【賀曽利隆 コラム】賀曽利隆のバイク旅(8)「広州→上海2200キロ」

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

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2009年は「チベット横断」から日本へ戻り、「奥の細道」「北海道一周」を巡る

2009年の「チベット横断」から帰国すると、すぐにスズキの250㏄バイク、ST250を走らせて「奥の細道紀行」に出発した。東京から大垣まで、約1ヵ月をかけて8600キロを走り、東北、北陸を巡る芭蕉の足跡をたどった。バイクを走らせての、芭蕉の世界にひたる毎日にはたまらないものがあった。

そのあとはDR-Z400Sでの「北海道一周」。全行程4070キロの「北海道一周」は函館を出発点にして函館を終着点にするコース。その間では全部で52件の「北海道遺産」をめぐった。

すさまじい大気汚染の広州を出発!世界最大のメガロポリス上海を目指す

そして12月1日には「広州→上海2200キロ」に出発した。相棒はスズキの125㏄スクーターのアドレスV125G。

翌12月2日、広州に到着。人口1500万の広州上空はすさまじいばかりの大気汚染で、息をするのも苦しいほど。世界第2の工業生産地帯、珠江(しゅこう)デルタの中心都市だけあって、町は車の洪水。いたるところで大渋滞している。そんな広州を出発したのだった。

20160830_kasori01▲アドレスを走らせての「広州→上海2200キロ」

アドレスを走らせて上海を目指したが、驚いたことに国道324号沿には途切れることなく市街地がつづく。ちなみに国道324号は福建省の福州から広東省の広州を経由し、雲南省の昆明に至る全長2600キロの国道。

福建省に入るとわずかに田園風景を見たが、すぐに厦門(アモイ)へとつづく市街地に入っていく。さらにそれが泉州から省都の福州へとつづくのだ。
広州から福州までは1220キロ。福州からは国道104号→国道320号で上海まで行ったのだが、その間もほぼ同様で、なんと「広州→上海」の2200キロ間がメガロポリスになっている。「ボストン→ワシントン」、「東京→大阪」などを上回る世界最大のメガロポリスといっていい。

20160830_kasori02▲広東省から福建省に入る

20160830_kasori03▲中国の国宝の石橋「洛陽橋」をアドレスで渡る

20160830_kasori04▲中国の屋台を食べ歩く

霞浦(かほ)の町で、新たな旅への思い

人口1600万の上海は世界一の工業生産地帯、長江デルタの中心都市。広州からつづいた大気汚染も途切れることはなく、ついに中国では抜けるような青空を一度として見ることはなかった。民族の存亡にもかかわるようなすさまじい大気汚染なのだが、それをあまり気にも留めない中国人に驚きを感じた。

福建省でひとつうれしかったのは、空海の中国上陸地点である霞浦に行けたことだ。郊外の赤岸という村には、「空海大師記念堂」が建っている。

20160830_kasori06▲赤岸の「空海大師記念堂」

それにしても空海は強運な人間だ。804年の第17次遣唐使船に乗ったのだが、4隻のうち2隻は嵐で沈没。空海の乗った船は沈没をまのがれ、この地に漂着。空海は上陸の許可が下りるまでの40日間、霞浦に滞在した。
なお、そのときの4隻のうち1隻だけは予定通り、寧波(ねいは)港に到着した。その船には最澄(さいちょう)が乗っていた。

20160830_kasori05▲空海も滞在した霞浦の町

アドレスでは4月から5月にかけて空海ゆかりの「四国八十八ヵ所めぐり」をしたので、自分の頭の中では今回の霞浦を訪れたことで、四国と中国がつながった気分。次の機会にはぜひとも霞浦→福州→長安(西安)と空海の足跡をたどろうと思った。

絶対絶命のピンチ!雨でスピンしたトラックが目の前に!

20160830_kasori07▲福建省から浙江省に入る

福建省から浙江省(せっこうしょう)に入り、楽清(がくせい)という町でひと晩、泊まった。

その翌日(12月10日)のことだ。

朝から雨が降っていた。50キロほど走ったところでゆるやかな峠を越えた。時速60キロぐらいで2車線の峠道を上り、ブラインドになった左コーナーにさしかかった時のことだ。

すると、何と雨で滑りスピンしたトラックが、自分の目の前に飛び込んできたではないか。カソリ絶対絶命のピンチ。「あ、やったー!」。その瞬間、次々に頭の中から指令が飛んでくる。「目をつぶるな」、「ここでは死ぬな」、「どうすれば助かるか考えろ」。
トラックが自分の目の前で横向きになって止まったのと、アドレスでトラックに突っ込むのとはほぼ同時だった。

衝突の瞬間、ぼくは一瞬たりとも目を閉じることなく、目をカーッと見開いたままトラックに突っ込んでいった。そのときどうすれば助かるか、それだけを考えていた。トラックの中央部には人間が滑り込めるスペースがある。そこに賭けたのだ。転倒し、右手、右膝で受身をとりながら、ものすごい勢いで滑り込んだ。その結果、思惑通り、そのスペースにすっぽり入り込むことができた。

20160830_kasori08▲ここが楽清の事故現場

トラックを降りてきた運転手はぼくの姿が見えないので、顔が青ざめるくらいの恐怖心を感じたという。さらにそのあとトラックの下から這い出してきたのでさらに恐怖心は増し、膝がガタガタ震えたという。

それにしてもラッキーだった。トラックが止まるのと、それに衝突するのはほぼ同時だったが、ほんの1秒、2秒という、わずかな時間差があった。トラックの方が先に止まったのだ。この「1秒、2秒」でいろいろなことが見えるし、いろいろなことが考えられるし、いろいろなことが実行できるのだ。そのおかげで助かった。

それともうひとつラッキーだったのは、トラックの側面には日本のような巻き込み防止のバーがついていないことだった。百戦練磨のカソリ、全身を強打したのにもかかわらず、右手で防御し、頭だけは打たなかった。

事故現場での「生きている」実感と、新たな計画

すさまじい痛みの中で道路上に立ち尽くし、警察が来るのを待った。その間にいろいろなことを考えた。12月10日が自分の命日になってもおかしくないような状況だったが、こうして生き延びられたことに感謝した。「生きている!」という実感。
だが、すぐに考え直した。「いや、生きているんではない。生かされているんだ」。
ぼくはこのとき悟りの境地に入ったかのような心境になった。何か、目に見えない大きな力によって守られ、「お前はまだ生きていろ!」と言われたような気がした。「そうか、自分にはまだまだやりたいことがいっぱいある。よし、次は中国一周だな」と、事故現場で「中国一周計画」をブチ上げるのだった。

中国警察の動きは速かった。10分もしないうちに2台のパトカーがやってきて、事故現場を調べ、すぐに楽清の市民病院へ。右手、右膝をやられたが、骨には異常ナシ。右膝を2針縫う程度で済んだ。
次に警察署で事故調書がとられた。トラックの運転手が「すべては自分の責任です」と最初から言っているので、ここでもまったく問題ナシ。まるで警官が裁判官でもあるかのように、運転手には賠償金として5000元(約75000円)を払うようにと命令した。
調書に右手の人差し指で捺印すると、運転手は「私には子供が4人いまして…」と泣きついてくる。一人っ子政策の中国で、何で4人も子供がいるの?と言いたかったが、まあ、仕方ない。病院代の2000元を運転手が払うということで和解した。

腫れあがった右手でハンドルを握り、ついに上海へ

それにしてもアドレスは強かった。驚異の強さといっていい。事故で前部はダメージを受けたものの、エンジンのある後部はまったくの無傷。エンジンも問題なくかかった。

そんなアドレスに乗り、グローブのように腫れあがった右手でハンドルを握り、天台、紹興、杭州(こうしゅう)と通り、翌12月11日14時45分、上海に到着した。広州から2252キロだった。

20160830_kasori09▲広州から2252キロを走って上海に到着!

20160830_kasori10▲上海の中心街に入っていく

賀曽利隆のバイク旅(9)に続く

賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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