【賀曽利隆 コラム】ウラジオストック→イスタンブール 1万5000キロ(6)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:ウラジオストック→イスタンブール 1万5000キロ(5)

1462_A1(アジアハイウエイ1号)でボジュヌールドを目指す

平原の国境を越えてイランへ

8月28日、アシュハバートを出発。南方に連なる山脈の峠を越えてイランに入る予定だったが、山崩れで国境への道は閉鎖。急きょ、平原の国境を越えてイランに入った。道標はペルシャ語に変わった。

我が相棒のスズキDR-Z400Sを走らせ、国境に近いダルガスの町に到着。町中の食堂で昼食にする。イランに入って最初の食事は「チェローカバブー」。

羊肉を串焼きにしたカバブーに長粒米の白飯がついている。チェローはこの白飯のこと。生タマネギを添えたナンもついている。食後にはチャイ(紅茶)を飲む。角砂糖を口に含んで飲むのがイラン流だ。

1442_トルクメニスタン国境近くのダルカスの町に到着
▲トルクメニスタン国境近くのダルカスの町に到着
1449_ダルカスの町中の食堂で食べた「チェローカバブー」
▲ダルカスの町中の食堂で食べた「チェローカバブー」

1452_山脈の向こうはトルクメニスタンになる。山裾には水田が広がる▲山脈の向こうはトルクメニスタンになる。山裾には水田が広がる

ウラジオストックから1万1135キロ。初めてのトンネルを走り抜ける

ダルガスを出発し、2000m級の峠を越えていく。ペルシャ語で「峠」は「ギャルダネ」。シルバンからA1(アジアハイウエイ1号)でボジュヌールドへ。

1462_A1(アジアハイウエイ1号)でボジュヌールドを目指す▲A1(アジアハイウエイ1号)でボジュヌールドを目指す

その間では峠を貫くトンネルを抜けた。それは驚きというか、感動の瞬間だった。ウラジオストックから1万1135キロを走って初めてのトンネルだったからだ。トンネルを走り抜けるとボジュヌールドの町明かりが見えてきた。

ボジュヌールドの「ネギン・ホテル」に泊まった。翌朝は夜明けとともに町を歩く。公園は無数のテントで埋めつくされていた。ちょうど巡礼の季節で、イスラム教シーア派の聖地メシェッドに行く大勢の人たちのテント。家族連れを多く見かけた。

朝一番で早いのは町のナン屋。ナンづくりを見せてもらった。店を出るときは、主人に焼き立てのナンを1枚もらった。それを食べながら、ボジュヌールドの町をさらに歩くのだった。

1489_朝一番で早いボジュヌールドの町のナン屋▲朝一番で早いボジュヌールドの町のナン屋

ボジュヌールドを出発すると、広々とした大豆畑が広がっている。南側にはエルブルーズ山脈の山々が連なっている。一番奥の4000メートル級の山々は雪山だ。

1550_カスピ海南岸の町々を通り過ぎていく▲カスピ海南岸の町々を通り過ぎていく

サーリーではA1沿いの「サラールダレ・ホテル」に泊まった。カスピ海のすぐ南に位置する町なのだが、まだカスピ海は見えない。ここはカスピ海南岸一帯の中心地で、遠い昔はササーン朝ペルシャ(224年~651年)の中心都市として繁栄した。

カスピ海でカソリが泳ぐ!濃い緑が生い茂る気候

サーリーを過ぎたバーボルで、イランの首都テヘランへの道が南へと分岐する。エルブルーズ山脈の最高峰ダマバンド山(5671m)のすぐ近くを通るルート。我々は反対方向の北へ、カスピ海の湖岸へと向かう。

世界最大の湖、カスピ海が見えてきた。カスピ海の面積は3万7400平方キロで九州よりも大きい。生あたたかい風が吹き、空気は湿り気を帯びている。山々もびっしりと緑で覆われている。
1560_カスピ海の湖岸ではヒマワリの花が咲いていた▲カスピ海の湖岸ではヒマワリの花が咲いていた

緑の濃い湖岸の一帯は、イランでも一番の穀倉地帯。そのためイランでも一番の人口密集地帯になっている。湖岸の町々を走り抜け、アンザリで「カドゥーサン・ホテル」に泊まった。湖岸のホテル。さっそくカスピ海で泳いだ。

若干の苦みを含んだ塩水。砂浜は家族連れでにぎわっている。バイクや4輪バギーが砂浜を走っている。能登半島の「千里浜なぎさドライブウェイ」を思い出させるような光景だ。

1563_夕暮れのカスピ海。砂浜を走る家族連れの乗ったバイク▲夕暮れのカスピ海。砂浜を走る家族連れの乗ったバイク

夕食は町中のレストランで。ナンにカスピ海産のチョーザメと焼きトマトをのせて食べる。それとチョーザメの唐揚げがのったライスというメニュー。

1581_夕食のカスピ海産のチョーザメ&焼きトマトのナン▲夕食のカスピ海産のチョーザメ&焼きトマトのナン

ここではメンバーの一人がアルコールを頼んだ。イランはアルコールの飲めない国。ノンアルコールのビールはあるが、まずくて飲めたものではない。

コッソリと出てきたのはスプライトの瓶に入った無色透明の蒸留酒。おそらく40度以上の度数であろう。ちょっと飲ませてもらったが、まあまあの味。料金はUSドルで20ドルだった。

シルクロード要衝の地、タブリーズへ

カスピ海を離れると、トルコ国境に近いタブリーズへ。ここはイラン第4の都市。古来よりシルクロードの要衝の地として栄えてきた。

1598_A1でタブリーズへ。峠のトンネルを走り抜ける▲A1でタブリーズへ。峠のトンネルを走り抜ける

町の起源はササーン朝ペルシャの時代までさかのぼるが、一番、栄えたのは13世紀の頃。モンゴル軍の占領後、イル汗国の首都として繁栄を謳歌した。この町のシンボル、アルゲ・タブリーズはイル汗国の時代につくられた巨大な城塞だ。

タブリーズでは大バザール(市場)を歩いた。野菜売場や果物売場が並び、様々な日用雑貨を売る店が並ぶ。金細工、銀細工、銅細工などの工芸品や宝石類、ペルシャ絨毯を売る一角もある。さすがシルクロードの要衝の地だけあってバザールの規模は大きく、品ぞろえも豊富だ。

1623_タブリーズの中心街。黄色い車はタクシーだ▲タブリーズの中心街。黄色い車はタクシーだ

タブリーズから280キロ走ると、国境の町バザルガンに到着。シルクロードもここまでがA1(アジア・ハイウェイ1号)、国境を越えてトルコに入るとE80(ヨーロッバ・ハイウェイ80号)になる。ヨーロッパがぐっと近づいた。

1667_トルコ国境に近いバザルガンの町に到着。ここまでがA1だ▲トルコ国境に近いバザルガンの町に到着。ここまでがA1だ

取材協力 (株)道祖神 参加者の皆様

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賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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