【賀曽利隆 コラム】ウラジオストック→イスタンブール 1万5000キロ(7)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:ウラジオストック→イスタンブール 1万5000キロ(6)

2184_ボスポラス海峡を行き来する渡船は満員の乗客

クルド人の町、ドーバヤジット。装甲車に近づくと・・

イランからトルコに入り、国境に近いドーバヤジットへ。ここはクルド人の町。トルコとイラン、イラクの3国にまたがって住むクルド人は国を持たない民族だ。人口は3000万人ほどといわれ、その半数がトルコに住んでいる。

国境周辺でのトルコ軍と独立を求めるクルド人との争いは絶えない。町外れの軍の基地にはおびただしい数の戦車が並べられていたが、砲身はドーバヤジットの町の方に向いていた。

1772_イラン国境に近いクルド人の町、ドーバヤジット▲イラン国境に近いクルド人の町、ドーバヤジット

ドーバヤジットでは「テヘラン・ホテル」に泊まった。レストランでの夕食を食べ終わると、夜の町を歩いた。警察署の前まで来ると、装甲車が道をふさいでいた。怖いもの見たさでその脇を歩いていくと、突然、サーチライトで照らされた。

スピーカーで何か、言われたが、「ここに入ってはいけない!」ぐらいのことを言われたのだろう。こういうときは逃げるが勝ちで、来た道をすばやく引き返した。

 

2000メートル級の峠をいくつも越えていく

翌朝はホテル最上階のレストランでの朝食。すばらしい眺望だ。町並みの向こうには雪をかぶったアララト山(5165m)がよく見えた。アララト山といえば『旧約聖書』の「ノアの箱舟」伝説の山である。

ドーバヤジットからはトルコ中央部のアナトリア高原を横断。2000メートル級の峠をいくつも越えて、相棒のDR-Z400Sを走らせる。

1729_ドーバヤジットからは片側2車線の快走路を行く▲ドーバヤジットからは片側2車線の快走路を行く

エルジンジャンの町からはユーフラテス川の流れに沿って走る。ユーフラテス川は下流のメソポタミアの平原でティグリス川と合流し、ペルシャ湾に流れ出る。全長2800キロの中東第一の大河だ。

1766_エルジンジャンの町のブドウ売り
▲エルジンジャンの町のブドウ売り

1817_ユーフラテス川上流の山岳地帯を行く
▲ユーフラテス川上流の山岳地帯を行く
1827_世界遺産のティブリのモスクで出会ったトルコ人のみなさん
▲世界遺産のティブリのモスクで出会ったトルコ人のみなさん

 
そして奇岩が林立する「世界の奇景」のカッパドキアへ。その中心のギョレメの町で泊まったが、我々の宿は「岩窟ホテル」だった。

1923_奇岩が連なるカッパドキアの風景はまさに「世界の奇景」
▲奇岩が連なるカッパドキアの風景はまさに「世界の奇景」
1904_ギョレメのレストランではトルコピザの「ピデ」を食べる
▲ギョレメのレストランではトルコピザの「ピデ」を食べる

 
イスタンブール到着の前日は、シルクロードの要衝の地サフランボルに泊まった。ここにはキャラバンサライ(隊商宿)が残っているが、我々の宿はそのキャラバンサライだった。

1987_シルクロードの要衝、サフランボルのキャラバンサライに泊まる
▲シルクロードの要衝、サフランボルのキャラバンサライに泊まる

夕食のあとは「金ちゃん」こと伊藤金二さんと最年少参加者の宮本さんと一緒に、ハマムにくり出した。ハマムとはトルコやアラブ圏特有の蒸気風呂。蒸気浴しながら大理石の上でゴロンと横になる。全身の垢すりをやってもらったが、「ヒェー」と声が出るほど痛いけれど、これがすごく気持ちいい。

 

ボスポラス海峡を渡り、ついにイスタンブールへ!

9月6日、我々はマルマラ海の海岸に出た。ウラジオストックで日本海に別れを告げて以来、初めて見る海。そして欧亜を分けるボスポラス海峡をフェリーで渡ってイスタンブールへ。ウラジオストックを出発してから42日目、1万5000キロを走り切ってのイスタンブール到着だ。

簡単に地図を説明すると、黒海から南へ、ボスポラス海峡→マルマラ海→ダーダネルス海峡と、欧亜を分ける海がつづいている。

「コーストtoコースト」はアメリカ人の大好きな言葉で、「太平洋から大西洋へ」、または「大西洋から太平洋へ」のアメリカ横断を意味するが、その距離は5000キロから6000キロぐらいでしかない。ところが「ウラジオストック→イスタンブール」のアジア横断の「コーストtoコースト」は1万5000キロにもなるのだ。

翌日はイスタンブール港のコンテナ埠頭に行く。1日かけて税関の手続きを終え、バイクとサポートカーをコンテナに積み込み、日本に送り出した。

2093_イスタンブール港のコンテナ埠頭に到着したDR-Z400S
▲イスタンブール港のコンテナ埠頭に到着したDR-Z400S
2184_ボスポラス海峡を行き来する渡船は満員の乗客
▲ボスポラス海峡を行き来する渡船は満員の乗客

 

つかの間の休日。「羊の頭」を求めて町を歩く

翌々日はイスタンブールの休日で、町を歩いた。羊の頭を食べようとバザール(市場)を歩いたが、見つけられなかった。羊の頭を出してくれるようなレストランを探したが、やはり見つけられなかった。

しかしついに執念が実り、羊の頭のスープを名物にしている店を発見。草色っぽいスープは脂っこく、濃厚な味わい。中には羊の脳みそがゴッソリと入っている。目のまわりのゼラチンも入っている。

2145_イスタンブールの羊の頭のスープを名物にしている店▲イスタンブールの羊の頭のスープを名物にしている店

 

1万5000キロ走破の旅、最終日

9月9日、いよいよイスタンブールを離れる日がやってきた。9時、伊藤夫妻がユーラシア大陸最西端のロカ岬を目指して出発した。走り出したヤマハのスーパーテネレとセローの2台のバイクに我々は盛大に手を振った。「頑張って~!」、「いい旅を!」、「無事にね~!」…と、声をかけるのだった。

ロイヤルエンフィールドでロンドンを目指す三浦さんは、もう2、3日、イスタンブールに滞在してから出発するという。

2195_ユーラシア大陸最西端のロカ岬を目指す伊藤夫妻▲ユーラシア大陸最西端のロカ岬を目指す伊藤夫妻

昼食を食べると、14時、ボスポラス海峡を目の前にする「アルマダ・ホテル」を出発し、イスタンブール国際空港へ。そしてエミレーツ航空のEK122便に乗り込み、ドバイ経由で日本へ。

ウラジオストックの「赤道ホテル」前で、全員で「目指せ、イスタンブール!」と大声を張り上げて走り出したシーンが、無性になつかしく思い出されてくるのだった。(了)

取材協力 (株)道祖神 参加者の皆様

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賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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