【賀曽利隆 コラム】賀曽利隆の「街道を行く!」東海道編(1)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

6220_平塚宿の「東海道平塚宿」の石碑。目の前には高麗山が見える

タイムスリップしたかのような旧街道の世界へ!

さー、「賀曽利隆の街道を行く!」の開始だ。我が街道旅の相棒はスズキのV-ストローム1000。1本の街道の起点から終点まで、その間の全宿場をたどりながらバイクで走るのだ。

我々が普段、何気なく走り過ぎてしまうバイパスのすぐ脇に、まるでタイムスリップしたかのような旧街道の世界が広がっている。これが街道旅の大きな魅力。

まずは日本の最重要街道、東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道の「江戸五街道」から走り始めよう。それを終えたら日本各地の主要街道を走ろうと思う。

京都・三条大橋を目指し、東京・日本橋を発つ

5月12日10時、東京・日本橋にV-ストローム1000と共に立った。日本国道路原標のある日本橋は、日本橋川にかかる見事な造りの石橋。その上を首都高がまたいで走っているが、もう見慣れた風景なので、今ではそれほど気にもならない。

6159_日本橋を出発。日本国の道路原標がセンターライン上にはめ込まれている
▲日本橋を出発。日本国の道路原標がセンターライン上にはめ込まれている

終点の京都・三条大橋を目指して日本橋を出発すると、東海道は南西の方向に一直線に延びている。東海道というと国道1号を連想するが、「東京→横浜」間は第一京浜の国道15号になる。

京橋、銀座、新橋と日本一の繁華街を通っていくが、橋でなくなった京橋と新橋には橋の記念碑が残されている。「高輪の大木戸跡」を過ぎると、「東海道53次」最初の宿場の品川宿だ。

6162_日本一の繁華街、銀座通りを行く。ここは東海道の一部になる▲日本一の繁華街、銀座通りを行く。ここは東海道の一部になる

6175_「高輪の大木戸跡」。大木戸を出ると江戸ともお別れだ…
▲「高輪の大木戸跡」。大木戸を出ると江戸ともお別れだ…

宿場町の風情あふれる品川宿

品川駅を過ぎたところで国道15号を離れ、旧東海道で品川宿に入っていく。京急線の北品川駅近くが品川宿の入口になる。

旧東海道は一方通行の狭い道となって、京急線の東側に延びている。ちょうどうまい具合に東京方向から横浜方向への一方通行なので、何の問題もなく走っていける。

品川宿はすごくいい。まずはそば処「栄亀庵」で「もりそば」(550円)を食べ、宿場町の風情を味わう。そのあと宿場内を走り抜けていく。

6183_品川宿に入っていく。そば処「栄亀庵」で「もりそば」を食べる▲品川宿に入っていく。そば処「栄亀庵」で「もりそば」を食べる

品川寺の境内には「江戸六地蔵」のひとつ、地蔵菩薩の坐像が建っている。立会川を渡ると鈴ヶ森の刑場跡。ここには「南無妙法蓮華経」の髭題目の供養塔が建っている。

「八百屋お七」が処刑された火炙台や磔台、首洗いの井戸などが残されていて生々しい。江戸幕府は見せしめのために人通りの多い東海道のすぐ脇にこのような刑場を作ったのだ。

6195_鈴ヶ森の刑場跡。ここで旧東海道と第一京浜の国道15号が合流する▲鈴ヶ森の刑場跡。ここで旧東海道と第一京浜の国道15号が合流する

横浜開港当時の中心地、神奈川宿

鈴ヶ森で国道15号に合流。蒲田を通り、多摩川にかかる新六郷橋を渡って神奈川県に入っていく。昔の東海道は「六郷の渡し」で多摩川を渡った。

神奈川県内には川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯、小田原、箱根と全部で9つの東海道の宿がある。それら9宿はそれぞれに個性があって、興味は尽きない。

そのうち川崎宿から神奈川宿までの旧東海道は、国道15号のすぐ脇を通っている。保土ヶ谷宿から小田原宿の間は国道1号に沿っている。小田原宿から箱根宿の間は畑宿経由の旧道が旧東海道になる。

神奈川宿は京急線の神奈川新町駅から神奈川駅の間の一帯で、国道15号から1本入った旧東海道の細道沿いには、オランダ領事館跡の公園やフランス領事館跡の慶運寺、アメリカ領事館跡の本覚寺などがあり、この地が横浜開港当時の中心地になっていたことがよくわかる。

6200_神奈川宿の「東海道分間延絵図」のモニュメント▲神奈川宿の「東海道分間延絵図」のモニュメント

そのすぐ先が横浜駅周辺の高層ビル街。江戸時代の横浜は名もなき寒村、というよりも海の中だった。

街道旅の醍醐味のひとつ。「国境越え」

保土ヶ谷宿と戸塚宿の間では権太坂を越えるが、この峠が昔の武蔵と相模の国境。そこには境木地蔵がまつられている。権太坂は日本橋を出て最初に越える国境になるが、街道旅では国境越えに目を向けると、よりおもしろいものになる。

戸塚宿の入口には見附(通行人の監視所)跡と一里塚跡、東海道線の戸塚駅近くには本陣跡がある。藤沢宿では時宗の本山の遊行寺があり、開祖一遍の像が建っている。平塚宿には見附跡、脇本陣跡、本陣跡といった石碑だけが旧東海道沿いに点々と立っている。

6220_平塚宿の「東海道平塚宿」の石碑。目の前には高麗山が見える▲平塚宿の「東海道平塚宿」の石碑。目の前には高麗山が見える

平塚宿から花水川を渡ると大磯宿だが、こんもりとした高麗山は東海道沿いでは一番の自然の宝庫。緑濃い照葉樹林が全山を覆っている。

東海道線の大磯駅近くの国道1号沿いが大磯宿の中心地。そこを過ぎたところには、東海道の松並木が残されている。

6227_大磯には東海道の松並木が残っている。大磯宿には見所多数▲大磯には東海道の松並木が残っている。大磯宿には見所多数

大磯からは国道1号で小田原へ。小田原は東海道の宿場町であるのと同時に、東海道屈指の城下町。北条五代の時代には「東の小田原、西の山口」とわれるくらいに繁栄を謳歌した。

徳川以降は大久保氏11万3000石の城下町だが、小田原城は関東防衛の要とされた大城。復元された小田原城の天守閣に登った。

かつての東海道最大の難所「箱根八里」

小田原宿からはいよいよ「箱根八里」に入っていく。8里(約32キロ)というのは伊豆の三島宿までの距離。その間では箱根関所と箱根峠を越えなくてはならない。この間はかつての東海道の最大の難所になっていた。

箱根湯本駅の手前で国道1号を左折。北条早雲の墓のある早雲寺前を通り、畑宿へと登っていく。

寄木細工で知られる畑宿から芦ノ湖畔の元箱根へ。国道1号に合流して下った元箱根は、「箱根権現」で知られる箱根神社の門前町。朱色の大鳥居が目を引く。元箱根の先には東海道の杉並木が残っている。

箱根関所を越えたところが箱根宿。本陣が6軒もあったということだが、この数は東海道随一。6軒の本陣は、いかに箱根峠の峠越えが大変だったかを証明している。

6237_箱根宿にやってきた。前方の箱根峠を越えて関東から東海に入っていく▲箱根宿にやってきた。前方の箱根峠を越えて関東から東海に入っていく

国道1号を登りつめると標高846メートルの箱根峠に到達。ここは関東の相模と東海の伊豆の国境で日本の大きな境目といっていい。

静岡に入り、三島宿から沼津宿へ。沼津といえば?

箱根峠を越えて静岡県側を下っていく。峠下の錦田の一里塚を見たあと三島宿に入っていく。旧東海道沿いにある伊豆国の一宮、三嶋大社に参拝し、三島宿から沼津宿へ。

その間では伊豆・駿河国境の境川を越えるが、よっぽど気をつけていないと通り過ぎてしまうような小さな川だ。

6258_旧東海道沿いにある伊豆国の一宮、三嶋大社を参拝する。豪壮な造りの拝殿▲旧東海道沿いにある伊豆国の一宮、三嶋大社を参拝する。豪壮な造りの拝殿

18時、日本橋から132キロを走って沼津宿に到着。沼津漁港に行き、魚市場前の店「さすよ亭」で夕食。沼津といえばアジだ。ということで「あじづくし定食」(1700円)を食べた。

6265_沼津宿に到着。「魚だ、魚だ!」と喜び勇んで沼津漁港へ!
▲沼津宿に到着。「魚だ、魚だ!」と喜び勇んで沼津漁港へ!
6270_沼津の魚市場前の店「さすよ亭」で「あじづくし定食」を食べる
▲沼津の魚市場前の店「さすよ亭」で「あじづくし定食」を食べる

アジのお造り、アジの干物、アジのフライに大満足し、第1日目は沼津駅前の「東横イン」に泊まった。

【賀曽利隆 コラム】賀曽利隆の「街道を行く!」東海道編(2)に続く

【関連コラム】
◆Webikeバイクニュース 賀曽利隆コラム バックナンバー
賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

この著者の最新の記事

関連記事

編集部おすすめ

  1. 鈴鹿F1日本グランプリ地域活性化協議会は、鈴鹿市役所 1階の『モータースポーツ振興コーナー』…
  2. 生活の可能性が拡がる喜びを提供 Hondaのナイジェリアにおける二輪車生産販売子会社「ホン…
  3. オートバイパーツ・用品の販売を全国展開する2りんかんは、バイク乗りコスプレイヤーの「美環(み…
  4. ボッシュが形づくる二輪車の未来 ボッシュは、自社のモーターサイクル&パワースポーツ事業が、…
ページ上部へ戻る