【賀曽利隆 コラム】ウラジオストック→イスタンブール 1万5000キロ(3)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

前回:ウラジオストック→イスタンブール 1万5000キロ(2)

おー、バイカルよ!

8月8日、ウランウデを出発。M55(国道55号)でイルクーツクへ。
ウランウデから160キロほど走ると、右手にはバイカル湖が見えてきた。快晴の空を映してバイカル湖の湖面はより青い。

「おー、バイカルよ!」

DR-Z400Sに乗りながら、思わず感動の声を上げてしまう。

20161003_kasori_u-i3_01▲ウランウデからイルクーツクへ。M55(国道55号)を行く

20161003_kasori_u-i3_02▲シベリア横断ルート沿いのガソリンスタンド

M55を右に折れ、シベリア鉄道のガード下をかいくぐってバイカル湖の湖畔でバイクを止めた。
バイカル湖は見渡す限りの水平線。小波が湖岸に押し寄せている。ウエアを脱ぎ捨ててバイカル湖に飛び込む。
バイカル湖での湖水浴だ。バイカル湖の水は、思ったほど冷たくはなかった。全身でバイカル湖を感じ、シベリアを感じ取るのだった。

バイカル湖の面積は3万1500平方キロで世界第8位だが、深さは1742メートルで世界最深。この湖ひとつだけで、とてつもない水量の真水を貯め込んでいるのだ。「バイカル」はトルコ語で「魚の豊富な湖」の意味。周辺の国道沿いでは、バイカル湖で獲れた魚の燻製を売っていた。

20161003_kasori_u-i3_03▲バイカル湖の湖岸に立つ!

シベリアのパリ、イルクーツク

200キロ近くもバイカル湖を右手に見ながら走った。バイカル湖の南端を通り過ぎると山地に入り、ゆるやかな峠を越え、ウラジオストックから4669キロを走って東シベリアの中心都市イルクーツクに到着した。

イルクーツクは井上靖の名著『おろしや国酔夢譚』の一舞台。18世紀末、大黒屋光太夫はこの地に滞在した。中国や満州、朝鮮との交易が盛んで、町はおおいに栄えていたという。

トラム(市電)の走るヨーロッパ風の古い町並みは印象的。「シベリアのパリ」といわれるイルクーツク、レストランの夕食ではボルドーの赤ワインを飲んだ。

20161003_kasori_u-i3_04▲東シベリアの中心都市イルクーツク。ここは「シベリアのパリ」

西シベリアの中心都市ノボシビルスクへ

イルクーツクからはM53(国道53号)でクラスノヤルスクを通り、西シベリアの中心都市ノボシビルスクに向かう。イルクーツク近郊の渋滞区間を抜け出ると快走路。大草原がはてしなく広がる。小休止でバイクを止めると、草原に立って思いっきり「万歳!」をした。

20161003_kasori_u-i3_05▲シベリアの大草原でカソリ、「万歳!」

昼食は街道沿いの「カフェ」で。カフェといってもコーヒーや紅茶を飲むだけでなく、食事もできる。2階が宿というカフェもある。カフェは「シベリア横断」のオアシスだ。ここでは「マカロニ&ケバブ」を食べたが、ケバブというのは串焼きにした羊肉。西アジアのカバブのこと。

20161003_kasori_u-i3_06▲カフェで昼食の「マカロニ&ケバブ」を食べる

シベリアを西へ、西へと走るにつれて西アジアが近くなってくる。
昼食後は猛烈な睡魔に襲われる。そこでM53沿いのバス停で小休止。5分、10分のわずかな眠りが最高に気持ちいい。夢から覚めると世界がキラキラ光り輝いて見える。

20161003_kasori_u-i3_07▲M53(国道53号)沿いのバス停で小休止

ツーリングライダーとの出会い

シベリア横断路を走っていると、何度となくツーリングライダーに出会う。「モスクワ~ウラジオストック間」を走るロシア人ライダーは多い。

M53沿いのPAで出会ったBMWのライダーはイギリス人。シベリア横断の途中、モンゴルに寄ってウラジオストックを目指すという。ウラジオストックで出会ったベルギー人ライダーは、ベルギーを出発してから35日目にウラジオストックに到着した。
ハバロフスクで出会ったスペイン人ライダーは20日間でスペインまで走り切るといっていた。韓国の東海港では7人の韓国人ライダーが乗り込んだが、そのうちの一人はシベリアを横断したあと、ヨーロッパからアメリカに渡り、アラスカを目指すといっていた。

20161003_kasori_u-i3_08▲シベリア横断のイギリス人ライダーのBMW

桁外れの大きさ、世界の大河

「シベリア横断」は世界の「大河紀行」でもある。ハバロフスクではアムール川(全長4416キロ)に出会ったが、クラスノヤルスクではエニセイ川(5550キロ)を見る。
河畔の道を歩いたあとはモーターボートで世界の大河をクルージング。一人で1時間近く乗って700ルーブル(約1000円)だった。西シベリアのノボシビルスクではエニセイ川よりも長いオビ川(5568キロ)を見る。

クラスノヤルスクにしてもノボシビルスクにしても北極海の河口からは4000キロ近く離れているのに、滔々と流れるエニセイ川やオビ川の川幅は1キロ以上はある。日本の川とは比較にならない桁外れの大きさ。地球の大きさを目の当たりにする。

20161003_kasori_u-i3_09▲クラスノヤルスクを流れる世界の大河、エニセイ川

欧亜を分ける石碑

ウラジオストックから6562キロのノボシビルスクで我々は進路を南に変え、カザフスタンに向かったが、シベリア横断ルートはそのまま西へ。

20161003_kasori_u-i3_10▲M53でノボシビルスクへ

ノボシビルスクからはM51(国道51号)となって欧亜を分けるウラル山脈を越え、モスクワに通じている。
ウラル山脈の峠には分水嶺の大きな石碑が建っている。西に向かっては「ヨーロッパ」、東に向かっては「アジア」とロシア語で書かれ、その側面には欧亜を分ける赤い線が引かれている。

それはまさに「大陸境」だ。

20161003_kasori_u-i3_11▲西シベリアの中心都市ノボシビルスクに到着!

20161003_kasori_u-i3_12▲ノボシビルスクを流れる世界の大河、オビ川

取材協力 (株)道祖神 参加者の皆様

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賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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