ヤマハ創立60周年のタイトルラッシュに一輪の花を添えた「モトクロスの新女王」

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創立60周年。世界中でかつてないほどの成果を掴んだヤマハチーム

「当社にとって初めてのレース(第3回富士登山レース)は、会社の創立からわずか10日目のことでした。その初レースを勝利で飾ったことで、新参メーカーであったヤマハは国内外の二輪車市場に名乗りを上げる契機としたわけです」――。

今年1月、マレーシアで開催した2015年レース体制発表会の席上で、ヤマハ発動機の木村隆昭副社長はこう話しました。そして「創立60周年、レース活動60周年に当たる2015シーズン、ヤマハの活躍にぜひご期待ください」と結んだのです。

2015年シーズンは「Blue is fast」が大活躍

あれから約1年。世界各地のシリーズ戦で熱戦を繰り広げてきたヤマハチームは、この記念すべきシーズンにかつてないほどの大きな成果をつかみ取りました。
世界最高峰の二輪車レースMotoGPでは、ライダータイトル、チームタイトル、コンストラクタータイトルの三冠を達成したほか、モトクロス世界選手権、全日本ロードレース選手権をはじめ各国の主要レースでも多数のチャンピオンを生み出し、また鈴鹿8時間耐久レースではじつに19年ぶりとなる優勝を飾りました。

デビュー12年。輝かしい記録に名を連ねた「モトクロスの新女王」

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写真の安原さや選手も、その輝かしい記録に名を連ねた一人です。
全日本モトクロス選手権レディースクラスでヤマハ初のチャンピオンライダーとなり、「本当に長かった。これでやっと私もヤマハの一員になれた気がします」と、泣き笑いで顔をくしゃくしゃにしながらこう話しました。世界のトップライダーたちとともに彼女もまた、ヤマハレース活動60周年史に一輪の花を添えることになったのです。

モトクロスを始めてちょうど20年、2004年に全日本にデビューしてから12年、これまで何度も指先でタイトルに触れながら、そのたびに逃し続けてきた苦い経験を持つだけに、「長かった」という言葉にも実感がこもります。

「私を支えてくださった人たちは、幼いころからあまり変わっていません。私自身も長かったけど、その人たちにとっても長かった。ずっと期待に応えることができなかっただけに、そうした人たちに喜んでもらえたのが本当に嬉しかった。一時はチャンピオンになる自分を想像できなくなったり、大きなけがをしたり、引退を考えた時期もありました。ファン、ヤマハのスタッフ、そして家族にも心から感謝しています。」

12年ごしの全日本チャンピオン

ランキング1位で迎えた最終戦。こうした勝負どころで、かつては転倒を繰り返すなど持てる力を発揮できなかった安原選手。今回もガチガチに緊張していたそうで、「最後の2周、父が掲げる『そのままGO!』というピットボードが目に入ったら、さらに肩に力が入ってしまった(笑)」そうです。「父とはずっとぶつかり合いながらここまでやってきたので感謝は尽きません。レース後は少し泣いていたようですね。」

多くの支えによってつかんだ新女王の座。モトクロスライダーの弟・志選手も交えての家族による祝勝会は、やきとり屋さんで開かれたそうです。

情報提供元 [ ヤマハ発動機 ]

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