【賀曽利隆 コラム】賀曽利隆のバイク旅(10)「日本一周」

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

》賀曽利隆のバイク旅(9)「林道日本一周 78日間2万8208キロ」

「アフリカ大陸一周」「世界一周」「六大陸周遊」…海外に飛び出した20代

ぼくが初めて海外に飛び出していったのは20歳の時のことで、スズキの250㏄バイク、TC250を走らせての「アフリカ大陸一周」(1968年~69年)だった。それにつづいて「世界一周」(1971年~72年)、「六大陸周遊」(1973年~74年)と世界を駆けめぐった。

20代の大半を費やして世界をまわったのだが、その反動とでもいおうか、「六大陸周遊」から帰国したあとは無性に日本をまわりたくなった。
さんざん考えた末に、日本をテーマで見ていこうと思い立ち、すでにふれたように「峠」と「温泉」を我が2大テーマにした。
それともうひとつの大きなテーマが「日本一周」だった。「峠越え」と「温泉めぐり」はすぐに始められたが、日数が長くなるし、それなりの費用もかかる「日本一周」は、すぐに出発するという訳にはいかなかった。

「日本一周 1万8981キロ」…日本中の岬をまわった30代

20160914_kasori01▲「30代編・日本一周」。スズキの本社を表敬訪問。このあとおいしい浜松のウナギをご馳走になった

ぼくの長年の夢だった「日本一周」に旅立ったのは、30代になってからのこと。
東京の日本橋を出発したのは1978年8月28日だった。スズキのハスラー50(空冷)で64日間をかけ、日本の47都道府県のすべての都道府県庁所在地を通過し、日本本土の最東西南北端の岬には必ず立つようなコースで1万8981キロを走った。

20160914_kasori04▲四国本土最東端の蒲生田岬

20160914_kasori06▲沖縄本島最北端の辺土岬

20160914_kasori09▲日本本土最東端の納沙布岬

なぜ50㏄バイクにしたかというと3つの理由があった。
一番大きな理由は30キロの速度制限。この30キロという速度が、日本を見てまわるのにはちょうどいいと思ったのだ。
2番目の理由は冒険の精神とでもいおうか、50㏄でのロングツーリングにチャレンジしてみようという気持ちが強くあった。ぼくにとっては初めての50㏄バイクでのロングツーリング。結果的にはそれがじつにおもしろかったのだ。
そして3つ目の理由というのは50㏄バイクの持つ経済性だ。このときの「日本一周」の全費用は10万円。とにかく金のなかったカソリ、それでも「日本一周」に出たかった。
妻を説得し、家の中にある現金を全部かき集めて10万円を確保した。全泊野宿で、自炊を基本にしたが、10万円で2万キロ近くを走れたのは50㏄バイクのおかげだ。

「日本一周」を走り終えたあとは、すぐさま心に決めた。「これからは定期的に日本一周をしよう!」と。それほど「日本一周」はおもしろかったのだ。
この1978年の最初の「日本一周」を「30代編・日本一周」とした。

「ロサンゼルス~ニューヨーク~ロンドン~イスタンブール~カルカッタ」…世界をまわった40代

20160914_kasori02▲「40代編・日本一周」。「日本一周」したハスラー50をロサンゼルスに送り、ひきつづき「世界一周」を走る。ボスポラス海峡を渡り、ヨーロッパからアジアに入った

次の「40代編・日本一周」は1989年8月17日から11月16日までの92日間で、同じくスズキのハスラー50(水冷)で1万8984キロを走った。
このハスラー50では、翌年の1990年7月14日から11月25日までの128日間で、「ロサンゼルス~ニューヨーク~ロンドン~イスタンブール~カルカッタ」の「世界一周」2万4791キロを走った。

「日本一周 3万8571キロ」…奇跡を体感した50代

20160914_kasori03▲「50代編・日本一周」。3万8571キロを走ってゴールの東京・日本橋に到着

「50代編・日本一周」は1999年4月1日から1999年10月29日までの間の122日間。スズキのDJEBEL250GPSで「西日本編」と「東日本編」の2分割でまわり、3万8571キロを走った。
このときの「西日本編」と「東日本編」の間では、中国製バイクで「チベット横断」を走った。その途中で事故を起こし、30メートルほど吹っ飛ばされ、奇跡の生還をとげた。「強運カソリ」なのである。

「日本巡礼」「奥の細道紀行」「北海道遺産巡り」…痛みに耐えた60代

20160914_kasori05▲門司港駅前を出発点にして九州を一周する

「60代編・日本一周」は2008年10月1日から12月27日までの80日間で、スズキのアドレスV125Gで1万9961キロを走った。
すさまじかったのは厳冬の「北海道一周」。猛烈な地吹雪の中を走り、道路上では転倒しなかったものの、オホーツクの道の駅「さるふつ公園」内のぶ厚い氷で滑って痛恨の転倒。胸を強く打ち、しばらくは息ができなかった。
そのあとも「日本一周」を終えるまで、胸の痛みに泣かされつづけた。それでも病院には行かないカソリ…。

20160914_kasori10▲オホーツクの国道238号を北上

「60代編・日本一周」の翌年は第2部として「日本巡礼」、「奥の細道紀行」、「北海道遺産めぐり」を走った。第2部は合計すると3万1609キロになった。

20160914_kasori07▲本州最東端のトドヶ崎への山道を歩く

こうして「30代編」、「40代編」、「50代編」、「60代編」の「年代編・日本一周」をくり返してきたが、それとは別に、すでにふれたように「島めぐり日本一周」(2001年3月22日~2002年4月22日)、「温泉めぐり日本一周」(2006年11月1日~2007年10月31日)、「林道日本一周」(2010年5月12日~2010年9月10日)の「テーマ編・日本一周」をくり返している。

20160914_kasori08▲陸中海岸の名勝、浄土ヶ浜

カソリは止まらない。止まれない。カソリに続け!

さ~、次は「70代編・日本一周」だ。出発までにはまだ2年近くあるが、今からものすごく楽しみだ。
「日本一周」をしていると、多くのライダーのみなさんから、「私もいつかは日本一周をしてみたい!」という話を聞くが、我らライダーにとって「日本一周」は誰もが胸に抱く大きな憧れ。それほど魅力のある「日本一周」なのだ。

さ~、みなさんもいつの日か「日本一周」に旅立とう~!

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賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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