の松)。竹駒神社近くの芭蕉が句に詠んだ松
▲岩沼の「武隈の松」(二木の松)。竹駒神社近くの芭蕉が句に詠んだ松

名もなき寒村だった仙台。伊達政宗との歴史

岩沼宿からは増田宿、中田宿、長町宿と通り仙台宿に到着。「杜の都」仙台ではケヤキ並木を走り、青葉城(仙台城)へ。大手門の隅櫓の脇から青葉山を登り、天守閣跡に建つ騎馬姿の伊達政宗像を見た。

6943_東北最大の都市、仙台の中心街に入っていく
▲東北最大の都市、仙台の中心街に入っていく
6945_青葉城(仙台城)の天守閣跡に建つ伊達政宗像。大勢の人たちが訪れる
▲青葉城(仙台城)の天守閣跡に建つ伊達政宗像。大勢の人たちが訪れる

仙台は古くは千代、もしくは川内と書かれたようだが、名もなき寒村だった。慶長6年(1601年)に政宗が岩出山からこの地に城を移したとき「仙台」に改めた。足下を広瀬川が流れる青葉山を難攻不落の要害の地と見たのだろう。それ以降、仙台藩62万石の城下町としてこの地は繁栄しつづけた。62万石というのは加賀藩、薩摩藩に次ぐ日本第3の石高。それを引き継いで、仙台は明治以降も東北最大の都市になっている。

もし政宗が岩出山からこの地に移らなかったら、仙台は名も知れぬ奥州街道の一宿場で終っていただろうし、仙台を拠点にした東北の覇者、政宗の存在がなかったら、奥州街道は細道のままで整備されることもなかったであろう。幕府直轄の「江戸五街道」としての奥州街道は白河までだったからだ。政宗の残した功績はきわめて大きい。

20キロもある宿場間を快走!歩いて旅した時代は・・?

仙台を出発。七北田宿、新町宿、吉岡宿の3宿を過ぎると次は古川宿。広大な水田地帯を貫く快走路の国道4号を走る。吉岡宿から古川宿までは20キロもある。奥州街道の全コースの中でも、宿場間の距離が断トツで一番、長い。

なぜこの間だけ、これほどまでに宿場間の距離が長いのか、『ツーリングマップル東北』を見ながら考えてみた。その理由は吉岡から色麻、中新田を経由して古川に至る街道が本道だったからではないか。江戸時代の中新田はこの地方の中心地。瑞雲寺という豪壮な造りの寺もある。それに対して「吉岡-古川」間の奥州街道はノンストップのバイパスのようなもの。歩いて旅した時代、吉岡宿から古川宿の間だけで半日はかかった。

6950_古川宿の北町交差点。ここを通る県道1号が旧奥州街道▲古川宿の北町交差点。ここを通る県道1号が旧奥州街道

当時のままの姿を残す有壁本陣

古川からは荒谷宿、高清水宿、築館宿、下宮野宿、城生野宿、沢辺宿、金成宿の7宿を通り、岩手県境に近い有壁宿へ。JR東北本線の有壁駅前が奥州街道の宿場町。ここには奥州街道で唯一、本陣が残されている。

以前は味噌・醤油の醸造元だったとのことだが、私宅も改造されることなく、当時のままの姿を今にとどめている。じつに貴重な存在だ。内部の見学はできないが、外から見ることはできる。一関藩、盛岡・南部藩、八戸・南部藩、津軽藩、松前藩などの参勤交代の大名行列はこの地を通り、藩主らがこの有壁本陣に泊まった。

6959_有壁宿の本陣。奥州街道に残る唯一の本陣で貴重な存在だ▲有壁宿の本陣。奥州街道に残る唯一の本陣で貴重な存在だ

有壁宿から国道4号に出ると県境を越えて岩手県に入り、第85番目の一関宿に到着。一関駅前のラーメン店「どん」で「味噌コーンラーメン」(800円)を食べ、駅前の「東横イン」に泊まった。ぼくは駅前食堂とか駅前旅館が大好きなのだ。

6963_有壁宿を出ると、旧奥州街道はJR東北本線の「奥州街道踏切」を渡る
▲有壁宿を出ると、旧奥州街道はJR東北本線の「奥州街道踏切」を渡る
6977_一関駅前のラーメン店「どん」の「味噌コーンラーメン」。コーンたっぷり!
▲一関駅前のラーメン店「どん」の「味噌コーンラーメン」。コーンたっぷり!

賀曽利隆の「街道を行く!」奥州街道編(3)に続く

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賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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