【賀曽利隆 コラム】賀曽利隆のバイク旅(1) 「峠めぐり」

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

「峠記念日」から振り返る、カソリのバイク旅

ぼくがバイクでの峠越えを始めたのは1975年3月28日のことである。3月28日というのは我が「峠記念日」で、この日、西武池袋線の飯能駅前を出発点にして奥武蔵の峠を越えたのだ。

「これからは日本中の峠を越えてやる!」

と、27歳のカソリは気分を高揚させて走り出した。バイクは日本人ライダー初のサハラ砂漠縦断を成しとげたスズキ・ハスラーTS250だった。

刈場坂峠▲刈場坂峠(埼玉)。我が「峠記念日」の1975年3月28日に越えた峠。バイクは「サハラ砂漠縦断」を成功させたスズキ・ハスラーTS250

3度の世界旅から至った、日本への憧れ

ぼくが初めてバイクで海外に飛び出していったのは1968年。20歳の時のことだった。2年あまりをかけてアフリカ大陸を一周した。「アフリカ大陸一周」につづいて「世界一周」、「六大陸周遊」と、20代の大半をかけて世界を駆けめぐった。

3度目の世界の旅から帰ったときは27歳になっていた。
その時は胸にポッカリと穴があいてしまったかのようで、世界を駆けまわってしまったという虚脱感に襲われた。その反動とでも言おうか、今度は無性に日本をまわってみたくなったのだ。

「日本を走りまわりたい、日本を見てみたい、日本という国を知りたい!」

と、日本への憧れは胸を焼き焦がすほどのものだった。

「峠越え」の原点と24年の歴史

さて、どのようにして日本をまわろうかと考えたとき、ハスラーでの「サハラ砂漠縦断」の訓練走行で越えた本州中央部の峠の数々が思い出された。日本は「峠大国」。世界中をまわっても、日本以上に峠の多い国はない。

「よーし、峠だ、日本中の峠をバイクで越えてやろう。峠を越えながら、日本という国を見てみよう」

と、そんな熱い気持ちで「奥武蔵の峠越え」をスタートさせた。世界から日本へと視線を変えたことによってカソリは復活した。

神坂峠▲神坂峠(長野・岐阜)。中山道以前の東山道の峠。今では植林が進んで風景はすっかり変わり、道も舗装路になっているが、1975年当時は全線ダートの峠道だった

田代山峠▲田代山峠(栃木・福島)。雪の田代山峠を越える。峠を越えた奥会津側は雪が深くなったが、必死の思いで下り、峠下の水引の集落に着いたときは歓喜の声を上げた

十部一峠▲十部一峠(山形)。猛吹雪の峠道を登り、ついに峠に到達。峠からは北へと下り、肘折温泉の灯が見えてきたときは、「助かった!」の声が出た

一連の「峠越え」は『月刊オートバイ誌』で連載させてもらった。その連載は1975年6月号から始まり、1998年の6月号で終わった。足かけ24年間で、合計188回もつづいた。まさに我が人生を賭けた「峠越え」なのである。

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今、もう一度「奥武蔵の峠越え」へ

昨年(2015年)の新年早々、「奥武蔵の峠越え」を走った。我が愛車のDR-Z400Sで西武池袋線の飯能駅前に立った時は、胸がいっぱいになってしまった。

西武池袋線の飯能駅前を出発▲西武池袋線の飯能駅前を出発

40年前と同じように、飯能駅前を出発し、秩父に通じる国道299号を行く。最初の峠は高麗峠。「飯能斎場」の前が峠だ。ほとんどの人が峠だとは気がつかないで走り過ぎてしまうような峠なのだが、この高麗峠が我が「峠越え」の記念すべき第1番目の峠になる。

それだけではない。高麗峠はきわめて重要な文化的な境で、峠を越えると高麗郷に入り、名栗川から高麗川へと川の流れが変わる。高麗川の流域は朝鮮半島の高句麗とゆかりの深い「高麗」の世界なのだ。峠を越えると文化圏が変わる、それを見ることができるのが「峠越え」の大きな魅力になっている。

高麗峠を下るとすぐに市境を越える。飯能市から日高市に入り、初詣でにぎわう国道沿いの瀧不動尊をお参りする。

つづいて高麗神社に寄り道をする。ここはまさに高麗の中心的な存在で、大勢の初詣客が押しかけていた。高麗神社の祭神は高麗王若光。668年に唐・新羅によって滅ぼされた高句麗からの亡命者たちがこの地に住み着いた。祭神の若光は高句麗の皇太子。じつに興味をそそられる「高麗」ではないか。

時代とともに移り変わる「峠」の魅力

国道299号に戻ると吾野を通り、2番目の正丸峠へ。まずは峠を貫く全長1918メートルの正丸トンネルを往復する。40年前にはなかった峠のトンネルだ。

正丸峠の正丸トンネル▲正丸峠の正丸トンネル

次にトンネル入口の手前から旧道に入り、標高636メートルの峠の頂上に到達。峠にDRを止めると、山道を歩き、旧正丸峠まで行った。かつて秩父札所巡りの巡礼者たちが歩いて越えた峠だ。

このように峠というのは時代とともに移り変わっていく。このあたりが不動の山と移動する峠の違いといっていい。峠というのは人が行き来して、はじめて峠になるのだ。

正丸峠の頂上
▲正丸峠の頂上
正丸峠の「奥村茶屋」
▲正丸峠の「奥村茶屋」
刈場坂林道で刈場坂峠へ
▲刈場坂林道で刈場坂峠へ
絶景の刈場坂峠
▲絶景の刈場坂峠

このようにして1日かけて「奥武蔵の峠」を越え、最後にまた飯能駅前に戻ったのだが、「さー、これからも日本の全峠踏破を目指してがんばろう!」という新たな力が体内によみがえってくるようだった。

「峠大国」日本。全峠踏破への旅

2016年1月1日現在での越えた峠の数は1,684峠。日本の全峠踏破にはほど遠い数だが、日本にはそれだけの峠がある。峠を極めれば日本が見えてくると思っているし、「峠越え」には一生涯を賭けるだけの価値があると思っている。

カソリのバイク旅は無限につづく。

刈場坂峠
0191_絶景の刈場坂峠

賀曽利隆のバイク旅(2)に続く

賀曽利隆

賀曽利隆冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆け巡る。
1982年には「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦。1987年には「サハラ砂漠往復縦断」。7度の「日本一周」を成しとげ、「70代編日本一周」を目指している。
ツーリングマップル東北の担当ライダーで、東北の道という道を精力的に走っている。
モットーは「生涯旅人!」

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