【賀曽利隆 コラム】ウラジオストック→イスタンブール 1万5000キロ(5)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:ウラジオストック→イスタンブール 1万5000キロ(4)

昇ったばかりの朝日を浴びてトルクメニスタン国境へと向かう

シルクロードのシンボル「天山山脈」の夜明け

カザフスタン最大の都市アルマトイでは、高層ホテルの「アルマトイ」に泊まった。翌朝は夜明けとともに起き、6階の部屋のベランダから天山山脈を眺めた。高峰群は雪山。同室のBMW1200GSに乗る「スーさん」こと鈴木幹さんの入れてくれたコーヒーを飲みながら天山山脈の雪山を見つづけた。それはまさに至福の時だった。

夜明けのアルマトイ。天山山脈の雪山群を見る▲夜明けのアルマトイ。天山山脈の雪山群を見る

天山山脈はシルクロードのシンボル。その北側を天山北路、南側を天山南路が通っている。アルマトイを通っているのは天山北路だ。天山山脈のカザフスタンとキルギス、中国の3国国境に聳えるハン・テングリ山(7010m)がカザフスタンの最高峰、そのすぐ南にそびえるキルギスと中国の国境にそびえるポペーダ山(7439m)が天山山脈の最高峰になる。

子供のころからの夢。シルクロードを走る

8月19日、アルマトイを出発。イスタンブールを目指してシルクロードを西へ。
シルクロードはぼくの子供のころからの夢だった。10歳で初めてカブに乗ったころ、「大人になったら中央アジアの探検家になるんだ!」と本気で中央アジアには憧れた。中央アジア探検記を読みふけったりもした。中央アジアの中心にはいつもシルクロードがあった。

カザフスタンからキルギスに入り、首都ビシュケクのホテル「アジア マウンテンス2」に泊った。ビシュケクから見る天山山脈の雪はまぶしいほどに白く輝いていた。

キルギスの首都ビシュケクのホテル「アジア マウンテンス2」に到着▲キルギスの首都ビシュケクのホテル「アジア マウンテンス2」に到着
ビシュケクから見る天山山脈。青空を背にした雪の白さがまぶしい▲ビシュケクから見る天山山脈。青空を背にした雪の白さがまぶしい

ビシュケクから西へ、西へとDR-Z400Sを走らせる。
ビシュケクから反対に東に行けば、キルギス・中国国境のトルガルト峠を越えて中国西端の町カシュガルに通じている。2006年の「シルクロード横断」(天津→イスタンブール)では、カシュガルからトルガルト峠を越えてビシュケクにやってきた。そんな峠越えのシーンがなつかしく思い出されてくるのだった。

2006年のシルクロード横断で走ったカシュガルからトルガルト峠への道▲2006年のシルクロード横断で走ったカシュガルからトルガルト峠への道

キルギスから再度カザフスタンに入り、シルクロードの要衝の地、タラスで泊まった。2000年以上もの歴史を誇るタラスだが、8世紀の半ばには唐軍とアラブ軍が戦った。ここは東西文明の激突の地。タラスからさらに天山山脈の山裾を走る。西に行くにつれて天山山脈の山並みは低くなり、やがて視界から消えた。

カザフスタン第3の都市シムケントから、中央アジア第3国目のウズベキスタンに入り、首都のタシケントで泊まった。タシケントは中央アジア最大の都市。夜明けには起き、町を1時間ほど歩いた。これは毎日の日課。カザフスタン、キルギスではトヨタ車が圧倒的に多かったが、ウズベキスタンではシボレーなどのGM車が目立った。

ウズベキスタンのシルクロード沿いでアンズジュースを売る少女▲ウズベキスタンのシルクロード沿いでアンズジュースを売る少女

「青の都」サマルカンド。世界遺産と旧市街地を巡る

タシケントから340キロ走り、「青の都」の異名を持つシルクロードの拠点、サマルカンドに到着。ウラジオストックから9684キロ。我々の「アジア大陸横断」のハイライトといっていいこの町には連泊した。

シルクロードの要衝の地サマルカンド。ここは町の中心のレギスタン広場▲シルクロードの要衝の地サマルカンド。ここは町の中心のレギスタン広場

サマルカンドはシルクロードの中心都市として2000年以上、栄えてきた。ここでは町の中心のレギスタン広場を歩き、チムール帝国の霊廟のグリ・アミール廟を見る。それらの世界遺産以上に心に残ったのは、旧市街地の町歩きだ。

迷路のような小道をひたすら歩き、多くの人たちに出会った。大バザール(市場)も歩いた。ここでは米売場が目につく。日本のように5キロとか10キロのパックされたものではなく、豪快な計り売り。果物売場ではザクロが山積みにされている。スイカやメロンの売場もある。野菜売場では香菜とウイキョウが目立った。

サマルカンドの旧市街を歩く。何でもある食料品では若い母親と片言語で話す▲サマルカンドの旧市街を歩く。何でもある食料品では若い母親と片言語で話す

サマルカンドからはシルクロードの聖地ブハラを通り、中央アジア最後の国のトルクメニスタンに入った。そこでウラジオストックからの走行距離は1万キロを超えた。

シルクロードの聖地ブハラを出発。ここの旧市街は世界遺産▲シルクロードの聖地ブハラを出発。ここの旧市街は世界遺産
昇ったばかりの朝日を浴びてトルクメニスタン国境へと向かう▲昇ったばかりの朝日を浴びてトルクメニスタン国境へと向かう

トルクメニスタンのシルクロード沿いのスイカ&メロン売り。メロンが超甘い▲トルクメニスタンのシルクロード沿いのスイカ&メロン売り。メロンが超甘い

シルクロードは「麺ロード」。歴史的都市で、歴史的麺を食らう。

シルクロードのオアシス都市マリーを通り、首都のアシュハバートに到着。我々は丘の上に建つ「ミザンホテル」に泊まったが、それはまるで近未来の巨大モニュメントを思わせるような建物だ。

トルクメニスタンの首都アシュハバートで泊まった「ミザンホテル」▲トルクメニスタンの首都アシュハバートで泊まった「ミザンホテル」

町の中心には1948年10月6日に起きた大地震のモニュメントが建っている。この大地震でアシュハバートは壊滅的な打撃を受け、14万人もの死者を出した。今の町はそのあとに再建されたもので、古い建物や旧市街は一切、残っていない。

アシュハバートには連泊したので、昼食は町中のレストランで。中央アジアの名物料理「ラグマン」を食べた。トマトベースのスープには手打ちの麺が入っている。コシの強い麺。野菜類の具がゴソッと入っている。その上には香辛料のウイキョウがのっている。

中国・華北が発祥地の麺は、シルクロードを経由して西へ、西へと伝わった。シルクロードは「麺ロード」でもあるのだ。アシュハバードの「ラグマン」は、そんな「麺ロード」のシルクロードで食べる最後の麺になった。

アシュバートの食堂で食べた「ラグマン」。中央アジアの名物料理だ▲アシュバートの食堂で食べた「ラグマン」。中央アジアの名物料理だ

取材協力 (株)道祖神 参加者の皆様

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賀曽利隆

賀曽利隆 冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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