【賀曽利隆 コラム】賀曽利隆の「街道を行く!」東海道編(3)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:賀曽利隆の「街道を行く!」東海道編(2)

9778_関宿を行く。ここには東海道では一番といっていい宿場の風情が残されている

松並木を走り、東海道の風情たっぷりの舞坂宿へ

「東海道編」の第3日目。浜松では浜松駅近くの「東横イン」に泊まったが、朝食を食べて、8時に出発。相棒のスズキV-ストローム1000に「さー、行くぞ~!」とひと声かけて走り出す。東海道の国道257号(旧国道1号)を行く。

9415_浜松駅北口の「東横イン」を出発。「さー、行くぞ!」▲浜松駅北口の「東横イン」を出発。「さー、行くぞ!」

スズキの本社前を通り、いったん国道1号に合流し、旧東海道の松並木を走って舞坂宿に入っていく。舞坂宿には東海道の風情がたっぷりと残っている。

ここでは脇本陣(無料)を見学。東海道に残る唯一の脇本陣なので貴重な存在だ。天保9年(1838年)に建てられた「茗荷屋」を復元したもので、大名が泊まった「上段の間」が見られるし、漆塗りの円形の湯舟「上湯殿」も見られる。

9696_舞坂の東海道の松並木を行く。旧東海道は国道1号の北側になる
▲舞坂の東海道の松並木を行く。旧東海道は国道1号の北側になる
9709_舞坂宿の脇本陣。宿場町を貫く旧東海道は国道1号の南側になる
▲舞坂宿の脇本陣。宿場町を貫く旧東海道は国道1号の南側になる

 

新居宿の関所と旅籠。旅人たちの息吹

舞坂宿から新居宿までは、江戸時代は浜名湖の渡しだった。渡船場は「雁木」といわれ、地元の人たちはそれを「がんげ」と呼んだ。渡船の始発便は朝4時で最終便は午後4時だったという。

ということで、舞坂宿からは国道1号で弁天島を通って新居宿へ。この弁天島はすごい島。国道1号が通り、JR東海道線と東海道新幹線が通っている。日本の大動脈を支える小さな島だ。日本中のどこを探しても、このような島はほかにはない。

国道1号で浜名湖を渡ったところが新居宿。宿場の入口に新居関があるが、日本で唯一、往時の関所の建物が残っている。

「新居関所」を見学。関所がどのようなものであったかがじつによくわかる。そのあと新居宿の旅籠「紀伊国屋」も見学。東海道を行き来した旅人たちの息吹が伝わってくるかのようだった。

9731_新居関所の「大御門」。屋根つきの堂々とした高麗門だ
▲新居関所の「大御門」。屋根つきの堂々とした高麗門だ
9738_新居宿を行く。ここでは旅籠の「紀伊国屋」を見学した
▲新居宿を行く。ここでは旅籠の「紀伊国屋」を見学した

 

愛知県の宿場をまわる。「八丁味噌」の起源

白須賀宿を過ぎると静岡県から愛知県に入る。

愛知県内の最初の宿場は二川宿。江戸時代の二川宿は総戸数が328軒という小さな宿場だったが、国道1号の北側には当時の宿場町がよく残されている。まるでタイムスリップしてV-ストローム1000で江戸時代に突入したかのようだ。

ここでは本陣跡の「二川宿本陣資料館」と旅籠の「清明屋」を見学した。

三河路の吉田宿(豊橋)、御油宿、赤坂宿、藤川宿と通り、岡崎宿へ。岡崎宿に到着すると、岡崎城のある岡崎公園に行く。徳川家康ゆかりの岡崎城の入口には「人の一生は重荷を負うて、遠き道をゆくがごとし。いそぐべからず。不自由を常とおもえば・・」で始まる有名な家康の遺訓碑が、亀の石像の上に建っている。

岡崎城の天守閣に登り、町並みを眺めた。岡崎は城下町であるのと同時に、東海道の重要な宿場町。東海道筋では府中宿に次ぐ賑わいをみせていた。

岡崎城の茶店で三河名物の「五平餅」を食べた。それにはたっぷりと八丁味噌のタレがかかっている。三河の赤味噌を代表する「八丁味噌」の起源は、遠く室町時代までさかのぼる。東海道を行き来する旅人たちによってその名は全国に広まっていった。

9750_岡崎城の茶店で食べた「五平餅」。八丁味噌のタレがたっぷりとかかっている▲岡崎城の茶店で食べた「五平餅」。八丁味噌のタレがたっぷりとかかっている

岡崎城を後にすると、角九印で知られる「八丁味噌」の工場前を通っていく。岡崎市の八帖町にあるが、ここはかつての八丁村。岡崎城から東海道を西へ、ほぼ八丁(約870m)の距離に位置しているのでその名があるという。八丁村産の味噌はいつしか八丁味噌といわれるようになった。

 

「七里の渡し」跡

池鯉鮒宿(知立)を過ぎると、境川を渡って三河から尾張に入っていく。

尾張路では東海道の両側に残る阿野の一里塚、桶狭間の古戦場を見て鳴海宿へ。鳴海宿を過ぎると熱田神宮に近い宮宿に到着だ。

第1番目の品川宿から数えて41番目。宮宿の「宮」は熱田神宮のこと。東海道はここからは海路になる。「七里の渡し」で三重県の桑名宿に渡ったのだ。七里の渡し跡には常夜灯と時の鐘が復元されて建っている。

当時の東海道と現在の国道1号が大きく異なるのは「名古屋~桑名」間。国道1号で第42番目の桑名宿へ。「七里の渡し」の渡船場として栄えた宿場町だ。

9770_宮宿の「七里の渡し跡」の常夜灯と時の鐘。東海道はここから海路になる▲宮宿の「七里の渡し跡」の常夜灯と時の鐘。東海道はここから海路になる

桑名城の近くに渡船場があった。次の四日市宿を通り過ぎたところが日永追分。ここで東海道と伊勢神宮参拝の伊勢街道が分岐する。日永追分から鈴鹿山脈の鈴鹿峠に向かって石薬師宿、庄野宿、亀山宿、関宿、坂下宿と伊勢路を行く。

石薬師宿には石薬師寺、庄野宿には「庄野宿資料館」がある。亀山宿では亀山城跡の亀山神社を参拝した。

9774_東海道と伊勢街道が分岐する日永追分。街道が分岐する追分は旅心を刺激する▲東海道と伊勢街道が分岐する日永追分。街道が分岐する追分は旅心を刺激する

 

唄に残る「峠をはさんだ天気の変化」

関宿には東海道で一番といっていい江戸時代の宿場の風情が残されている。東西1.8キロに及ぶ関宿の家並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

9778_関宿を行く。ここには東海道では一番といっていい宿場の風情が残されている▲関宿を行く。ここには東海道では一番といっていい宿場の風情が残されている

宿場の東の追分では伊勢別街道が、西の追分では大和街道が分岐している。坂下宿を過ぎるといよいよ箱根峠と並ぶ東海道二大難所の鈴鹿峠越えだ。

国道1号の鈴鹿トンネルを抜け、三重県から滋賀県に入る。旧国でいうと伊勢から近江に入った。わずかに下ったところで国道1号を左に折れ、旧道で峠まで登る。峠の周辺は一面の茶畑。その中に人の背丈の倍以上もある大きな常夜灯が建っている。

鈴鹿峠を下った近江路最初の宿場は土山宿だ。そこには「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨がふる」と、「鈴鹿馬子唄」の1節が大きく書かれている。鈴鹿峠をはさんで東の坂下宿は晴れ、鈴鹿峠は曇り、西の土山宿は雨、という意味。

箱根峠でも同じように「三島照る照る 小田原曇る あいの関所は雨がふる」と「箱根長持唄」で唄われている。箱根峠をはさんで西の三島宿は晴れ、東の小田原宿は曇り、間の箱根宿は雨という意味。

このような峠をはさんでの天気の変化というのは、実際にツーリングをしてみるとよくわかることだ。みなさんもきっと経験されたことがあるだろう。

土山宿からは旧東海道をフォローし、水口宿、石部宿を通り、草津宿の追分で中山道に合流。第53宿目の大津宿を通り、滋賀県と京都府の境の逢坂山峠を越えた。

9786_草津宿の追分。右が東海道、直進が中山道になる。中山道の上は草津川の流れ
▲草津宿の追分。右が東海道、直進が中山道になる。中山道の上は草津川の流れ
9792_草津宿の本陣を見学。ここには本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠77軒があった
▲草津宿の本陣を見学。ここには本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠77軒があった

 

「街道を行く!」東海道編ゴールの三条大橋に到着

峠を越えると天気は崩れ、雨に降られながらの京都・三条大橋のゴールになった。だが雨もなんのその、三条大橋到着は、まさに感動の瞬間だった。

9798_京都・三条大橋に到着だ~。ここが東海道の終点になる。まさに感動の瞬間!▲京都・三条大橋に到着だ~。ここが東海道の終点になる。まさに感動の瞬間!

V-ストローム1000のメーターでは東京・日本橋から568キロ。富士宮などへの寄り道をしなければ500キロぐらいの走行距離になる。

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賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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