[HONDA]1981-1989 Honda パリ・ダカールラリー参戦記 後編

ダカールラリー創設当初の1980年代、常勝マシンを目指したHondaのチャレンジを振り返ります。

1986年の第8回大会には、BMWファクトリーチームのR80GS(1040cc)のほかに、Lツインエンジンを採用したカジバのエレファント、そして、ヤマハは従来の660cc2気筒マシンに加え、並列4気筒エンジンを搭載した最高時速200kmのモンスターマシン・FZ750テネレを投入し、多くのファクトリーマシンがそろった。

これらのライバルに対して、決してハイパワーではなかったNXRは高速巡航で若干不利な場面も見られたが、そのコンセプト通り、高速での操縦安定性やトータルの運動性能は抜群で、パリダカ史上最も過酷だったとも言われる約1万5000kmの行程を、ほぼノートラブルで走り抜けたのである。

この結果、ヌヴーが優勝、さらにNXRに乗るジル・ラレイ、XL600改のアンドレア・バレスティエリが続き、Hondaは1-2-3フィニッシュを達成した。この完ぺきなレース展開によって、NXRは“砂漠の革命”と呼ばれた。そして、この勝利をきっかけにパリダカマシンはさらに過激に進化していった。

各ファクトリーは、本命ライダーをサポートするライダーを走らせ(大抵は3台体制)、これらファクトリーマシンを支えるメカニックや部品は、四輪マシンやトラックで競技に参戦しながらこれを追う。さらには、次のベースキャンプまで飛行機で人員や物資を輸送するという、砂漠の機甲師団と化していったのだ。

その戦いの激化ぶりを象徴するように、87年の第9回大会は、NXRのヌヴーと、カジバのオリオールが一騎打ちを展開した。第1回大会からライバルだった2人は、ゴール前日まで激しくトップを争った。

そして、オリオールが木の株にぶつかり、両足を骨折したことで、Hondaとヌヴーの2連勝が決定した(なんとか自力でゴールにたどり着いたオリオールは、そのあと引退を表明した)。

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